代表のブログ

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世界の全ては元素で出来ていると新聞に書いてました。 118個の元素で動物や植物や家、ビル、そして空気、水も。 全ての世界が元素で出来ています。 軽いのにロケットまで飛ばす水素は 陽子の数が一番すくないから原子番号は 1番。 空気よりも軽いヘリウムは陽子と電子が2個なので原子番号は2番。 常温でも液体である金属は80番の水銀。 2010年に発見されたばかりのウンウンセプチウムは117番。 最後はウンウンオクチウム。 人間は60億人もいるけど 身体を創っている材料は黒人も白人もみんな同じ。でも人は十人十色。考え方が違うから。育った環境が違うから。  みんな違う。 そしてみんな十色の人生を歩みます。いい大学に行こうとする人。手に職をつけようとする人。 土とともに生きる人。 どんな道でも構いません。ただ人間は動物と違って、迷い、悩み、泣いて、苦しむ心の動物。  大事なのは、心の姿勢を正しくして前を向いて活きて行く力。 壁にぶつかっても、それを乗り越えていく力。 一工夫する考える力。 思い悩んだら太陽のように活きたらいい。 そして考える力を子供のころから身に付けて おけば、どこで何をしようが活きていける。 そんな気がします。  大きな人生の波に揺られながら、その波に 逆らわず、生きていくこと。  自分自身では選べない天道があって、脇道にそれても、必ず自分の道に戻ってくるような、そんな自分に与えられた道 を見つけられたとしたら、そしてまた、その道をお天道様を仰ぎながら歩んでいけたとしたらどんなに幸せでしょう。  神経を働かせてくれるNa、神経と筋肉に欠かせないK、そして骨の成分のCa。 身体の中にあるCu、舌にはZn、 血液をつくるFe、皮膚に含まれるS。 元素周期表を見ていると人の違いは、やはり、その人の考え方と心の姿勢 だけなんだとつくづく思いました。

極真の先生方も他の流派のフルコンタクト系の先生方の多くは試合重視。 しかし私はそうではありません。自分自身が 空手を専門に生きて来た訳ではなく企業人として生きてきている中で極真空手の教えが役立っているので、それを生き方 として子供たちに教えているのです。 だからこの空手クラブは試合だけ、ケンカに強く成るだけのものではありません。  以下にあるのは ある極真の先生の言葉です。この先生は総極真という団体に属しておられます。私がその先生に 共感しているのは仕事を別にもち、仕事と空手を両立しながら前を向いて生きておられるということからです。  以下がその先生の言葉です。 「今のフルコン空手界は、小学生で勝つ事だけに拘る人が多過ぎる。厳しい稽古をして勝利を掴むのは素晴らしい事だが、   やがて中学生になりサッカーや野球などの部活に傾倒していく。高校受験の頃には道場に来なくなり自然と道場から   去っていく。そのうちに空手をやっていた意味も曖昧になり、二度と道場に戻って来なくなる。多分、どこの道場でも直面   している問題であると思う。それでも多くのフルコンの先生方は、小学生の時の空手の経験が大人になって社会に出たら、   生きて行く事に役立つと言う。 しかし、一時期厳しい稽古をしたからと言って、それが生きる事にそのまま役立つ程人生は   甘くない。一時期を厳しい事に耐えるだけで心が強くなり生きる力がつくのなら、キックでもボクシングでも総合でもどんな   スポーツでも何でも良い事になる。もちろん部活でも・・・。でも空手道は、武道は、生涯修行者として奉仕の心を以って   豊かな人間性を育む道である。強さの果てに、相手を労わる「やさしさ」を様々な修行の過程で身につけなくてはならない。   一時の重い負荷を耐えるよりも、軽い負荷でも長期間、常にあきらめないで耐え抜く事である。だからこそ社会で通用する   人間になれると思う。 一時期でも頑張ってチャンピオンになる努力は尊いし、結果を残す事は大変な事である。その努力を   無駄にせず、将来「あの道場で学んだ事が生き抜く力になっている」と言って貰える様に、我々指導するものは「継続」する   事の大切さを身を以って示していかなければならないと思う。 