漫画
私の想像というか、私の日常を呆気なく崩して、越えていく人がいる。昨日も、いつものようにあっけらかんとした雰囲気で入って来て、何かゴソゴソやってる。なんだろう、何やってるのかなと思って事務作業を止めて、ついたての外に出てみた。すると段ボール箱からひとつづつ漫画を出してラックに並べてる。よく見ると「空手バカ一代」を全巻持ち込んで綺麗に並べてた。実は私はまだ読んだ事がなかった。あー、これか。 「うちに置いてたら旦那に、道場に持って行ったら?って言われたので持って来ちゃいました。置かして下さいね。」 大学の空手部(剛柔流)にいた頃、空手バカ一代は多くの人に読まれていたけど、私は大山総裁の「わが空手修行」しか知らなかった。 みんなが帰った後、掃除を終えてこっそり読んでみた。あっという間に1時間が過ぎていた。明日もこっそり読んでみよう。ありがとう。笹井代表。
80歳
「何事にしろ、一つのことを続けるというのは難しい。年月が経つと最初の情熱も冷めてきてしまう。だから一つのことを長く続けることが出来ないというのが普通なのかもしれない。大したことでもない事であっても十年一日の如く続けている人を見ると、何となく尊敬の念を抱いてしまう。それを続けてきた、その人の忍耐と努力に、ただただ素晴らしいなと思ってしまう。」 19歳の私はそんな事を思っていました。暇な大学生でした。今、47年が経ちましたが、それでもその想いは何も変わってないことに気づきます。根を詰めて大上段に構えていなかった事でサラリーマンは42年、そして空手は47年続けることが出来ています。気楽に考えてきたから続いたのでしょう。 あと13年続けてみたら、どんな風景に出くわすんだろう。 あと13年で私は80歳になります。そのころに年中さんは18歳、今の高校生は31歳。いったい彼らはどんな人になってるんだろう。それを想うと早く13年後の彼らに会ってみたいと思うのです。
浜井識安という男 その4
大連の稽古の後の飲み屋でいきなり、「田中先生、これ知ってる?」 浜井会長はいつも唐突だった。 「高天原に神届り坐す 神漏岐神漏美之命以ちて」 「皇御祖神伊邪那岐之命筑紫日向の橘の小門之阿波岐原に」 「禊祓ひ給ふ時に生坐る 祓戸之大神等諸々禍事罪穢れを」 いきなりこれを聞いて何の事か分かる人は少ない。当時、私は浜井会長に自分が真言宗の阿闍梨で、修験道の先達である事は伝えてなかったから、禊祓の言葉を奏上しても分からないだろうと思われていたと思う。しかし、真言密教と修験道は私の領域だった。でも完璧に暗記されていた事には多少驚いた。 大連の日本料理屋のカウンターに座ってる2人を、周りの人達が変な目で観ていた。そりゃそうだ。「禊祓の詔」を大きな声で唱える訳だから薄気味わるがるのも当然だ。聞けば浜井会長は神道に帰依されていたようで、禊祓の詔を丸暗記されていたのだった。「大山総裁が神道なんだよ。だから禊祓いを覚えたんだ」。本当に何から何まで大山総裁、一筋の方だった。まるで男が男に惚れてるようにも思えた。「『大山総裁は道場生の声を聞きながら死ねたら本望だ。』と言ってたから私はね、大連本部で寝起きしてるんだよ。」 大連本部道場に2千万円かけて創っただけあって大連本部道場は400平米ほどの広い道場に仕上がっていた。シャワー室、トイレ、そして事務所。浜井会長はその事務所で寝起きされていた。その部屋はDVDと本棚に本がびっしり。「田中先生、欲しい本があったら持って帰っていいよ」、「押忍、ありがとうございます」。ビジネス書から武道書からあらゆる本があった。私も本が好きでカバンにはいつも本が2冊入ってるので、ワクワクしながら興味ある本を取ってみた。しかし、もらって帰る本はなかった。全部の本には大事な箇所にマーカーや鉛筆の線が引かれていたり、コメントが書かれていてとても読める物じゃなかった。何というか勉強家なんだろう。そんな気持ちで机に座っていた浜井会長を振り返ると、別の本を読みながら鉛筆で線を引いていた。私はこんな勉強家を見たことがなかった。
キックボクシングタイトル戦
キックボクシングのタイトル戦スマッシャーズミドル級にショーヤ出場。40秒でKO 勝ち🏅でした。 昨日、すすき野でやったミット稽古通り、左膝蹴りで効かせて勝利。 次は中国に招待されて(渡航費、滞在費、食費全てプロモーター持ち)、中国の相手と戦う予定。強い心とスピードで駆け上れー。