12月 2013

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地獄の研修なる管理者養成学校が今だに盛況であったとは驚いた。 確かに羞恥心を失くすことは 大事かもしれないし、そのような2週間くらいの宿泊研修も価値はあるのでしょう。 しかし如何にも 日本的な研修であることは間違いない。 外国人が見たらそう思うだろうし、大日本帝国が復活 すると思うかもしれない。 はっきり言って、こういう研修成果は一時的なものであって、本人 の行動を変え社業発展につながるとは到底思えないのです。 もうそういう時代ではないのではないか? 多くの場合戦略や、マーケティングに長けていないと企業の発展は見えてこない。 そこに根性とか意気込み だけでは立ち向かえないものがあるのです。 もちろん「思い」は大事。「目標設定」も。しかし駅前で大声で訓練歌を 歌わされている姿は時代錯誤だと思えてしまう。 個人的には見るに堪えない後継です。  まるで35年前に在籍していた大学の空手部そのもの。 ちょうどその光景を見ていて当時の空手部の良くない風習を 思い出しました。 昔は武道の名のもとの制裁や陰湿な下級生へのしごきなど日常茶飯事。 しかし私はそういうものは 好きではありません。 いや、虫唾が走るほど。 それは下級生の時も上になった時も決して、いいものではないと 肌で感じていました。 だから自分が上になった時には下の人よりも上にいる人が厳しい練習をするように変えていました。  ところが1年生の頃はそれがまるで逆で、そういう間違った文化が世間に蔓延っていましたた。 この地獄の特訓にも いい点もあるのでしょうが個人的には受け入れ難い思いが先に立ってしまいます。  そんな中、2013年12月20日の新聞に96歳になる版画家の浜田知明さんの記事が載っていました。 「戦争を知らない世代の一部の人達の中から、最近勇ましい言葉が聞かれるようになった。出兵 して行った兵士達と白木の箱に納まり戦友の腕に抱かれて帰って来た英霊達の姿がまだ残って いるのに、、という一文がいま改めて心に響きます。最近の日本は戦前を想起させる空気に急速に 傾いています。権力を握った政治家は思い通りの国を創ろうとする。本来はまず国民があって 国つくりをすべきなのに、今は国ありきで、そこに国民をはめ込もうとしている。非常に危ない気 がします」 また以前、「日本には武士道の伝統があり明治以降も立派な軍人がいた。その日本軍が残虐なことを したはずがない」 という主旨の年配女性の投書が新聞に載っていました。何という勝手な思い込みと 甚だしい誤解で固められていることか。  何だかキナ臭いにおいがする、変な方向に、世の中が向いてきているように思われてなりません。 過去、何度も戦いを繰り返して来た日本人がこの先、永遠に戦争をしないとは言いにくい。 必ずやどこかで日本人は 戦争に手を染めるのだろう。 長らく戦いをしなかったのは江戸時代くらいなもので、その前後は50年くらいのスパンで 戦いを繰り返してきた歴史がある。 それを我々日本人はDNAの中に仕舞い込んでいる。 ただ2020年までは 大丈夫。 世界の目を引く催しがあるうちは偏った動きは取れないもの。むしろその晴れやかな催しのあとが 心許無く思えます。 時は粛々と流れ十年一日のごとく年月は過ぎて行く。 そして川の流れに逆らわず精一杯毎日を 生きてゆけば、これが杞人の憂いかどうかは、いずれ分かるのでしょう。

