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東銀座には歌舞伎座があります。 着物を着飾った上品なご婦人方の街。 そこから北へ歩くと3分ほどで書道家の美術館 に行き着きます。ダウン症の書道家。鉄の扉を引いて中に入ると心で書かれた文字の一つ一つが目に飛び込んで来ます。   つくろうものがない純粋さが、その空間に満ちているようで時間を忘れて観ていました。私は本物を感じたくて、その美術館 で時間を過ごしていました。 社会の構造や数列、科学的知性は持ち合わせない彼女には地位、お金、効率、合理的という 言葉もないようです。 でも幸せな日々を送っていることが文字から伝わって来ます。 純粋な魂の領域で書かれた書道 に感動するのかもしれません。  私はそんな無心な書道家にいつの日かお会いしてみたい。 そんな気持ちで帰って 来ました。 本物には時間を割いて出向いて行きたい。 いつも私はそう思っています。 

年少さんから稽古への参加を認めてはいるものの個人差があるのは事実です。 確かに年長さんにも個人差が あります。年中のSHOWYA、 年少のIRYUWは同じ年代の子供としては成長が早い気がしてなりません。 何がそうさせる のかはわかりませんが、一つ言えることは親と離れている時間が長いほど、しっかりしてくるということです。 私は幼稚園まで母親に着いて買い物に行き、井戸端会議にも母親の後ろ側について行ってました。何かをしゃべる 訳でもなく、黙って母の後ろに隠れてついていた気がします。 うち弁慶そのもの。 KOWTAROやRIHITOを観ていると 同じような色を感じます。 父親と一緒に居た記憶はなく、また父親に寄り添う気持ちもありませんでした。 昭和の サラリーマンは、みな子供育ては母親に任せていたのですからしようがありません。 なので、ろくに話しもしなかった 父にいきなり野球を一緒にやろうと機嫌を取られても、一緒に居たくないのだから、困ったものだと子供心に不満を感じて いました。 多くの子供は母親と過ごして来た時間が長いので母親と一緒に居ると安心だし、会話も普通に進むのです。 私の場合は明らかにそうでした。 しかし、欧米では子供が寝る時は一人で寝かしたり、親離れを早くする傾向にあります。 自立を促す育て方です。 親が助けてしまうことは良くないのでしょう。 近くに居れば「よしよし」といいながら親が何もかも してしまう。 そういう親は子供にとって楽が出来て、温室の保護の元で暮らせる有難い存在。 しかし世の中に出るとそうは 行きません。 私は中学の頃、子離れが出来ない両親に嫌気がさし、早く一人で暮したいと思っていました。 自分で苦労し ながら何もかもやってみたいと思うようになっていました。 今、世の中を見渡すと子離れが出来ない親御さんが多いのが 気になります。 子供を大事に思うが為に過保護になり過ぎ、結局、何も苦労させない、それどころか自身で判断させない ような可愛がりようなのです。 これでは子供は温室育ちで、社会の荒波には耐えられません。 失敗しそうになっても 手を貸してはならない。 あえて自分自身で歩ませねば。 そんな親としての強い意志が子育てには必要です。 12億人の信者の頂点を決めるバチカンのコンクラーベは115人のカトリック枢機卿:教皇の最高顧問達の2/3の 票があつまるまで、何度も何度も投票を繰り返し、そしてやっとのことでその頂点に立つ人を選びます。 この根競べに耐えた人がその頂点に立ちます。 世の中そういう根競べが山ほど待ち受けています。その場に勇んで 立ち向かって行くようなチャレンジ精神旺盛でしかも、忍耐の心を兼ね備えた子供を私は育てて行きたい。