ある先生の言葉であるが、今のフルコンの先生は、社会に   出て仕事をした事がない、仕事をやっても続かない、社会性がない・・・そんな先生が沢山いると言う。 先生自身、社会生活   もままならなくて子供に夢を与えられるのか、社会性のある大人の方達がその道場に価値を見出し付いて来てくれるか。    そろそろ、一時期のプロパガンダから脱皮して真剣に考える時期であると思う。」   この先生のお考えは私のものと非常に近いように思えます。社会に出て苦労するのは当たり前。それをどうやって   生きて行けばいいのかを伝えていく場が田中空手クラブなのだと考えています。そういう訳で文武両道は必然なのです。 

次男は自閉症だったので幼稚園の時は、前途多難だと腹をくくってました。集中できない、自分の世界にこもる、人と 交わらない。こんな子供ではこの先どうしたらいいんだろうと悩んでいました。ジャイアンツの桑田投手の奥さんと一緒に 悩んでました。太陽の子という幼稚園で桑田さんの長男も、うちの次男と同じように目立ってましたから。一般の小学校に 入れるなら、それはみっけものだと思っていたくらいです。その子が中学校2年生の時に学校の先生から電話をもらうなど 思いもよりませんでした。 「sakyou君がクラスの子を蹴って怪我をさせた」と。 そんな訳はない、あの子が。  でも事実でした。自閉症は年齢とともに軽度になっていたものの小学校の時には、廻りでなにが起こっているかはわからず、 というか構わず生きていたようです。それを大学生になった次男は冷静に振り返れるようになっていました。その頃次男は 極真の1級。ローキックの蹴り方や下突きの入れ方は自分の身を守るすべとして私自身が教えていたのです。この子は 間違いなくいじめられるから反射的に返せるように。という親心からです。 学校の野球部は「ライトで9番」の次男はバカにされ普通ではない奴だとされていました。その日もいつものように執拗な 嫌がらせがあったようです。次男は、何度も「やめろよ」、「やめろ」と言い続けたちょうです。それでも止めないのが中学生。 でもその日は違ってました。「やめろ!」と言いながら教えたローキック一発。 いじめっ子はその場にうずくまってしまった のです。大きな怪我にはならなかったのですが学校では、「あのsakyouが怒るのも無理はない」。と加害者でありながら 被害者のように扱われていたのです。一応先生は経過説明ということで家に電話をして来ましたが大事にはならずに済み ホッとしましたが。反面、よくsakyouは自分の枠を超えていじめっ子に向かって行ったものだと感心もしました。  小学5年生のころには友達が家に来て、置いてあった1万円の入った貯金箱まで持って行かれるような始末。親がいる間は いいけど、この子はこれからどうやって生きていくのか?、この先不自由なく生きて行けるのか? 本当に不安にかられる 日々が続いていたのです。 なので先生に何と言われようと私は「よし、よくやった。 わかったろう。自分の力が」と心の中で ほのかな光が射した思いでした。  小学校の時はまだいい、中学校になると陰湿になる。これは私自身が今でも思っていること。 大津の中二の自殺 の件は私は我がことのように今でも思っています。 中学生と小学生の違いは「自分で自分の命を絶つ手段を知っている 、もしくは実行出来ること」なのです。 だから私は今でも、そのような無神経ないじめっ子は許すわけには行かないのです。 しかし、いじめっ子をなくすなど出来ません。 ならば抵抗力を上げ、備えることです。 その子にどうすればいいかを教えて あげるだけのこと。 私の空手教室は、教えた空手の技は学校や幼稚園では使わないこと。と何度も言ってますが、 「逃げない心」、「あきらめない心」は浸透させるよう心がけています。 挨拶・礼儀はその根本。 しかし、それを子供たちに どう伝えればいいのか私は思い悩んでいました。 が、しかし、それは簡単なことかもしれないと思いました。 それは、すぐ そばにいるお父さん、お母さんがそのような方であれば、子供は何の抵抗もなく、それがどういうものかをも理解し易いだろう という思いです。 