代表のブログ

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私自身が巡らす思いの全てがエネルギーとして外側に出て行きます。 そしてそれは同じような思いを巡らす人の心を 引き寄せたり、周囲の人たちの同種の思いを刺激したりするでしょう。 その思いは、結果として自分の元に何らかの良い 反応や、悪い反応として戻ってくるでしょう。 人の心と心の間には思考エネルギーの絶え間ない交流がなされているようで 自分が気にしていない場所でも、そして遠く離れた場所であっても多くの化学反応を引き起こしているように思えます。 私自身の荒々しい身勝手な思いは、破滅的なエネルギーを生み、他の人たちの心の中にある悪いものに刺激を与え 、それらを増殖させてしまう。 そしてそれはお天道様に吐いたツバのごとく自分の身に混乱を与える為に舞い戻ってくる。  一方、思いやりに満ちた穏やかな思いを抱いた途端、不安と悲しみの荒波に喜びを振り撒き、傷ついた心に癒しの雨を 降らせることが出来るように思えます。 まるで目に見えない暖かいエネルギーが伝わって行くように。  こんな私に何が出来るのだろう? たまにそう思う事があります。  先月31日の木曜のすすき野での稽古のことでした。 9月に入ってくれた3年生が他の子供に比べて基本が出来ていない ことが改めて気になりました。 早速その日の夜に、その子の御母さんに自分の思いお伝えし、「2月の末からでも30分 づつ、稽古が終ってから1対1の個人レッスンをさせてもらいたい」と私の方から申し出ていたのです。2月は昇級審査や 演武会を控えていたので、そのような一人ひとりの些細な出来不出来を気にしていては前に進めないと思う気持ちと、 どうしてもそのままにしておけないという相反する気持ちが交錯し私は立ち止まって居ました。 しかし結論はすぐに 見出せました。 一人の一歩を喜べないで、また一人の成長を見いだせないで指導などする価値はないと。  お母様には率直に感じたことをメールに書かせて頂き、その翌々日、お父様から今までの御苦労の御様子などもお聞かせ 頂き、私からの申し出も快くご了解頂くメールを頂戴したのです。 そして演武会が終わった翌週の23日の土曜のみすずが丘 で17時から17時半までをマンツーマンレッスンとして始めることとしました。これからの土曜日はその子と30分間を一緒に 過ごします。 基本も。そして集中力を高めるための稽古も。また空手以外のことも一緒にやろうと思っています。  私の提案は読書。本を読むことを楽しんで欲しい。本に親しみを感じる子であって欲しい。身体を鍛えて筋肉や骨に刺激を 与えるのと同じくらい、脳に刺激を与えたい。 読書をして感動し感性を磨いて欲しい。そこから何かが生まれるはず。  そんな思いで土曜の17時からの30分をどんな時間にするのか知恵を絞っています。  第1回目の23日。覚えの悪さにキツイ言葉。反復。地味な稽古。しかし1対1なのでやはり集中しているのが見て取れました。  これからどんな有効な時間に出来るだろう? 私にはまったく分かりません。 しかし、演武会も子供たちの顔を思い浮 かべながら工夫をして構想を練ってみんなで練習をやったら初めてにしてはいいものが出来たと思います。 ならば、 どんな成果があるかは分かりませんが、一人の子の成長を見る為の時間に知恵を出してみよう。 今はそんな気持ちで います。 私は優しく輝くその子が、自信に満ちた片鱗を見せてくれる日まで、このマンツーマンレッスンをやり続けようと 思っています。 

