空手会の発展のために
代々木第一体育館での新極真全日本は初めてだと思います。今までは千駄ヶ谷の東京体育館が改修工事中だからなの でしょう。しかし、毎回 新極真の全日本の全体の演出と子供の演武は、他の極真系団体の大会よりも頭一つ抜けている感 があります。また、今までは塚本先生の試合が、常に1本勝ちを狙う空手の醍醐味を味わうことができたので、技、スピード、 パワーから見ても他の極真団体よりも新極真は頭二つリードしていたというのが率直な自身の感想です。 私は毎年、 秋~冬にかけて行われる極真系の全日本大会には顔を出し、自分の空手センスを磨いたり、マンネリ化を感じる稽古 の中で刺激をもらったりしながら、自分の空手にかける意識レベルで維持するようにもってきていました。誰に指示された からでもなく、大阪での体重別全日本にも必ずと言っていいほど通ったものです。 今回は一緒に観戦したご家族は大人、子供合わせて28名、その他会場でお会い出来ませんでしたが2家族の方が 来ておられたはずですので、たぶん33名の方々と観戦させて頂いた訳です。この巡り合わせに本当に感謝の気持ちで いっぱいです。夏のバーベキューといい、こういう機会は大切にしたいと思います。また今後、お母様達からの声で何かが 出来ればといつも思います。 さて、肝心な試合内容ですが、2日目に残った方々の試合ということもあり、1日目よりKO シーンは少ないだろうと予測はしていましたが判定での試合決着ばかりに多少、面白みに欠けました。世界大会では、 こういう展開は少なくKO決着必死、空手の醍醐味がギュウギュウ詰めなので、あと3年待たないとならないかもしれません。 それと、やはり塚本先生が凄かったということでしょうか? 日本人同士だと相手を知り尽くしてるからなのか、見ていて ハラハラ感が少ないのです。やはり、極真空手は1本勝ちにこだわる空手でないとだめです。 そういう点から言うと去年 の世界大会の塚本先生の技・スピードは他を圧倒していたという事なのかも知れません。 もう当分、塚本先生のような 逸材はでないだろうと去年の大会を見た時に思ったものです。 今年の選手達はスピードは落ちてはいないものの、 ず抜けた技は見ることが出来ず残念な気がしました。ここに白蓮の内藤、北島選手が何故出て来ないのか? 何故連合会に甘んじるのか? 疑問でなりません。 主戦場はやはり技の最高峰で争ってもらって初めて日本一というもの。 今まで白蓮のトップ3は毎年新極真の体重別には参加すれども、3回戦に行くことすら出来なかった現実があります。 しかし、それでもトップレベルで戦って欲しいものです。また松井派の選手と新極真の選手もどこかで手合わせする場が 欲しいと思います。本当の日本一というには、分裂団体ごとに全日本大会としても真に一番かどうかはわかりません。 油の乗ってる時に、一同に会して雌雄を決する場を作らねばならないでしょう。緑代表と松井館長が同じ席につくことが 空手会発展の礎を築くことになるに違いありません。多くの空手ファンのためにも、そうあるべきです。そこで浜井派が 担うことがあるなら積極的に空手会全体の発展のために尽くさねばならないと強く思います。 今日の子供たちの素晴らしい演武を観て、そう思いました。
黒帯
極真の黒帯は、百貨店やスーパーで買えるものではありません。確かに道着を買って自分で武道道具を扱う業者に 出向いて黒帯を揃えて、帯に名前と極真の文字を刺繡すれば恰好は整うでしょう。しかし、技はどこで買いますか? どこにも売ってません。本で読めば出来るというものでもありません。すべて目と耳と身体全部で体感して覚えるもの。 この対面で覚えるから身体も、ちょっとやそっとでは忘れないのです。何度も、何度も真似をしようと試みれば、その結果 自分なりの形が出来あがります。この真似をする過程で、徐々に感覚も研ぎ澄まされ、自信も生まれ、そして何事にも 動じない心が培われてきます。極真にはペーパードライバーはいません。「試験にあわよくば通って」、というようなラッキー は黄色帯の段階まで。 そこから先は力の世界。うまさは見ればわかるし、強さも見ればわかります。その逆に極真の 緑帯や茶帯で弱い人がいたら、それは可哀想です。極真の緑帯・茶帯クラスとなれば何よりも強いこと。