今日、7名のお父さん、お母さん達には5人組手をやってもらいました。まだ早いと思いつつも、私の 空手教室は「教育の場である」ことの実践をするため、この方々にこの投げかけをさせていただいたところ、みなさん 前向きに5人組手に勇気をもって挑んでいただけました。 通常、体重が20-30kg違うと蹴った方の足が痛くなるもの。  その軽量な女性が男性と組手をやって、前に前に向かう姿。 男性陣もあばら骨を痛めながらも、あきらめず最後まで 5人完遂された姿。 誰しも感動したはずです。 子供たちにとってどんな説教よりも価値ある時間を7人のお父さん、 お母さん達は創ってくれました。 子達の将来は決して平たんではないでしょう。しかし、平たんな人生を歩んでも どうするものか? 山あり谷あり、そんなことお構いなしの人生であって欲しい。  今日の審査会。 そんな子供たちの将来を思いながら、大人の方々のがんばる姿を見せて頂くことで私が考えている 子供たちへの指導はなされたように思えました。 ねんざ、打撲、うちみ。この勇気の代償は「逃げない心」の証。  こういう大人の後ろ姿が私は一番大事なことだと思っています。

「医学部 その10」では過去10年間の医系大学別医師国家試験合格者数ベスト30を調べてみました。  今回は過去10年の合格者数 x 合格率 = 総合点ベスト30を書きます。     大学         総合点 1    昭和  1,033,827 2     日大 1,003,320 3   自治医科 982,431 4   慈恵会 968,627 5    筑波 959,347 6   滋賀医科 955,897 7   三重 951,179 8   東京医科 948,229 9   千葉 947,232 10   札幌医科 944,606 11   名古屋 932,962 12    浜松医科 930,496 13   弘前 924,246 14   東京 919,588 15   北里 917,641 16   慶応 915,438 17   九州 914,460 18   京都府立 910,398 19   北大 910,305 20   群馬 909,736 21    阪大 908,634 22   新潟 906,935 23   産業医科 906,912 24   神戸 906,391 25   広島 901,869 26    岡山 899,248 27   山形 897,465 28   宮崎 897,363 29   福井 894,861 30   藤田保健 893,285 公立の医大は元々入学者数が少ないので、ここでは下位にランクされてしまいますが、優秀です。 問題は京大、東北大 がベスト30に入っていないということです。 高知、徳島、琉球、長崎、山口、鹿児島、富山、大分の8大学は眉をひそめ ねばなりません。しかしその分入学時の偏差値も低いので、サラリーマン家庭でも狙い目です。逆に私学で医師国家試験 の総合点が低いのは12校。 不名誉な数値であるのでここでは大学名を書くのは控えておきます。  私が問題視している大学は別にあります。それはこの12校ではありません。全体では中盤に席を置く大学です。 80校中41位の大阪医科、43位の東邦。 両校ともに広告宣伝が多いという共通点があります。 今日5月3日の朝日新聞の38ページ社会面下部に広告を大々的にうったのは大阪医科。 羽田空港などやたらと宣伝が 目立つのは東邦。 本来、医学部は広告宣伝などする必要はないものなので目的が全く見えません。 あるとすれば 全てはお金に関わることなのでしょう。 もしくは大学の名誉。 今日の広告は明らかに学長ご本人の名誉を意識したもの のようです。 大阪医科入試部の広告;「医師には幸せと責任がある。」を読んだ受験生・とそのご父兄様方には、過去の 80大学の純粋な学業成果・実績としての、「医師国家試験の総合点」をお見せしたく数値をまとめた次第です。 とはいえども、我が息子もまだ4年生。 果たして留年せず卒業を迎え、この国家試験にストレートで合格してくれることやら。 その息子は一人で宝塚の祖母の家に。15年ぶりの再会を喜んだ母は「冥途の土産になるよ」と言ってくれました。 15年間も孫の顔を見せずに申し訳ない思いでいっぱいでした。  順調に行けば、あと3年で息子は国家試験。 母にはそれまで生きていて欲しい。  5月12日には、まだ早いけど、一人でいる母に3年後に花開く笑顔の種を届けたい。 

