Author: kyokushin

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松井先生が主催されてる大会に初めて参加させて頂きました。ちょうど私(昭和33年生)と同年代の先生(昭和34年生)で、昔はフルコンの大会といえば極真、正道、士道館、トーア杯の試合くらいしかなかった頃の試合で活躍されていた先生です。電話でお話しても、会場でご挨拶をさせて頂いても何かお人柄の良さが感じられる先生です。 今回の入賞は、リョータ6年生重量級3位、ケイタ5年生重量級優勝、ミク4年生女子重量級準優勝、カズフミ3年生男子3位でした。入賞を逃した子供達も涙を堪えて頑張ったね。良く頑張りました。 以前、うちの道場に居た子が、今は鎌倉のいい先生に巡り合って、今回準優勝していたのも素晴らしい。よく怪我をして、試合となると緊張してしまう子だったけど、落ち着いて戦えて入賞するまでになったのは本人の頑張りと鎌倉の先生のご指導の賜物だと思いました。

11年前、私は浜井派神奈川県支部としてゼロから活動を始めました。それまで在籍していた道場の生徒を連れてくる訳でもなく、自分1人でゼロスタートでした。稽古場所はこれから見つけよう、稽古生もこれから募ろう、何もないところから自分がどこまで出来るか試してみよう。そんな気持ちでした。 4月に地区センターで体験会をして3人が入会してくれました。5月も3人。浜井派神奈川県支部はこの6人から始まりました。その頃、小学校の体育館も借りられたのですが参加者はゼロ。一人でバスケットボールで遊んでいても5分が限界。広い体育館で大の字になって寝てました。やっぱり空手で人を集めるなんて無理かも。そんな事ばかり考えてました。家内に「今日も行ったってだれも来やしないんだから行かなくていいんじゃないの」と諭されてました。「いや、誰かが来るかもしれないから行くよ。1人でも来たら稽古をしてあげないと」。そうやって広い体育館で1人だけの時間を過ごしてました。その小学校体育館に子供達が来るようになったのは3ヵ月も後の事でした。 それでも続けてたら最初の年は地区センターと小学校体育館の2ヶ所で30人が来てくれるようになり、翌年には稽古場所は3カ所になり生徒は50人になりました。その次の年には4か所で150人ほどになっていました。3年かけて今の半分ほどの人数になっていました。その後、子供達が試合に出るようになり、徐々に入賞するようになってきて、試合クラスを創るようになりました。今はその試合クラスに毎回30-40人ほどが参加します。体育館で大の字になって寝ていた頃には想像もできない状況です。今は力謝会の一員として活動する横浜田中道場は宇宙が広がっていくように自然と組織は大きくなっていきました。たくさんの苦楽をともにしてきた人達、そして、今は別の道に別れた人達、過去同じ時間を過ごしてくれた人達、みんな同様に感謝の気持ちすら湧いてきます。それは人生をひたむきに生きて、まずまず納得できる人生を振り返れるようになったからかもしれません。成功したとか、だれだれに勝ったとかではなく、真摯な気持ちでいると、それが誰とは言わず、感謝の気持ちがわいてくるから不思議なものです。

4月16日日曜は池袋元本部道場で稽古会が開かれました。主催は力謝会の副代表:柚井先生。3月21日に組手稽古会を池袋で開いて頂いたのは力謝会の事務局長の平田先生です。私ども力謝会は大山総裁がおられたころのオリジナルを残す必要があると考えてます。 池袋の極真会館本部道場も人手に渡ってしまい、今はレンタル道場として活用させて頂いてます。中でも柚井先生は内弟子として、また海外に総裁が行かれる時の御供として、大山総裁の晩年を常に傍におられた方です。その柚井先生と私の考えの共通点は「大山倍達という方の何かを残して行こう」という思いです。 力謝会 代表:田中明宏 