それは身体が 強いこと、スパーリングが強いこと、試合に強いこと、そして心が強いこと。これらのことが備わってなくて緑帯以上に なっていたとしたら、いずれ下の帯の人にやられてしまうでしょう。たまにそういう方に出くわすことがありますが可哀想です。 極真の緑帯以上の帯は、心が強いという証です。黒は何色にも染まらない色。決して、何事にもふらつかない心の証。 そして、その人の生きた証でもあり、プライドなのです。 極真の黒帯は、他流はより取得しにくいと言われます。これは間違いです。誰でも取れるのですが、多くの場合、黒帯 を取る前に辞められてしまうだけなのです。 取れると思い込めば必ず取れると私はそう思っています。私自身がそう だったので。 私は白帯の時、自分の黒帯の姿を何度も想像しました。黄色帯の時も、緑帯の時も。それが茶帯になると、 たぶん自分も極真の黒帯が取れるかもしれないと、薄っすら希望の陽が垣間見れるようになるのです。その茶帯をある 期間経験する内に、いつしか自分が指導者側に立っているのも気づいてきます。それが茶帯の自覚です。その自覚が あると、もう真近。 あとは先生の「そろそろ次の審査で初段を受けてみるか」という言葉を耳にするだけです。 その言葉は審査の半年以上前に聞いて、昇段審査までに覚えなければならない、様々な型、移動稽古、そして組手に 耐えられる身体を創って行きます。これは長年登ってきた山のイタダキが見えた瞬間です。半年はあっという間に過ぎる でしょう。流石に他流で黒帯を頂いた時と違い、極真の黒帯を46歳で頂いた時は感慨深いものがありました。 なので認定証は今でも大事に保管しています。振り返ってみると賞状をもらったのは、そろばん2級と学校の卒業証書 だけ。それが極真の試合に出て優勝や入賞をして賞状、メダルやトロフィーをもらうようにもなると嬉しくて、励みにも なりました。また40歳台にして、自分の逃げない心を授けてもらった大事な経験の場に感謝の気持ちも湧いて来ました。 これら認定証もトロフィーも、すべてが自分の誇りです。 しかも極真の黒帯の認定証と帯を頂いた時は、その何とも 言えない重みと、念願叶った達成感とで、それまでの苦労は露と消えたことを思い出します。 私は、その過程を味わってもらいたくて、今年、出会った方々に指導をしてます。極真の黒帯は夢ではないということを 伝えたくて、一緒に汗を流してます。身体が小さくても、年齢が50歳を過ぎていても、黒帯になられた方を何人も見てきた ので、遥か遠くの手の届かないものでは決してないということを私は伝えていくつもりです。 私自身、多くのご父兄さんたちと同じように、家族に対する顔、そして仕事の顔、そして道着に袖を通し白帯を締め出した 時の空手初心者の顔、それをバランスを考えながら続けて来た結果が今の私です。 15年前を思い起こしながら。いつもがんばれ~!って心で叫んでいるのです。 子供たちも、お父さん、お母さんたちも がんばれ~!と。 あっ、忘れてはならない人がいました。お一人結婚されてない方が。私は、その方が結婚される時 には、ここで出会った方々みんなで祝福してあげたいと秘かに心に決めています。わざわざ世田谷から車で通ってくれる その方も、いろんな意味でがんばって欲しいです。 また育児と家事と送り迎えで忙しいお母さんも学校のことや、ご近所 付き合いのことや、親戚のことやらで気が休まることがないでしょう。 30歳台、40歳台は、そういう中であっという間に 過ぎ去って行きます。極真空手は、そういう走馬灯の中でも何も変わらず、ただ強い心を育んで生きて行くための手段 として、また普遍的なものとして先達たちが築き上げてくれたものです。それを横浜青葉の地で一人でも多くの方々に 伝えて行くのが田中空手クラブの使命だと思っています。私は、一人でも「教えて欲しい」と言われたら、必ず、その人 の為に時間を取るのは、そういう訳なのです。
魚の三姉妹