児童手当の申請・受給を受け、高校授業料無償(年間約11.9万円)を受ける前提でも、幼稚園から高校まで公立に 通い私立文系を4年で卒業したとすると約900万円。国立大学を卒業した場合でも760万円。これに大学生の高価な 教科書代、下宿代、交通費、生活費が加算される訳です。 5万円の仕送りを4年間すると、それだけで240万円。 ということは国公立・私立を問わず、文系の大学を出るということは子供一人に1千万円ほどの負担はかかるということ。 これだけ見るとウンザリ。しかし毎月の収入と出費を細かく見ながらやっていくと出来るものです。実際には、この費用 に加えて小学校・中学校・高校の間には受験の為の塾代、予備校代も加わってくるということと、家を購入したり、車を 買ったりするので、出費はかさむ方向にあります。 ざっと子供一人につき1千5百万円。しかし、これは16年間の合計。 月々では約7万8千円。 これなら何とかなりそう。 子供が二人でも15万円ほど。 しかし、これだけお金をかけて、 いい大学を出て、いい会社に入ってもリストラされる世の中。 今は荒波の平成。右肩上がりの昭和ではないので、 どの道を選ぶかは迷うところです。 教育費をかけて開成・麻布・双葉に入れて国家公務員? 学校の先生? 教育委員会?  弁護士? 超有名企業? ボートレーサー? 競馬のジョッキー? 将棋の棋士? 消防士? 警察官? 自衛隊?  ごく普通の一般企業? カジノのディーラー? マジシャン? 音楽家? 落語家? 漫才師? 保育士? 看護師?  医者? はたまた代議士? いずれにしても、その道に進むには、どの年齢(段階)で何をすべきかをしらないとその道には 入れないということ。 しかし、多くの場合、教育にお金を費やす割りに、自分たちが関わって来た職業以外の選択肢の 情報が少ないために、その子供は親の経験則を超えられないのです。 ならば親が世の中の他の職業選択肢に興味を 持って吟味し、子供の才能・性格などを考慮すれば適切な時期に適切に生きるアドバイスを出来るはず。  まさに、このプロセスが大事。 またもう一方、こういう生き方もあります。それは子供がやりたいことを探すのを待って、 それまで教育資金にお金をかけず、その分をそっくりそのまま子供の為に預金をしておいてあげるのもお金の活かし方 です。 今は過去の日本の生き方や成功パターンから距離を置き、自らの手で起業することも子供の可能性として 視野に入れておくべき時代なのかもしれません。 大切なのは何を考え、どういう一歩を踏んで生きる人間に育てあげるか ということ。 つまり子供の脳のどこの分野に刺激を加え続けるかで、その子の人生設計が決まるのであって教育費用 の大小では決してないのではないかと思えてなりません。

10月4日の朝、尊い命が、その人の意思でこの世から消えました。まだ生命を授かってから13年の女の子です。 豊島岡女子中学の1年生。 教頭は「いじめは一切ない」と言ってました。 まだ学校現場ではいじめはなくなっていません。 なくなる訳がありません。日本人の特性がそうさせるのですから。表立ってではなく陰湿に異質を拒む気質が日本人には あるのですから、いじめはなくなることは決してありません。 そんな中、12月8日小田急座間駅で戸板中学校1年生の 女の子が電車に飛び込んで、自らの意思で命を絶ちました。 2学期からいじめは助長されると聞いてましたが、やはり そうだったのかと思い知らされます。2学期になっていじめが強まり、耐えて耐えて2ヶ月、3ヶ月が経っても現状が 変わらないから、この世に見切りをつけたのでしょう。中学生は小学生と違いホルモンバランスが崩れ子供から大人に 変わる時期なので感覚的に敏感になるために、そして親の枠から出て、自分で自分の方向を決めて動けるようになって 来るころなので、こういう方向に向かってしまうのだと思います。小学生は、いじめはあっても、まだ親の傘の下にいて 自分で命の灯を消すような行動は取れないのです。但し、そういう考え方、生き方を擦り込まれて来てしまった上で 中学生になって、自我が出始める周りの生徒たちの無意識のいじめの的になってしまうと前途を照らすはずの灯も目に 入らなくなってしまい、孤独の内に自分を葬ることになるのでしょう。 こういう事件の起こった後には、必ず、その学校、 警察、教育委員会は蜂の巣を突っついたような騒ぎになって、事の隠ぺいに走り、自分の責任回避に手を尽くすのです。  「いじめは一切なかった」と教頭が言い張るならば何故、その子は死んだのでしょうか? 教育者として不適任な方が、まだいるようです。 ならばどうすればいいのでしょうか?  この先は期待に反し、決して、いじめはなくならず、先生たちの多くは、隠ぺい工作、責任回避、見て見ぬふりの達人と なるでしょう。 それが現実ですし、その実態をそのまま受け入れるべきです。ここは日本なのですから。それが嫌なら 外国に移住するべきです。 それが出来ないならどうすればいいのでしょうか? 簡単です。いじめに負けない子供を 幼稚園や小学生のころから育てるだけです。いじめに対する免疫を付ければいいだけです。 そういう考え方をご両親が 持つだけで子供は救えるはずです。 すべては親の成す技、親の積み上げてきた結果なのです。原因は全て大人が 作っている訳です。ならば、その原因を変えるだけなのです。 教師や教育委員会、警察に頼る前に、子供を産んで 育ててきたお父さん、お母さん達が原因を取り払うことで全て結果は変わるように思います。子供は宝。そして親の後ろ姿 そのものが反映された人生を歩むのです。 その第一歩は人々に対する偏見を放棄することだと思います。するとその時から人々が示してくる偏見に穏やかに対処 出来るようになるはずです。人は人々を残酷に、しかも誤って評価することで、自分自身と人々の双方をより不幸せに する代わりに、人々の体験の中に侵入し、人々の心の内を理解し、人々のために感じ、人々と同調することで自分自身と 人々の双方に、より大きな幸せをもたらせるようになると思います。この心の姿勢の最大の敵は「偏見」です。それを心から 取り除くことが出来ない限り、自分がして欲しいと考えていることを人々にしてあげることは不可能です。「偏見」は優しさ、 思いやり、そして正しい判断の破壊者です。そして偏見の強さは残酷さ、不親切さの物差しです。偏見が心の中に出現 したが最後、人はもはや、理性的な生き物ではなくなります。軽率な行動や、怒り、その他の極めて有害な感情に身を 任せることになるはずです。この偏見に支配されてる限り、人の気分も、自由も尊重することがありません。偏見とは 個人が自分勝手に真実だと思い込んでいる、まったく誤った個人的見解にしか過ぎません。それに染まっていることを 認識しない限り、他人の立場を冷静に認識しようとすることもせず、悪意の罠からいつになっても逃れられません。 その結果、当然のごとく真の幸せも手に出来ないのだろうと思うのです。 こどものいじめにおける問題の全ては大人自身の仕業によるものだと断言できるのはそういう背景からなのです。