児童手当の申請・受給を受け、高校授業料無償(年間約11.9万円)を受ける前提でも、幼稚園から高校まで公立に 通い私立文系を4年で卒業したとすると約900万円。国立大学を卒業した場合でも760万円。これに大学生の高価な 教科書代、下宿代、交通費、生活費が加算される訳です。 5万円の仕送りを4年間すると、それだけで240万円。 ということは国公立・私立を問わず、文系の大学を出るということは子供一人に1千万円ほどの負担はかかるということ。 これだけ見るとウンザリ。しかし毎月の収入と出費を細かく見ながらやっていくと出来るものです。実際には、この費用 に加えて小学校・中学校・高校の間には受験の為の塾代、予備校代も加わってくるということと、家を購入したり、車を 買ったりするので、出費はかさむ方向にあります。 ざっと子供一人につき1千5百万円。しかし、これは16年間の合計。 月々では約7万8千円。 これなら何とかなりそう。 子供が二人でも15万円ほど。 しかし、これだけお金をかけて、 いい大学を出て、いい会社に入ってもリストラされる世の中。 今は荒波の平成。右肩上がりの昭和ではないので、 どの道を選ぶかは迷うところです。 教育費をかけて開成・麻布・双葉に入れて国家公務員? 学校の先生? 教育委員会?  弁護士? 超有名企業? ボートレーサー? 競馬のジョッキー? 将棋の棋士? 消防士? 警察官? 自衛隊?  ごく普通の一般企業? カジノのディーラー? マジシャン? 音楽家? 落語家? 漫才師? 保育士? 看護師?  医者? はたまた代議士? いずれにしても、その道に進むには、どの年齢(段階)で何をすべきかをしらないとその道には 入れないということ。 しかし、多くの場合、教育にお金を費やす割りに、自分たちが関わって来た職業以外の選択肢の 情報が少ないために、その子供は親の経験則を超えられないのです。 ならば親が世の中の他の職業選択肢に興味を 持って吟味し、子供の才能・性格などを考慮すれば適切な時期に適切に生きるアドバイスを出来るはず。  まさに、このプロセスが大事。 またもう一方、こういう生き方もあります。それは子供がやりたいことを探すのを待って、 それまで教育資金にお金をかけず、その分をそっくりそのまま子供の為に預金をしておいてあげるのもお金の活かし方 です。 今は過去の日本の生き方や成功パターンから距離を置き、自らの手で起業することも子供の可能性として 視野に入れておくべき時代なのかもしれません。 大切なのは何を考え、どういう一歩を踏んで生きる人間に育てあげるか ということ。 つまり子供の脳のどこの分野に刺激を加え続けるかで、その子の人生設計が決まるのであって教育費用 の大小では決してないのではないかと思えてなりません。

過ぎ去りし日の夢     希望に満ちていたあの頃      とわの愛を夢見て      神もお許しになろうと でも虎は夜やってくる     雷のように低くうなり      希望を八つ裂きにし      夢も恥と変わる 私は夢見る あの人が    共に人生を歩んでくれると    でも かなわぬ夢もある    避けきれぬ嵐もある こんなはずじゃなかった     こんな地獄で暮らすとは     こんな哀れな姿で     夢破れし 我が人生 Anne Jacqueline Hathaway が Fantine として歌う "I dreamed a dream"は Susan Boyle ほど上手く心に響きます。 Susan Boyle の歌で一番いいのは、Britain's Got Talent の予選会で歌った「夢破れて」。 有名になったあとの歌は 洗練され過ぎて、上手いのですが感動はありません。 何かを打ち破るものではなく、綺麗に整った感じ。 あの予選会 で世間をあっと言わせた空気はどこに行ったのでしょう。 人は夢が叶うまでが美しく、輝いているのかもしれないと つくずく思います。 夢が現実のものになる瞬間、私はそんな感激に触れていたい。  神山昌子さんは 何度、夢破れたことでしょう。 世間に埋もれながら 夢を忘れない人が世の中にはたくさんいます。 出産後に離婚。 34歳で法律に触れ、37歳から司法試験に挑戦し、一人息子に背中を押されながら23年目に合格。 すでに60歳。 いったいどれほどの涙を流せば夢はかなうものなのでしょう。 夢の途中で挫折する人がどれほど多い ことでしょう。 でも私は夢はかなうまでの道のりが大事だと思っています。 かなうか、かなわないかは問題ではない。 それを成し遂げようとする姿が尊いのだと思うのです。 そこには輝いてる心があるから。 アン・ハサウェーの歌と スーザン・ボイルの予選会の歌には、そんな心があるように思えます。