「1943年、大学生だった私は学徒動員で海軍に入隊し特別攻撃隊に志願しました。通称、特攻隊。爆弾を搭載した   飛行機に乗り、そのまま敵陣に突っ込む。出撃の指令が出れば、すなわち死を意味する。自身の命を掛けた出撃。   あまりにも非日常的な精神状態がそこには存在していました。突撃に向かう時は必ず二人乗り。操縦や偵察には   下士官が乗り、後ろの席には予科練の若い人が乗る。予科練は、まだ中学生の年齢。そんな年端もいなかい子供達   も軍務についていたのです。    その日の朝、親友が操縦席に乗り込みました。そこに予科練の子が乗り込もうとした時に、友が大声で叫びました。   「お前は来るな!」、「嫌です。私も一緒に行きます!」 その子は涙を流しながらそう叫びました。 「お前はここに   残れ。 これは上官である私の命令だ!」 友はそう言い残して空へ飛び立って行きました。 まだ子供であるその   子に対する情。ただそれだけを守る為にたった一人で飛び立ったのです。そういう人間がいたことを忘れない。   彼らのような人間のお蔭で私は生かされている。 そのことを私は決して忘れない。」 これは千利休から15代目のある有名な方の話です。  第2次世界大戦の戦死者は212万人。 陸軍は165万人、海軍は47万人。  その7割にあたる148万人の方が餓死で世を去りました。 海没では海軍18万人、陸軍18万人です。  遠くの父母、そして妻や子を思いながら土に還り、海の藻屑となりました。  まだ咲かない夢を抱いて。  まだ見ぬあどけない夢を描いて。  みんな消えていなくなりました。   まだ旅の途中なのに。   明治15年2月25日に開館した遊就館では、旅の途中に夢がついえた英霊のご遺徳に触れることが出来ます。 先日、九段下からすぐの場所に、思いを同じくする方と行ってきました。

私が空手を教えているのには、いくつかの理由があります。 一つはスパーリングの重要性を伝える事。そしてもう一つは 負けない心を育むこと。ですから身体が大きい人が勝つ空手ではなく、心が強い人が勝つ空手でなくてはならないのです。 それを噛み砕いて言うと「文武両道」です。 武道に長けているのみなら勉学に勤しむ心が備わっている子供達を育成する ことに空手を教える価値があると考えています。 そのような観点で空手指導をしている中で子供たちのご父兄方も参加 されるようになり、大人の方々への指導も行うようになりました。今日4月29日の稽古では子供達というよりも大人のスパー リングに重点を置いた稽古をやりました。 最近の極真道場の傾向はソフトスパーリングになりつつあります。以前から 私はそう感じてました。 しかし、それでは、どこかの局面で(試合、もしくは強い後輩=高校生、またはやんちゃなオヤジ) が現れた時に、アタフタ、ビクビクしてしまうのです。 極真では先輩である以上、プライドを持たねばなりません。 やすやすと後輩にしてやられてしまうようでは恰好悪く、自分の居場所が道場で無くなってしまい、気が付いたらいつしか 辞めていたという事態に落ち着きます。 その方は、意識する、しないに関わらず、それ以降「逃げることを覚えた」生き方 に安住することになります。 それは避けねばなりません。 子供達が様々な試練に直面するように御父兄方も大なり 小なり、そのような場面にこれからも出くわすはずです。仕事の場、世間一般社会において、そして道場においても。 私自身、過去何人も「逃げる人」を見てきました。  ある審査会の組手試合(4級以上はスパーリングではありません)で、他の道場の先輩を相手に、あまりにもボコボコ にやっつけてしまった為に、その方は結果として昇級したにも関わらず試合の恐怖からそれ以降、道場に顔を出さなく なってしまったと聞きました。