確か春先のことでした。 今年を占う記事を見たのは。 ちょうど、なでしこジャパンがフランス女子に0-2で負けた試合の ころです。点数こそ2点差でした。しかし内容は走力、瞬発力、戦術面でも、総合的な体力面でも圧倒された試合。これを見た 日本のファンの頭を過ったのは、「なでしこのオリンピック予選敗退」ではなかったようでしょうか。 またちょうど同じころ プロ野球もペナントレースに入るか入らないかのころでしたから、中畑監督も鼻息が荒く、キャスターやレポーターの誰もが 今年のベイスターズは雰囲気が明るくなって何かが変わったようだと言葉を繋いでいました。 また、その頃話題になって いたのは「大阪維新の会」の存在です。橋下大阪市長が国政に出るのではないかとの噂。これらを激辛予測をしたのは 新大久保で韓国料理のお店を三姉妹で出してる運命激辛鑑定士の魚ちゃんでした。 魚ちゃんの占いはこうです。 なでしこはオリンピックの決勝まで行く。中畑監督はうまくいかない。橋下市長は弁護士に向いていて政治家には向かない ので国政に出ると失敗する。 ざっとこんな内容でした。 この中で最初の2件は、みごと的中です。しかし私は最後の 大阪維新の会は勢いも全国規模で広がっているのを拝見し、これだけは、如何に魚ちゃんでも外したかと心の中で思って いました。しかし占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦ですから2/3の確率は66.7%の正解率だから御の字です。 つい最近、橋下市長が朝日新聞とその子会社の週刊朝日の記事をめぐって、ツイッターや記者会見で激しい言葉で 怒りを爆発させている姿をTVで見て、ちょっと気持ちが引きました。これは政治家ではないという感じです。弁護を受け 持つ立場なら有能でしょうが、政治家は風格というか、人格というか、何か人を引き付けるものがあって欲しいと思うの です。私自身、日本の政治を立て直すには若い人が古い体質を刷新しなければならないと感じていましたし、維新の会 の存在は、日本の将来を託せる、あるべき姿なのかもしれないと内心、大いに期待していました。 しかし、あの会見を 見ると、またツイッターのレベルを見ると、「やっぱり何か違うぞ」 という違和感みたいなものを感じてしまったのです。 果たして日本維新の会の行方は、魚ちゃんのいう通りなのでしょうか?魚ちゃんが占ったものは3/3の正解率なのでしょうか? この魚ちゃんの激辛占いは予約制で1日35組まで。一人3000円以上の飲食をすれば無料で見てくれるようです。 私の本音は当たって欲しくない。占いが100%なんてあって欲しくない。未来が決まっているとしたら、そんな未来なんて 面白くもない。未来は切り開くもの。運命なんてありはしない。そこにあるのは自分の意思、切り開く力、未来を変える力、 そういうものがなくて決まり切ったレールの上しか歩めない世の中なら面白くない。 この先がわからないからこそ、むしろ そこに生きる価値があって、そんな山あり、谷ありの過程を自分で描いてみたい。ガス欠になることもあるでしょう。車も 壊れることもあるでしょう。人間関係で苦しむこともまたしかり。 しかし、前を向いて活きて行く為には、決まりきった道程 を決まりきった時刻に過ぎて行くだけでは、魂のない無反応人間になるしかありません。私は持って生まれた奇跡を 楽しむために、失敗も、苦労も、挫折もあってしかるべきと思います。その後に必ず訪れるであろう虹を見る為ならば、 喜んで苦行を味わって活きて行きたいと思います。 魚ちゃんの占いが、そういう意味では外れて欲しいのです。
保健学修士
市川市の築十数年の1kに家賃6万円を払いながら一人暮らしをしている48歳の看護師の方が、肩書きを偽りiPS人体初臨床 という記事がここ2,3日の朝刊、夕刊各紙の1面を飾っています。アメリカの有名大学客員講師、東大特任教授というと 一般的にはすごい方と思われるでしょう。しかし、このご本人は、それが目的ではなく「医学博士号取得」が目的なのかも しれません。いずれにしても読売新聞は、1か月ほど前から当人と面談し10月に入ってからは6時間もご本人の取材に 時間を割いたにも関わらず、こういう根本的な調査を惜しんだ為に、大きな代償を払うことになるようです。大手新聞社としての 信用の失墜と言えます。そもそも医者は医師国家試験に合格しないと医療行為は出来ません。その後大学院へ行って 更に専門的に極めれば、そこでようやく医学博士号が取れるというもの。しかしこれは医学博士の90%の人。残り10%は 医学部卒の医者でない方も、論文博士として「医学博士号」を取得出来るのです。