いつも穏やかな心で、清らかな優しい思いだけを巡らして、どんな環境の中でも幸せを感じていられたら、どれほど   素晴らしい事でしょうか。 周囲の人たちを正直にしたいなら、まず、自分が正直にならねばなりません。 そして   家庭と環境を幸せなものにしたいなら、まず、自分の心が幸せでいっぱいにならねばならないと思うのです。 先日、田園都市線大井町駅のトイレで40歳台の女性と50歳台の女性が清掃作業をしている場面に出くわしました。 黙々と床を磨いては、「ありがとうございました」と入って来る人達に声をかけているのです。 私はトイレに入って   ありがとうございました。と言われたのは初めてだったので、何だか新鮮な気持ちになりました。 その方々は一日  何人の方にこの感謝の言葉を伝えているのだろうと、ふと考えてみたのですが、引っ切り無しに入ってくる人たちに、 感謝の言葉を発したとすると7秒に1回。すると1分で8人に挨拶する計算です。1時間で480人。2時間で 約1000人です。 この清掃業を半日だけ行ったとして4時間で2000人です。これを10日間続けると20,000人。 20日間で40,000人です。一か月20日間、半日だけパートをされたとしても、あの方々は一か月で40,000人に 清らかな思いを伝えていることになります。年間で480,000人。3年続けると1,440,000人。  私は、その言葉を返すことも出来ずにいました。「こちらこそ」、とか「お蔭様で」となぜ素直に、さらっと言えなかった のかと反省しておりましたし、歯切れの悪さに、情けない思いがしました。 いい年をして、そんなことも 出来てないなんて。 ところで、私は今日何回、ありがとうって言っただろう?って振り返ってみるとたった4回。 そうすると一ヶ月間に多く見積もっても120回ほど。あの方々が15分でこなす回数を私は一カ月間かけて口に していたことになります。これでは感謝した日々を送っているとは言い難いかもしれません。 大井町の駅で出くわしたあの方々のお陰で、自分のレベルがわかったような気が致しました。   私は、私の思いが私を連れてきた場所に立っています。明日の私は、私の思いが私を連れていく場所に   いるでしょう。 自分の思いが原因となり結果を生むように、自分の人生は自分が思ったように出来あがって   います。そして、その人生は、これから先を自分の好きなように変えることが出来ると私は思っています。