別の審査会の組手の試合でも30歳台のマッチョマンが (この方も別の道場の方でした ので初めての対戦) 我が物顔でスパーリングをやっていたので、組手の試合では、もちろん、またしてもボコボコに。  その方はポニーテールにした長髪にマッチョマンですからみんな試合をするのを嫌がってました。当然です。私も最初 は対戦しないように願ってました。しかし、自分は強いんだぞというオーラを見せて、これ見よがしのマッチョの態度には 鼻持ちならない思いがムラムラ湧いていたところだったので、いざ対戦相手が自分だと発表された時には 「いっちょ、 やってやろうじゃないか」と沸き立つ思い静めながら逃げ道のない四角の試合場に出て行ったのです。 その試合は みんな興味津々だったようです。 私も42歳頃でしたがベンチプレスは130kgは挙げてましたので、ポニーテールと どっちが勝つだろうとワクワクしていたことでしょう。 試合の合図 「始め」の号令がかかるやいなや、突っかかってきた 相手の蹴りやパンチが意外に軽かったので、私はニヤッとしたのを覚えてます。その後は想定通り。一方的なパンチ連打 と蹴り倒し。しかし一本勝ちを取れなかったので私は不満でした。 今度、どこかの道場や試合で出会ったら、一本しかない と思ったものです。しかし、その後、その人も道場に顔を見せなくなってしまったと聞いて、その道場の先生には申し訳ない 思いでいっぱいになりました。 しかし、そういう経緯があってその後の試合でも勝つパターンを体得したのだと今では思って います。 私の頭の中は、かつて芦原道場にいた「人間凶器」のような中山猛夫先輩の姿。 それは恐ろしいスパーリング。 しかし、そういうスパイスの効いたスパーリングを経験しないと、どこかでアタフタしてしまうと思います。  今日の大人の方々のスパーリングは、いつもと違って、ちょっとハードなものとした背景にはこういう思いがあったのです。 そのことを説明せずに稽古を始めたものですから連休3日目を軽く汗でも流そうかと思った御父兄様には記憶に残る スパーリングであったかもしれません。 いずれ入って来るであろうヤンチャな後輩さんたちに負けない御父兄様で あって欲しいと思うので、そういう意味での抗体を付けるためにも、たまにはスパイスの効いたスパーリングは必要 だと思っています。 何事もソフトがもてはやされる昨今、私自身がスパイスの効いたスパーリングをあとどれくらい 出来るだろうと、いつも思いながらやってますが、この大事なことも継承して行ってもらわねばならないと思っています。

特トレには、決まった顔が集まる。 そしてよく泣いて、よくはしゃぐ。 痛くて泣いて、悔しくて泣いては、またケロッとして いる。 怖くて、痛くて、辛いだろう。 でも私はそんな些細なことに目を向けたりはしない。 頓着しないと言った方がいい。 太陽のように活きて行って欲しいから。 これから先の長い長い人生には谷もあって、山もあるはずだから。 当たり前の ことはやり過ごすしかないということを身を持って感じとって欲しい。 お母さんに泣いてる顔を見られたくないのだろう。 お母さんに甘えない顔を見ていると私も嬉しい。「そうだよ、それでいいぞ。よくお兄ちゃんになったものだ」と心の中で秘かに 思っている。 小さな肩が震えている姿、天井に向かっておお泣きしている姿、しくしく下を向いて泣いてる姿。  どれほど見て来たことだろう。 その度に子供たちが成長してきているように思えてならない。 この特トレに顔を出す子は 年長さん~4年生。 この子達のハシャイデいる顔。 がんばっている顔。 それらはみんな私の宝だ。  今日、そんな特トレを終えて家に帰って来てネットを見ると何やら調布の小学校の先生の肉声が話題になっていたので その内容を聞いてみた。 しかし、その音声だけではなかなか判断はつきそうにはなかった。 世間の多くの若者はすでに 過激な言葉を浴びせている。 いかにも日本人らしく逆に弱い立場に立った者をいじめている大勢はよろしくないと思えて その姿には賛同できなかった。しかし確かにその女性教師の言い方には特徴があるようには思えた。 だからと言って 私は、これだけでは、その人の良しあしをコメントすることは出来そうにない。 ただ、私はその先生に聞いてみたい。  「あなたはクラスの子供たちを好きでしたか?」 