そういう方が日本には10%います。 素人向けには箔がつくので、薬学系、その他工学系、または文系の人も仕事をしながら、もしくは医療関係従事者も 医学研究科に研究生として在籍して論文誌への投稿をしたり、学会で論文を発表したりして認められれば博士号の申請は 出来ます。 今回の森口氏は、看護師資格でありながらも医学博士号取得に向けて積極果敢に動かれたようですが、何かを見落として いたように思えてなりません。そして世の中、決して甘くはないのです。嘘の上乗せを繰り返してワープが出来るのはゲーム の世界だけと思った方がいいでしょう。 パソコンの前で虚像を膨らませ、大手新聞社の記者を言いくるめた先にあるものは、 断崖の先に突き出たレールだけなのですから。 アパートの大家さんに東大教授になったと伝えてしまったりすると、それこそ 後戻りは出来なくなっていたのでしょう。レールの先まで車輪が廻ってしまったあとは奈落の底に落ちるしか道はないのです。 この70歳の大家さんが気にかかることは「何か嘘をつく必要があったのか?」ということと「空き部屋のこと」なのかも しれません。しかし、この大家さんも長らく生きてこられる間に、自身のコメントが新聞紙面に掲載されようとは想像もでき なかったことでしょうが、唯一それだけは森口さんの功績だと、認めてあげてもらいたいものです。今回の件で真面目に 働く看護師の方々や、医療従事者で論文博士号の取得を真剣に目指している方々への影響は少なくはありません。但し、 果たして今回の件において森口氏に罪があるのか非常に微妙です。この話を持ちかけたのは森口氏、しかし、それを 真に受けて掲載したの読売です。私は寧ろ、公正な情報を適時に世に知らしめる役割の読売新聞社には大きな落ち度が あって、この点は大いに社内外で追及がなされるべきだと思っています。
大井町駅
いつも穏やかな心で、清らかな優しい思いだけを巡らして、どんな環境の中でも幸せを感じていられたら、どれほど 素晴らしい事でしょうか。 周囲の人たちを正直にしたいなら、まず、自分が正直にならねばなりません。 そして 家庭と環境を幸せなものにしたいなら、まず、自分の心が幸せでいっぱいにならねばならないと思うのです。 先日、田園都市線大井町駅のトイレで40歳台の女性と50歳台の女性が清掃作業をしている場面に出くわしました。 黙々と床を磨いては、「ありがとうございました」と入って来る人達に声をかけているのです。 私はトイレに入って ありがとうございました。と言われたのは初めてだったので、何だか新鮮な気持ちになりました。 その方々は一日 何人の方にこの感謝の言葉を伝えているのだろうと、ふと考えてみたのですが、引っ切り無しに入ってくる人たちに、 感謝の言葉を発したとすると7秒に1回。すると1分で8人に挨拶する計算です。1時間で480人。2時間で 約1000人です。 この清掃業を半日だけ行ったとして4時間で2000人です。これを10日間続けると20,000人。 20日間で40,000人です。一か月20日間、半日だけパートをされたとしても、あの方々は一か月で40,000人に 清らかな思いを伝えていることになります。年間で480,000人。3年続けると1,440,000人。 私は、その言葉を返すことも出来ずにいました。「こちらこそ」、とか「お蔭様で」となぜ素直に、さらっと言えなかった のかと反省しておりましたし、歯切れの悪さに、情けない思いがしました。 いい年をして、そんなことも 出来てないなんて。 ところで、私は今日何回、ありがとうって言っただろう?って振り返ってみるとたった4回。 そうすると一ヶ月間に多く見積もっても120回ほど。あの方々が15分でこなす回数を私は一カ月間かけて口に していたことになります。これでは感謝した日々を送っているとは言い難いかもしれません。 大井町の駅で出くわしたあの方々のお陰で、自分のレベルがわかったような気が致しました。 私は、私の思いが私を連れてきた場所に立っています。明日の私は、私の思いが私を連れていく場所に いるでしょう。 自分の思いが原因となり結果を生むように、自分の人生は自分が思ったように出来あがって います。そして、その人生は、これから先を自分の好きなように変えることが出来ると私は思っています。