1962年、ノーベル文学賞を受賞したがアメリカ国内の批評家からの評価は必ずしもよくなく晩年の生活は決してめぐまれた ものではありませんでした。1968年、ニューヨークで心臓発作をおこして66歳で死亡した作家はモントレーのサリナス 生まれでした。モントレーからサリナスまでは車で30分。 1950年、そのサリナスとモントレーを舞台に書かれた小説は 映画化され日本でも有名です。  1955年、ある映画の撮影終了1週間後の9月30日、サリナスで行われるレースに向かうために同乗者の自動車整備士 と共に愛車のシルバーのポルシェ・550 スパイダーでカリフォルニアの道を走行中、午後5時59分にコレームあたりの 46号線と41号線の東側の分岐点で、横からはみ出してきた車と衝突。整備士は車外に投げ出されて骨折、相手の 運転手も軽傷で済んだが、24歳の若者は、ほぼ即死状態でした。サリナスの事故現場にはその後、モニュメントが 建てられました。そこには事故の起こった夕方5時59分を永遠に忘れないために∞で括られた文字が書かれてます。 「James Dean 1931 Feb 8 - 1955 September 30 PM5:59 ∞」 BSで録画してあったその人の映画 East of Eden を久しぶりに観ていたら、夜中の3時過ぎ。アメリカの昔の映画は中身が あって面白い。 日本の昔のものとは大違い。 このアメリカの映画を観ているとサリナスがどんな場所なのか知りたく なって、この原作も読んでみたくなります。 もちろん、その方の書かれた『怒りの葡萄』も、『二十日鼠と人間』も読まず にはいられなくなります。私はこうやっていろんなノーベル文学賞の受賞者の作品を読みふけるのです。 でも今日はもう寝ないと。 明け方の3時39分。 世の中はすでに深い眠りの中です。 

私はドラえもんの気持ちでいつも子供達を看てます。そしてドラえもんに長けておられる横山泰行さんのドラえもん 考察はいじめ問題に対する捉え方としても参考になると思えるのです。    そこにはこうあります。 グズでノロマで無気力な弱い男の子の代表であるのび太は大の泣き虫。おばあちゃんはそれを観て「転んでも転んでも 一人でおっき出来る強い子供になって」と嘆願され、「ぼくダルマになる。約束するよ、おばあちゃん」と幼稚園児ののび太 は答えました。やがておばあちゃんが亡くなってのび太が小学校4年生の時。ドラえもんが未来の世界へ帰らなければ ならなくなりました。帰る前の晩のこと。のび太とドラえもんはなかなか寝付かれませんでした。月の美しい晩でした。 二人は思い出のいっぱい詰まった土管の広場を散歩する事にしました。ドラえもんは未来の世界に帰るにあたって 「ジャイアンやスネ夫にいじわるされても、やりかえせるだろうか」、「一人で勉強できるだろうか」と気になることを のび太に聞きます。するとのび太は胸を張り「ばかにするな! ひとりでちゃんとやれるよ。約束する!」と断言します。 そんな言葉を耳にするとドラえもんはホロリと大粒の涙を流し「ちょ、ちょっと、その辺を散歩してくる・・・」と言って その場を離れます。しばらくするとジャイアンが鼻提灯を膨らませながら寝ぼけて土管の広場あたりに現れました。 ジャイアンはのび太の姿にハッとして「おれが寝ぼけてるところみたな」と因縁をつけ胸倉を掴んできました。のび太は いつものようにぶっ飛ばされました。何度も何度も立ち上がってはのばされました。しかし「ぼくだけの力で君に勝た ないと・・・ドラえもんが安心して・・・帰れないんだ!」と絶唱し執拗に戦いを挑みました。やがてジャイアンは 「やめろってば、悪かった。俺の負けだ」と白旗を上げていました。 のび太が生来持っていた戦う勇気という心は 委縮して眠ったままの状態だったのです。のび太はドラえもんの日々の献身的な子育て愛とダルマさんになる! というおばあちゃんとの約束によって何度も挫折しながら立ち上がることが出来ました。のび太は覚醒して行く闘う心 が一歩一歩強化され、しなやかな男の子へと成長していきました。 私は、こんな子供たちであって欲しいと思っていると、今日、2011年10月に起こった大津市の中学生いじめに関する最終 報告書が大津市長に渡されましたとのこと。 1年と3カ月経って今ようやく。  私は、一人でも多く、のび太のような子供が秘めた能力を覚醒してくれることを願って病みません。  弱い子のために。 グズで、ノロマで、泣き虫の子供たちのためにこの空手クラブはあると思ってます。