と。それだけです。 そして全ての学校の先生に聞きたい。 「あなたは 自分の学校の子供たちの顔に救われましたか?」、「純粋な心に接して、あなたは心が救われませんでしたか?」   「教師に才能はいらない、太陽のような気持ちがあればいい。」 私はずっと、そう思って来ました。  しかし、私自身は、なかなかそんな先生には巡り合えませんでした。 出会った先生は心の寂しい人ばかり。 だから その人の理屈は分かっても、そんな人の説明を素直に聞くことなどわたしには出来なかった。 心でぶつかってくる人 に私は出会うことがなかったのです。 だから東大出の、その先生に聞きたい。 「あなたは失敗して泣いてる子供の泣き顔がいとおしくないですか?」 「字が下手だと言われてうつむいている子供の肩に触れて元気を出しなさいと言ってあげたくはなかったのですか?」 そしてもう一度聞きたい。 「あなたは子供が好きですか?」 、「その子たちの将来が見えませんか?」と。

過去10年間の医師国家試験の合格者数と合格率を整理した資料にお目にかかることはありません。多くは合格率のみ。 この合格率が曲者。 各大学医学部では合格率を上げるために国家試験受験者数を絞っている実態があるからです。 見せかけをよくしていても実際に医学部の学生が医者にならなければ意味がありません。その為に過去10年の合格 者数を見てみると以下のようになります。 ベスト30に東大は入っていません。入試では最難関なのに。 1  昭和        1,107名 2  日大        1,080名 3  東京医科     1,059名 4  北里        1,037名 5  藤田保健     1,027名 6  九州        1,023名 7  東京慈恵会    1,018名 8  東海        1,016名 8  三重        1,016名 10 久留米       1,012名 10 千葉        1,012名 12 東北        1,010名 13 名古屋       1,002名 14 自治医大       998名 15 獨協         997名 16 筑波         996名 16 京大         996名 16 札幌医科      996名 19 阪大         995名 19 滋賀医科      995名 21 愛知医科      994名 21 北大         994名 23 東京女子      993名 24 金沢医科      992名 24 弘前         992名 24 浜松医科      992名 24 宮崎         992名 28 福井         990名 29 神戸         988名 29 熊本         988名                             以上がベスト30ですが、残りの50校を含めた資料をここに開示することはしません。 ご要望があればつたない 資料ではありますが個別に開示しようと思います。 全国80大学の国家試験合格者数と合格率の一覧表を 見ると一目瞭然。 そこに大学入試の難易度と6年間の授業料一覧を比較するとどこの大学にご子息を入れたら いいのかははっきりします。 全国80の大学の中で「大学入試の難易度が比較的低く」、また「学費が安く」、 なおかつ一番大事なのことは 「国家試験に受かり安い」 大学はどこなのか? を書いた本がないのです。 医学部入試から国家試験までを網羅し、80大学の良し悪しを押しなべて比較した資料がないので自分で創った のです。 その中には「入ることを薦められない大学医学部リスト」もあります。 小学生の時から医学部への道 を志すならば、約8年くらいは辛抱しなければなりません。 浪人をすると10年はざらです。 そこまでに要した 学費は回収したいのが親の本音。 子供の行く末を安泰にして、しかも投資の回収は出来るようにしたいものです。