「弱い者をいじめることは人間として絶対に許されない。いじめる側が悪い。また、いじめを傍観したり   する行為も同様に許されない」というのが文部科学省の見解。それを子供たちと保護者に徹底させる   ことが必要だというのです。また学校の断固とした姿勢も必要だということも書いてありました。いじめ   は決して許さないという断固とした姿勢を学校が示し、場合よっては停学などの厳しい措置をとること   を知らせることが必要だというのですが、私にはこのような第三者的な言い方は大津教育委員会の   対応と大差ないように感じられました。公に省の見解を提示するとなると、このような表現になるのも   、やむを得ないのでしょうが。 しかし、学校の教育現場で、そういう対応があったとしたら、現場の   改善には至らないように感じます。子供たちに距離感がある言い方では何も解決は出来ません。    全ては自分の子供に対するのと同じです。目を看て褒めて、やらせて、また褒める。   泣くこともあるでしょう。でも出来ないことを何度もやらせて、また褒めてあげます。子供の純真な   気持ちは目に現れているから私もあきらめず、そうし続けます。もちろん文部省や学校が唱える    建前に異論がある訳ではありません。 しかし大事なのは、子どもの名前を呼んで、目を看て、    語りかけること。そういうことを繰り返す中で、次第に微かな灯りが見えてくるように思えるのです。    子供たちに空手を教えながら心の目を看るようにしているとかなり疲れを感じる時があります。    幼稚園から小学校低学年の子供たちが集中出来るのは、せいぜい30分くらい。 それはどんな   子供でも同じです。 そういう子供たちを飽きさせず、しかも自信をつけさせるように時間を使うには   、工夫が必要になってきます。一人一人の顔色と目と動作を看ながら気持ちを感じて、それに応えて   行く訳ですから、気を抜くことはできないのです。    稽古の最後には 道場訓を唱和して黙想をします。私はこの時間が一番好きです。黙想の時の一瞬   の静寂。汗が静かに伝わる時間。心が満足する時間。道場訓の唱和から、ほんの2-3分の時間の   為に、昔から稽古に参加してました。 仮病で休もうとした時でも勇気を出して稽古に出た時などは、   この最後の静寂の中の黙想で、いつも心の垢が落ちたように感じました。 まだわからないと思い    ますが、いつの日か子供達にも、そのことを感じて欲しいと思っています。 今日もこれで貴重な   1日を終えることが出来たという実感が子供たちの心で感じられる頃には、いじめられた思いは、    頭から消えているでしょう。そして子供の成長を感じられるのは、たぶんその頃からだと思うのです。

3月30日の ある新聞に東大のことが書かれていました。東大学生の家庭年収調査結果です。東大学生の 52%は年収950万円以上の家庭のご子息で、17%が450万円未満だというのです。この実態をどう見れば いいのでしょう。やはりお金がないと塾には通わせられないし、中高一貫校にも入れられない。結局のところ裕福 な家庭しか望めないというようにも読み取れます。しかし、親の年収が高いか低いかではなく、何に親の関心が あるのかということも子供の将来に影響を与えるように思えるのです。それは「親の思い」、「親の視野」、「チャレンジ 精神」、「親の経験」など様々です。 親が真剣に子供の将来を考えて、いつも気にかけ、あきらめずに育て上げれば 結果として鳶が鷹を産んだと言われるようになるかもしれません。東大に入るにはその家の年収ではなく、その 家の親の志のようなものが影響するのではないかと思えます。親とは母親です。母親があきらめないで志を高く もってこそ、子供の将来は大きく開けるように思えます。 東大の秋入学の記事を読ませて頂いて、なんだか勝手に、そんなことを考えておりました。 今は、春の高校野球が真っ盛り。なんとも心に残る選手宣誓。きれいな心の言葉は何度聞いても気持ちがすがすがしく なります。AIJの社長のニュースとは対照的なものでした。一流大学を出て一流企業に入り7千万円もの給料を 手にしても心が磨かれてないと結局は一時的な繁栄で終わるということが、また繰り返されていたようです。あの社長 なら秋入学を率先したのでしょう。私には、春でも、秋でも変わりはないように思えるのですが、ただ、心を磨くことを 怠ると一時的な繁栄に目がくらむ人ばかりが世に蔓延るように思えてなりません。 頭のいい子供を育てる過程では そこを誤ってはならないと強く思いました。

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