「私は幸せを自分のものにしようと追い求めてきた。  そそり立つ樫の木や揺れるブドウの藪を横目に。 丘を越え 谷を渡り 野を走り 野原を抜け 私は幸せを追った。 私は急流を必死で渡り ワシが鳴く断崖をよじ登り あらゆる大地と海を旅して歩いた。 しかし私はいつも幸せを取り逃がした。 終いに私は疲れ果てて 目まいがし もはや追えなくなっていた。  そしてうらぶれた岸辺に腰を下し 私は身体をやすめることにした。 ある者が食べ物を  ある者がお金を求めてやってきた。 彼らの痩せた手のひらに 私はパンをのせ 金貨をのせた。   そしてある者が思いやりを ある者が休息を求めてやってきた。 私は彼らに可能な限り分け与えた。 するといつしか 私は満ち足りた思いの中に居た。   私の足が踏み入れるのを あらゆる道が待っている。 明るい道  暗い道  生きている道 死んでいる道  広い道  狭い道  高い道  低い道  穏やかな道  病んでいる道 今、私は自分で歩きたい道を歩くことが出来る。 素早く あるいはゆっくりと。 そして 私は知るだろう。  どれが良い道で どれが悪い道なのかを。」 先日、読んだ本にはこんな道の話が書いてました。   今、新幹線で横浜に戻る途中。  果たして良い道と悪い道が分かる人がどれほど、この世にいるのだろう。 そして自分はどうだろうと 考えていたら、うとうとと つかの間の眠りについてしまったのでした。 電車の振動はゆらぎの世界。 私は、いつも このF分の1ゆらぎの世界に浸りながら 深い眠りにつくのです。

極真空手を始めて9カ月。小学校1年生としたら強くなってきた。そして耐えることも、やり返すことも経験して来たから いじめには抵抗力もついてきたことでしょう。学校で、いじめという言葉を気にしないですむようになってくれればという 気持ちでここまで指導もして来ました。今年の7月、暑い盛りに、すすき野小学校の体育館で内受けが出来ず、 泣きじゃくっていたのを稽古を中断し、体育館の外でなだめたこと。 自分より小さな子供のパンチを受けて、痛さよりも びっくりして泣いていた姿。 女の子の蹴りを顔に受けて泣いていた姿。 そんな日々ばかりが頭を過ります。 何度も何度もいろんな壁がありました。 でも、どんなことがあっても、翌日には、いつも明るく、笑顔でいる1年生。 この先、どんなことがあっても何とかやっていけるのではなかろうかと、ほのかな期待を込めていつも看ています。 短期教室は1月3日から始めたので今日が始まりという感覚ではなかったのですが、多くの子供たちにとっては、5日の 今日が稽古の初日。 そんな初日にまた、この子の泣き顔を見ました。  泣いても何も始まらない。だから打ち返せ。やり返すんだよ。 という思いで見ていたためか稽古が終って泣いてるこの子を 膝の上に抱えて話しているうちに、こちらも涙がでそうになりました。  本当に強い全日本クラスの四年生のミットを持つだけでも大変。その彼のパンチをみぞおちにくらっては泣いてあたりまえ。 なので彼とスパーリングをした三年生も泣く寸前。 しかし、こんな上級生に巡り合えた幸運を感じて欲しい。  こんなにうまく、そして強い四年生は、廻りを探してもいません。 そういう相手が自分を強くしてくれていることを分かって 欲しい。 心を鬼にして、叱咤激励をするのが私の役目。決して涙目は見せないようにしないと。 でも子供たちのがんばる姿には心が動いてしまうのです。