空手教室にどういうことを求めてきているのかは千差万別でしょう。 習い事感覚で空手道に親しもうと する人が増えているのかもしれません。「礼儀正しく」、「強くなって欲しい」、「いじめに負けない子供で あって欲しい」これが本音でしょう。 この空手クラブで最も大事にしてることは「礼節」です。「礼儀」、 「姿勢」をまずは正していくことから始めています。 大人の方もいい年をして何で礼儀なのかと思う人 もいるかも知れません。しかし空手道場には作法や所作があって、それを伝えて行く中で礼節を重ん じる人に目覚めて欲しいと願っているのです。 礼節とは相手を敬い尊重するということであり、相手を 思い遣る心に通じるでしょう。 それが単なる形式に留まっているレベルであれば、それは武道を習って いるとは言えません。 世の中には寝技を含めた総合格闘技、キックやボクシングもあるので、その場 で頑張るのも決して悪いものではありません。 武道だけが素晴らしいという訳ではないのです。 様々なスポーツがあり、一生懸命に努力すればどういう場でも素晴らしい人材へ育成してくれること でしょう。 但しオリンピックに出た選手でも裁判沙汰で結審を待つ身である人もいる訳ですから、 相当指導する人自身の心の姿勢が大事であって、そういう事が一番に掲げられないと喧嘩の強い 荒くれ者の集団を作りかねません。この空手クラブが心の姿勢を正す修行の度合いを重視している のはそういう事からなのです。 「道場に来て身体的強さを求めるだけ」というお考えの方は、いずれ 求めるところが違うという思いになるかもしれません。 もちろんここは極真空手を教える場ですから そこで自分がどれだけ真剣に取り組んでいるかで間違いなく身体的に、また精神的に強くなって行く のは明らかです。痛さ、怖さに耐えて続けるとそういう結果は付いてくる訳ですから。 しかし、私が 伝えたいのはそういうものではなく「心の姿勢」であって「礼節をわきまえた人物」であること。これが 根本にないと活動を継続する意味も薄れてしまいます。 一歩、街に出て殴り合い、蹴り合いをした 途端に、御用で留置所に無料宿泊が可能になる世の中です。 しかし、逆に極真の空手道場の中 では殴り合い、蹴り合いをして相手を倒すと褒められます。 痛い、怖い、苦しい、ましてや、試合など に臨む時には怪我は百も承知であって恐怖感、緊張感は半端ではありません。そんな状況でも 逃げずに挑んで進んで行く姿は尊い。それが結果として心が強くなると言っても過言ではありません。 試合までの「息上げトレーニング」の辛さは、やってみた者でないと分かりません。「心臓が焼ける」 という表現も、その意味は体験した者のみが分かる事。 試合場に上がると逃げる訳には行かないし もう前に向かって突っ走るしかなくなるのです。 こういうことを繰り返していく非日常的な経験が 年輪となり、些細な怪我など怪我で無くなくなる身体が出来上がり、些細な事柄にもへこたれない心 も築かれていくことでしょう。それが極真空手です。そしてその過程で築かれる「心の姿勢」と「礼節」 をこのクラブは最も重要視しているのです。 強い心と心の姿勢を整えることが如何に人生で問われて 来るか、子供達が辿るであろう成長過程で出くわしてくることなので、その大事な部分に最初から焦点 を当てています。 暑い日も、寒い日も、疲れて体調が悪い日も、そして学校の宿題が溜まった日で あっても、それでも稽古を続ける気持ちを養う事。これが実は大事。 稽古を休むのは自由であるし 自分でいくらでも理由を作ることは出来るでしょう。しかし、そう安々と稽古を休むことを覚えた人に 「心」が強くなる道理はありません。 お正月に神社に行って「今年はいいことがたくさんありますように」 といくら拝んでも叶わないのは、日ごろの心の姿勢にあるからです。 それぞれの生き方があって それぞれの事情がある中でも一つの事をやり通す人と、そうでない人との違いは神様が決めることでは なくて、物の道理。 お布施の大小ではありません。 しかし、だからと言って、習い事感覚で道場に来る のが駄目と言っている訳でもありません。 ただ子供が甘えを覚え、ホドホドに生きる処世術を親御さん が教えてしまった環境から脱皮できず、「空手教室にも、ホドホドで行ける時に行きましょう」というホドホド 人生であれば、心の姿勢や礼節をわきまえる観点から程遠い道を進んで行かれているという事です。 世の中を舐めた人間を創るのは外部要因ではなく家庭環境であって、その親の責任である事は認識し なけれはなりません。いくら頑張っても思い通りにいかないのが人生。大して努力もしないで、礼節が 良くなったり、身体や心が強くなったりする筈が無いという事は分かっていて、誰もが我が子には甘い ということも自覚して頂かねばなりません。 空手は武道、そして勝つ事だけが全てではありません。 負けた事によって色々な気付きや、反省、努力、周りの方々への感謝の思い、敬う・感謝の心が育つ のです。 勝つ事より、むしろそういう事の方が大切であり、将来社会に出て役に立つはずです。 社会に出て通用しない空手なら何の意味があるものか。 しかし、努力もせずにホドホドにしか取り組 まない人の逃げ口上になった空手では、武道教育に未来などありえません。勝ち負けが全てではなく、 もっと大事なものが道場にあるのです。 それを実践する為に創ったのが、この空手クラブです。