東銀座には歌舞伎座があります。 着物を着飾った上品なご婦人方の街。 そこから北へ歩くと3分ほどで書道家の美術館 に行き着きます。ダウン症の書道家。鉄の扉を引いて中に入ると心で書かれた文字の一つ一つが目に飛び込んで来ます。   つくろうものがない純粋さが、その空間に満ちているようで時間を忘れて観ていました。私は本物を感じたくて、その美術館 で時間を過ごしていました。 社会の構造や数列、科学的知性は持ち合わせない彼女には地位、お金、効率、合理的という 言葉もないようです。 でも幸せな日々を送っていることが文字から伝わって来ます。 純粋な魂の領域で書かれた書道 に感動するのかもしれません。  私はそんな無心な書道家にいつの日かお会いしてみたい。 そんな気持ちで帰って 来ました。 本物には時間を割いて出向いて行きたい。 いつも私はそう思っています。 

2010年2月17日の藤沢氏(外資系金融トレーダー)の見解に以下のようなものがありました。 「理・工学系で日本の最高峰といわれる東大理1の学位取得10年後の平均年収は約880万円、医学部卒業生の平均年収は   1,600万円以上。しかも理1卒業生は会社経営者などの非常に少数の成功者が平均値を釣り上げているが、大多数は   500万円~700万円しか稼げない。また約5%が東大に行ってまでワーキングプアに身を落とすことになる。その点医学部   卒業生は平均年収の高さもさることながら、そのバラツキの少なさは注目に値する。悪くても1000万円ぐらいは稼げるの   である。つまり、医学部の方がリスクも少ないのである。リスクが小さくリターンも大きいなら、それを選ばない人はいない。 このようの考えれば「なぜ田舎の国公立医学部は東大より難しいのか?」という問いは馬鹿げているように思える。   その証拠として、東京医科歯科大学などの首都圏の医学部は、東大理1よりもはるかに難しい。以上のように、将来年収の   期待値を考えれば、日本の異常な医学部人気も、標準的なファイナンス理論の枠内で全て説明できる。偏差値の高い高校生   が医学部に進学し、親もそれを勧めるのは、要するに金なのである。また、結婚市場においても、医師の強さは突出してる。   いわゆるイケメン/ブサメンによる二分類で、ブサメン側にカテゴライズされる医師でも、かなりの美人と結婚するケースが   多数観測されている。その点、同じ側に分類される東大理1卒業生で年収500万円のエンジニアがかなりの美人と結婚する   可能性はほぼ絶望的といっていい。美人という限られたリソースの分配もやはり医師に集中しているのである。これでは   偏差値の高い理系高校生が、理学部や工学部に進学することこそ異常な行動であろう。ところで、美人と結婚したブサメン   医師の子供が、お母さんの容姿とお父さんの頭脳を受け継ぐかというと、実際にはその逆が驚くほど多い。つまり、お父さん   の容姿とお母さんの頭脳を受け継いだ子供が生まれるのである。そんな子供が適齢期になると背中にNの字がついたリュック   を誇らしげに背負い、中学受験にはげむというわけである。むろん、お母さんの頭脳を引き継いでいるので全く出来が悪い。   いきおい医学部入学のために何年も浪人することになる。これでは貴重な教育資源の浪費ではなかろうか。」 このコメントを書いた藤沢氏は医者になるまでの苦労とその道のリスクに目が向いていません。医学部を卒業するまでに親が 投資をする額と人生で一番輝いている青年期に脱落してしまう秀才達の数が年間1100名もいることが、この道の大変な リスクであることを知らないようです。 多くの学生と、これから医師の道を進ませようとするご父兄様には、このことは 最低限理解して、それでもあえて進むのどうか判断して頂きたいと思います。 世界の人口が19世紀から飛躍的に増加してます。 医学、科学、化学、薬学の進歩の賜です。 帝王切開も日本では 1852年に初めて行われました。欧州も19世紀から。しかし当時は80%の妊婦は亡くなられてます。その後の進歩でかつて は亡くなっていたはずの命が助かっています。ワクチンも開発され、多くの命が救われました。医者になる人はそういう 人の命を助けるという志がなければならないと強く思います。 

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