タイムマシーンは現実のものになる時には私はこの世にいないでしょう。 しかし理論上は既に可能になっている ようです。光の速度は秒速30万キロ。そして現在の宇宙ロケットは秒速24万キロ。あと少し早くなれば未来を 見ることが出来るというのが今の物理学で証明されています。アインシュタインが1916年に発表した一般相対性 理論がもたらした成果は大きく、夢が現実に繋がるものだと東大名誉教授で宇宙物理学者の佐藤勝彦先生は 様々な本でわかりやすくして説明しています。 「動いてるものの時間は遅れる」、「時間と空間は縮む」、原爆の 理論を作った「ε=m x c²」 など。 なかでも面白いのは「動いてるものの時間は遅れる」という理論からタイム トラベルが見えて来たということです。 その一般相対性理論を応用した説明はこういうものです。 高速で移動すれば時間は遅れる。たとえば光の速さの99%のスピードで飛ぶ超高速宇宙ロケットに乗り込んで 宇宙を10年間旅して地球に戻って来たとします。この時、地球は70年経過していることになるのです。ジェット機 だとわずか1000万分の1秒なので微量で分かりにくいのです。しかし、これもまぎれもなく1000万分の1秒 遅れているのです。 過去へのタイムトラベルも可能なようですが物理学では理論が分かれ、明確になっていま せん。母殺しのパラドックスが説明できないのです。過去に遡って自分の母を殺してしまったら自分は消えるのかが 論理的に説明できないのです。 しかし、アインシュタインの理論が発表された1916年から約100年が経とうとして いますが、この百年で原爆を作り、またタイムマシーンの可能性を明確に出来た人類の可能性はやはり凄いものだと 思います。見えないものを現実のものにするのですから。 この先、加速度的に相対性理論と量子論が確立され、 新たな物理学が生まれてくることを願ってやみません。 アインシュタインは9歳ころまで、ろくに会話が出来な かった変わった子供だったようです。暗記や集団行動が苦手。大学受験失敗。大学では中の上。但し、本人が言う には「唯一才能があったとすればラバのような強情さで自分の興味のあることに情熱を注ぎ、没頭する姿勢を崩さな かったことだ」と。 天才も実は普通の人だったようですが、やはり多芸でなく一つのことをやり続けることが潜在能力 に灯を燈すのでしょう。 しかし、私はアインシュタインが自分を表する際に表現したラバとは一体どんな動物なのか   良く知りませんでした。 調べてみると雄のロバと雌のウマの交雑種の家畜。そして体が丈夫で粗食に強く、役力も   あるので経済的な家畜。気性は大人しく、臆病な動物とあります。つまり、こういう人間が偉大なことを成し遂げる   土壌があるということなのでしょう。今まで動物園でラバを観ても気にもかけずにいましたが、いつの日か動物園に   行く機会があったら、その檻の前でアインシュタインが何故自分をラバだと言ったのかをジッと観察してみようと   思っています。 ところであなたは自分自身をたとえると一体どんな動物でしょうか? ラバ?馬?サル?    私は「マグロ」。 熱帯、温帯海域に広く生息し、泳ぎを止めると窒息するため、たとえ睡眠時でも停まらず   動いている生き物です。そして適度な脂肪もありますので。

運命は宿命ではないと理解したのはここ15年のことです。縦軸に運命があるとすれば、横軸に原因と結果の法則 があって、縦と横をつなぎ合わせた絵が、その人の人生だと思うようになって来ました。宿命のように、すべてが あらかじめ決まってしまっているとしたら、それほど面白くない人生はないでしょう。 また海には潮目があるように 人生にも昇りのエスカレータに乗って何もしなくても前に進めたり、逆に、下りのエスカレーターを昇る羽目になって しまい、いくら頑張っても陽の目を見ない時もあるでしょう。 たとえば、手漕ぎボートで海出たとします。満ち潮で あれば岸に容易に辿りつくでしょう。しかし、引き潮に出くわせば、いくらもがいても岸から離れてしまうばかりです。  人生、1+1=2 にはならない理由がそこにあります。 どうみても悪事ばかり働く意地悪な人が、いい暮らしをして いたり、バカ正直者が惨めな暮しをしいられていたりするのは、原因と結果の法則から見て逆の状況にあるために、 いいことを想い描いたところで結果は変わらないどころか、世の中は、やはり自分中心で、人を押しのけて、人を踏 みつけてでも上を目指すしかないと思う人もいるはずです。 しかし長い目で半年、1年、3年、5年というスパンで人 の人生を見ると、帳尻は必ず合っているように思えてなりません。それは人も企業もすべて同じようです。 137億年前に宇宙が生まれ、地球は46億年目。光合成の生物は32億年。恐竜は1億5千万年前に生まれました。 猿人類は2500万年前。北京原人は50万年前の人。現代人は10万年前にやっと出てきました。日本列島が大陸 から離れたのが1万3千年前のこと。そして古代エジプト文明やメソポタミア文明が現れたのは5千年前。 いずれにしても137億年前から宇宙は膨張し素粒子状のものが中性子、陽子、中間子を生んで原子を形作り あらゆる生命体を創って来ました。植物も動物も、そして人間も、この流れの中で生まれました。このように宇宙の 生物は「無から有を生む流れ」の中にあるように思えます。 ならば、我々は、そういう発展する流れに沿った生き方 をしたいものです。 では人生の目的は何でしょう? そして何のために人は生れたのでしょう?  それは一言では表現しずらいのですが「世の為、人の為に尽くすこと」ではないかと私は漠然と捉えています。 具体的には「仕事を一所懸命やる事」。「研究に熱中する事」。「技術を磨く事」。「掃除を心をこめてやる事」。 「食事をつくる事」。「洗濯をする事」。「相談に乗ってあげる事」。「挨拶をする事」。「ありがとうと声をかける事」。 「感謝する事」。「ごめんねと謝る事」。「正直である事」。「嘘をつかない事」。「譲る事」。「愛情を表現する事」。 「感動を分かち合う事」。「褒める事」。そして「綺麗な心であり続ける事」。 運命を切り開く為には実は、こんな 些細なことが大事なのではなかろうかと思っているのです。

