浦和高校は私の父が通っていた高校だけに妙に懐かしい響きがありました。父は昭和24年に入学しましたが家計
が苦しく浦和高校を中途退学して川口のサッポロビールの工場に働きに出ました。戦後間もない頃の話です。父は
勉強がしたくて浦和に入ったのですが、母子家庭であったことで自分の将来よりも今の家計を考えたようです。しかし
、このサッポロビールも一部上場企業なので学歴がものを言うのは明らかでしたが昭和24年当時は、この選択肢
しかなかったようです。30歳代になると、そのことが顕著になり父よりも若く、社歴の浅い人が上司についたなどと
愚痴っていたことを思い出します。浦和中退=中卒であった父の肩書きは班長、主任がいいところでした。そんな
父の口癖は大学は出ないと駄目だということで兄も私も、その通りにさせて頂きました。父は自分と同じ苦労をさせ
たくはなかったのでしょう。今、私の長男が医者の道に進もうとしています。その息子が今の3年生から、その先、
留年することなく順調に行ったとして医師国家試験を受験できるのは2016年2月。亡き父がサラリーマン時代に学歴
で苦労し出した30歳ころ(1965年)から、医学の分野で学歴で頂点を極めるまで世代を超えて約50年もかかることに
なります。しかし、是非成し遂げてもらいたいし、本人もそれを信じ勉強に励んでいてくれてることと思います。医者
の家庭から医者を出すの大変な苦労を伴うものではないでしょう。しかし、そうでない場合は素質・資金・運がない
と叶わないと思います。それに加え何よりも、その親の信念・努力がないと子供は親の枠を超えられません。自分
が受けてきた教育以上の教育を子供に施す信念と余裕が、その親になければ、その子供は、その親以上には
なれないのです。私が目指すものは、そのような世代を超えたワープです。子供が親以上になってくれること、
親が成し遂げられなかったことを成し遂げてくれることにあります。親がその気にならなければ子供の人生は
変わりません。 という訳で、この空手クラブは、単なる空手だけを教える場ではなく、教育の場であり、
いずれご父兄様方と子供達の人生設計を考え・語り合える場を設けることが最終目標です。 遠くない日に、
こういう会話をご父兄様達と出来るようになればと思います。努力はいずれ報われる。そう信じております。
またこの空手クラブは、そう信じてる方々との出会いの場でありたいです。