韓国ではハッキング大会を催している。 ハッキングとはサイバー攻撃に対する能力であると韓国の 軍部は、このハッキング大会で優秀な人材を確保しようとしている。 日本では、そういうことはやっては いけませんよと言うだけで終わってしまうかもしれない。 建前を重視して大きな変化を嫌う民族性が 日本にはある。 これは元々、農耕民族なのだからやむを得ないことかもしれない。 しかし、「いい子、いい子」では済まないのが世の常。 生きている内には様々な問題が起っては 消えて行く。 それらの問題の中で建前を意識しすぎるために、そして、いい子で居すぎる為に 成すことが出来ないこともある。 「法案をあさってまでに終えないように一致団結する」という 野党党首の声は「絶叫戦術」の例えの通りで小手先だけではと虚しさを覚えてしまう。 Bitcoin は日本人の論文を見た海外のプログラマーによってその価値を全世界に広げ1兆円を 超える市場規模になっている。 幻の通貨が投資の対象になっているのは反面恐ろしい事では あるが、カンフル剤であることに間違いはない。 昭和24年 京都で行われた第1回全日本空手道選手権で優勝した24歳の若者は29歳で米国 を空手のデモンストレーションを行いながら異種格闘技を行なった。31歳で牛47頭を倒した。 68歳の時にブラジルの選手がスイスの選手と戦い劣勢で負けが決まりそうであった時に止めが 入ったが、ブラジルの選手が構わず左上段回し蹴りを出して、スイスの選手が失神したのを見て 「止めが入ってたとはいえ、倒された者は勝者にふさわしくない」としブラジルの選手の一本勝ち を認めた。 極真会館とは当時の空手界の毒であり、カンフル剤であったことは間違いない。 その創始者は情に厚く豪快な人間であったが当時の空手界にとっては毒であった。  我はそんな男の後姿を慕う者である。 そんな会話をわが師である浜井代表とたまにする。  このわが師も豪快。そして情に厚い。思えば我はそんな生きざまに憬れていたのかもしれない。  「毒」はまた、そんな男達の生きざまに必要なものであることは是非に及ばず。

何をするにしても、一つの事を続けるのは難しい。 時の流れと共に周囲の環境も変わってくるから。 そして年月が経つにつれて最初の情熱も薄れてくる。その上、何しろ熱しやすく冷めやすいというのは 多くの人が持ち合わせた性質なのだからやむをえないかもしれない。  そうやってみると一つのことを続けられない方が普通なのではなかろうかと思えてきてしまう。  しかし、それが難しいから、そこに価値があるということなのかもしれない。 何でもないようなことでも十年一日のごとくに続けている人を見ると何となく、それだけで尊敬の念が 湧いてきてしまう。 その尊敬は続けてきたその物事にではなくて、それを続けてきたその人の忍耐と努力 に対して湧き出てくる感情。 そしてその尊敬の念は信頼となり信用になる。 そんな人生を送る人を私は尊いと思う。 たとえ身はもろもろの苦労の中に這いつくばっていようとも 我が信念を貫き、忍んで一つのことをやり通せば、終いには悔いることのない人生であったと安堵する のではなかろうかと思う。  詐欺、窃盗の類が減らない。 振り込め詐欺は10月までで昨年の被害額364億円を超えたという。  毎日毎日、同じような電話をかけ、お年寄りの善意に付け込んで懐を肥やしている輩が絶えない。 理にかなわないマイナスの心で荒んだ人生を送っている若者が如何に多い事かと愕然とする。 一時は、華やいだ世界を築くかもしれない。そして、世を謳歌する勢いを身に付けたと勘違いもする かもしれない。 しかし、メッキは剥がれてゆくもの。人の負の思いを背負って生きていく人には その跳ね返りを受けない人はいない。 やってはいけないことを、毎日毎日やってしまった結果 泥濘の世界に足を取られて身動きが取れなくなってしまう人生を生んでしまうというのに。  約390億円にも及ぶ振り込め詐欺は、これからも増え続けるだろう。 その手口は巧妙化する だろう。 そして、いずれお年寄りだけではなく、一般の弱者にもその手は及ぶのだろう。 その被害が1000億円を超える日が永遠に来ないとは誰も言えない。言い換えれば青天井で その額は伸び続ける可能性がある。 ここまで来ると、その若者たちを諭す手立てはない。 言ってわかるレベルなら、元よりそういう生き方には陥っていないのだから。 ではどうしたらいいのだろう。 弱者より高度な判断力を有し犯罪を邪悪と考えていない若者は この先も増え続ける。全てはゲーム感覚のバーチャルな世界と捉える若者を止めることなど無理 である。 そんなことが止るようであれば390億円を超える被害などあるはずもなく数年前に振り込め 詐欺という言葉すらフェイドアウトして消えていたはずである。  我は思う。 この先どうすべきかは、そういう異分子を決して創ってはならないということ。そして  将来の若者がその手口に、知らづ知らづ手を染めることのないように教えていくことに尽きると。  巧妙化する若者を止めようとするからイタチゴッコになってしまう。 彼らを止めることは誰にも 出来そうにないと、そろそろ思い知らねばならない。その彼らが、この先どんな人生を歩んで 行くかは知ったことではない。 しかし彼らの力は侮れない。負のことであっても一つの事を やり続けてしまうと能力は鋭利に研ぎ澄まされ、巧妙に法の網をすり抜けて行く術を身に付けて しまうのだから。 一つの事をやり通する事とは、それほど恐ろしいことである。

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