本日は極真連合会世界大会の2日目。壮年女子45歳以上の部で笹井先生は4位でした。お疲れ様でした。よく頑張りました。この極真連合会の試合は女子も拳サポーターはありません。なので試合後の笹井先生の右腕はいくつも打撲の跡があり膨れ上がってました。少年部や、大人でも拳サポーターを付けるところは多いのですが、それらの試合とは全く違います。 指導を5クラス任せていたので自分の稽古は週に1回ほど。それに2人の男の子の学校の事、母親としての家の事、様々な事をこなしながらの出場でした。いつも空手クラブを明るくしてくれている笹井先生には感謝の言葉しかありません。ご苦労様でした。ありがとうございました。 このコロナ禍に開催された令和2年極真連合会第50回全日本オープントーナメント女子44歳以下の部で準優勝。令和4年極真連合会型全日本大会壮年女子の部で優勝。そして令和5年極真連合会第5回世界大会壮年女子45歳以上の部で4位入賞とコロナ禍でも立て続けに入賞をしてきました。組立と型の双方に入賞を続けているとは、なんて素晴らしい👍んだろう。

先日、埼玉県富士見市立市民総合体育館で行われた大会にケイタのみ参加。結果はベスト8でした。なかなか思うように組手が出来なかったようで今後に課題が残る内容でした。私はいつものように土日の指導があったので、送られてきた動画で判断するしかありません。すでにリアルチャンピオンシップ選抜で優勝していたので、少し気のゆるみがあったかもしれません。3回戦が始まる前、2回戦の対戦相手の子に怪我をさせてしまったことを考えすぎ、心ここにあらず。地に足が着いていない、浮ついた気持ちのまま3回戦のマットの上に。結果は案の定、技が出ず、もちろん胴廻しも出さず、延長で負けでした。 勝たせてもらった相手のことを心配して、思うように動けなかったケイタ。本当にケイタはケイタらしいよ。そこがいいところ。2回戦目の相手の子に怪我をさせて、それを勝ち誇っているような子だったら、先生はがっかりだ。相手のことを思う優しいケイタ、偉いぞ。 今週の土曜、日曜は、今度はママが極真連合会世界大会に出場。ケイタは物心ついた時からママに抱っこされて道場に来てたね。一年生の時には大阪のA君にぼろ負けして泣きじゃくってたっけ。そこからケイタのリベンジが。ケイタは今までもらったワッペンを絶対に道着に付けないのは、憧れの福地勇人先生が付けてないかららしい。今回、ケイタのママは左の肩に日の丸🇯🇵を付けて日本代表として試合に出ます。狙うは優勝のみ。頑張れ笹井先生‼️、頑張れケイタ‼️

中学校の成績がオール5で推薦で国立の東京高専に進む生徒がいる。受験せず、日頃の生活を崩さず大学までの道のりを考えた選択であったらしい。目標を東京工業大学に置いた考え方には筋が通っているし、それをやり遂げる意志が本人にはある。中学生の時に、そこまで考えているのが素晴らしい。そして国立で全てを完結させる考え方は授業料を極端に抑えた選択にもなってるから親御さんにとってはこの上ない親孝行。素晴らしい👍 空手は中学1年の時に黒帯。勉強も黒帯です。すべては物事の考え方だと思います。

大切なのは過去でも、未来でもありません。今こそが生きてる実体であって真実そのものです。なので今をしっかり、何もごまかさず生きてみようと思います。今日はまっさらな今日があって、今が本番。この一瞬が私の本番。そしてそれが私の未来を創っていく。だから一所懸命生きてます。私は私の運命を変えるために今を精一杯生きています。 今日、墨田区ではリアルチャンピオンシップ選抜大会、そして葛飾区ではIBKO全日本選抜大会がありました。その二つの試合にうちの道場から19人が分散出場していました。この子達は今日を、今を、一所懸命に生きて自分の運命を変えようとしている子達。自分の未来を自分の手で創ろうとしている子達です。途中、負けた子達も今日の結果を次に生かせばいい。大事なのは今日という日を一所懸命生きる事。みんなの真剣な顔はカッコいいし、きっと桜は咲くからあきらめないんだよ。 リアルチャンピオンシップ選抜3名出場 ⇒ 4年生ケイタ優勝、6年生リュウノスケ準優勝。 IBKO全日本選抜16名出場 ⇒ 1年生ヒナタ3位、2年生カズフミ準優勝、豪3位、4年生ハルト優勝、5年生ハヤト優勝・リョウタ3位。