10月4日の朝、尊い命が、その人の意思でこの世から消えました。まだ生命を授かってから13年の女の子です。 豊島岡女子中学の1年生。 教頭は「いじめは一切ない」と言ってました。 まだ学校現場ではいじめはなくなっていません。 なくなる訳がありません。日本人の特性がそうさせるのですから。表立ってではなく陰湿に異質を拒む気質が日本人には あるのですから、いじめはなくなることは決してありません。 そんな中、12月8日小田急座間駅で戸板中学校1年生の 女の子が電車に飛び込んで、自らの意思で命を絶ちました。 2学期からいじめは助長されると聞いてましたが、やはり そうだったのかと思い知らされます。2学期になっていじめが強まり、耐えて耐えて2ヶ月、3ヶ月が経っても現状が 変わらないから、この世に見切りをつけたのでしょう。中学生は小学生と違いホルモンバランスが崩れ子供から大人に 変わる時期なので感覚的に敏感になるために、そして親の枠から出て、自分で自分の方向を決めて動けるようになって 来るころなので、こういう方向に向かってしまうのだと思います。小学生は、いじめはあっても、まだ親の傘の下にいて 自分で命の灯を消すような行動は取れないのです。但し、そういう考え方、生き方を擦り込まれて来てしまった上で 中学生になって、自我が出始める周りの生徒たちの無意識のいじめの的になってしまうと前途を照らすはずの灯も目に 入らなくなってしまい、孤独の内に自分を葬ることになるのでしょう。 こういう事件の起こった後には、必ず、その学校、 警察、教育委員会は蜂の巣を突っついたような騒ぎになって、事の隠ぺいに走り、自分の責任回避に手を尽くすのです。  「いじめは一切なかった」と教頭が言い張るならば何故、その子は死んだのでしょうか? 教育者として不適任な方が、まだいるようです。 ならばどうすればいいのでしょうか?  この先は期待に反し、決して、いじめはなくならず、先生たちの多くは、隠ぺい工作、責任回避、見て見ぬふりの達人と なるでしょう。 それが現実ですし、その実態をそのまま受け入れるべきです。ここは日本なのですから。それが嫌なら 外国に移住するべきです。 それが出来ないならどうすればいいのでしょうか? 簡単です。いじめに負けない子供を 幼稚園や小学生のころから育てるだけです。いじめに対する免疫を付ければいいだけです。 そういう考え方をご両親が 持つだけで子供は救えるはずです。 すべては親の成す技、親の積み上げてきた結果なのです。原因は全て大人が 作っている訳です。ならば、その原因を変えるだけなのです。 教師や教育委員会、警察に頼る前に、子供を産んで 育ててきたお父さん、お母さん達が原因を取り払うことで全て結果は変わるように思います。子供は宝。そして親の後ろ姿 そのものが反映された人生を歩むのです。 その第一歩は人々に対する偏見を放棄することだと思います。するとその時から人々が示してくる偏見に穏やかに対処 出来るようになるはずです。人は人々を残酷に、しかも誤って評価することで、自分自身と人々の双方をより不幸せに する代わりに、人々の体験の中に侵入し、人々の心の内を理解し、人々のために感じ、人々と同調することで自分自身と 人々の双方に、より大きな幸せをもたらせるようになると思います。この心の姿勢の最大の敵は「偏見」です。それを心から 取り除くことが出来ない限り、自分がして欲しいと考えていることを人々にしてあげることは不可能です。「偏見」は優しさ、 思いやり、そして正しい判断の破壊者です。そして偏見の強さは残酷さ、不親切さの物差しです。偏見が心の中に出現 したが最後、人はもはや、理性的な生き物ではなくなります。軽率な行動や、怒り、その他の極めて有害な感情に身を 任せることになるはずです。この偏見に支配されてる限り、人の気分も、自由も尊重することがありません。偏見とは 個人が自分勝手に真実だと思い込んでいる、まったく誤った個人的見解にしか過ぎません。それに染まっていることを 認識しない限り、他人の立場を冷静に認識しようとすることもせず、悪意の罠からいつになっても逃れられません。 その結果、当然のごとく真の幸せも手に出来ないのだろうと思うのです。 こどものいじめにおける問題の全ては大人自身の仕業によるものだと断言できるのはそういう背景からなのです。

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