3月21日春分の日に池袋元本部道場に行ってきました。9年前に来たときは浜井会長と、総裁の三女:喜久子さん、鈴木さん、三宅さんと食事会でしたが今回は稽古会ということで若い方々に交じってスパーリングをやってきました。頭ツルツルオヤジが私です。「ツルツルにされてるので誰だか分からなかったです」と何人かに言われたオヤジも今年65歳。でもいまだにスパーリングをやってます。昔は昭和33年生まれというと、「あなた、若いね、、、」なんて言われたものですが、今では高齢者の仲間入りです。いつまでスパーリングが出来るかわかりませんが、ベンチプレス・アームカール・スクワット・砂袋だけは欠かさずつづけております。ドラグローブを付けた「顔面あり・金的ありスパーリング」もやりました。いつも護身空手大会では主審をやる側ですが、やっていくと、審判よりスパーリングの方が楽しい。顔面への攻撃は本能で動くもの。だんだん慣れてくると護身空手スパーは怪我をせず、安全だと感じてくるので楽しいんだと分かってきました。

先週、中学校を卒業した黒帯は4人、茶帯が1人、高校を卒業した黒帯は1人。よく勉強と部活、そして空手を頑張ったね。よくやったよ、おめでとう㊗️ 年中さんの頃から診てきた子、そして小学校低学年から診てきた子達。保護者の方々の辛抱とご苦労の賜物です。ここまで空手クラブに預けて頂き心から感謝申し上げます。 6月には新たに中学2年男子1名、新中学1年男子1名、新中学1年女子2名が黒帯にチャレンジします。白帯の頃から観てきた子達が、まさかここまで頑張るとは想像も出来ませんでした。しかし考えてみると、この子達の成長した姿が極真会館横浜田中道場の成長を表しているのかもしれません。空手クラブも紆余曲折あれど、この子達と保護者の方々のご理解とご協力があって、ここまでやって来れたと思います。ありがとうございました。 先週中学校を卒業したショウヤは182cm 80kgになりました。早くて、重く、強い。もう壮年部の黒帯達では歯が立たなくなりました。そして今月、高校を卒業したキョウヘイとショウヤが5月21日開催される「顔面あり、金的あり」の極真護身空手道選手権大会に出る事になりました。極真会館横浜田中道場を創って12年目、ようやくここまで来れた気がします。感謝・感謝。

振り返ってみると身体は健康で、大学にも行かせてもらい、上場企業に勤め、結婚もし、子供は二人授かりました。子供達の成長はハラハラドキドキの連続だったけれど、一人は医者に、一人は家業の療育の仕事を手伝ってくれるようになりました。私は日々悩み、一歩進める事にも躊躇しながら一日を終え、一カ月は同じことの繰り返し。そんな代わり映えのない一年をただ積み重ねてきたように思えます。テレビや、ネットで成功してる人達の姿を観ると、自分とは別世界の人達のように映ってしまいます。大学を卒業し会社に入って何年か経つといろいろと悩むことが出てきたり、仕事でスランプに陥ったり、たいてい大きな壁に突き当たってました。気持ちをリセットし、それを乗り越えることの繰り返しで41年も会社勤めをしています。よくもここまで続いたものです。空手と出会って45年。剛柔流から始まった空手は今は「先生」と呼ばれています。しかし自分は「先生」なんだろうか、「先生」らしいことを何かしただろうか? やってきたことと言えば教えてもらった基本稽古、移動稽古、型稽古、スパーリングをそのまま伝えてきただけで、それを45年間続けてきただけなのだから「先生」ではなく、その道の「先輩」と言われた方がしっくりきます。 今は、ここまで生きる「力」を与えてくれた両親と空手でお世話になってきた方々に「感謝」しかありません。力謝会とはそんな思いの人の集まりになればいいと思っています。

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