運命は宿命ではないと理解したのはここ15年のことです。縦軸に運命があるとすれば、横軸に原因と結果の法則
があって、縦と横をつなぎ合わせた絵が、その人の人生だと思うようになって来ました。宿命のように、すべてが
あらかじめ決まってしまっているとしたら、それほど面白くない人生はないでしょう。 また海には潮目があるように
人生にも昇りのエスカレータに乗って何もしなくても前に進めたり、逆に、下りのエスカレーターを昇る羽目になって
しまい、いくら頑張っても陽の目を見ない時もあるでしょう。 たとえば、手漕ぎボートで海出たとします。満ち潮で
あれば岸に容易に辿りつくでしょう。しかし、引き潮に出くわせば、いくらもがいても岸から離れてしまうばかりです。
人生、1+1=2 にはならない理由がそこにあります。 どうみても悪事ばかり働く意地悪な人が、いい暮らしをして
いたり、バカ正直者が惨めな暮しをしいられていたりするのは、原因と結果の法則から見て逆の状況にあるために、
いいことを想い描いたところで結果は変わらないどころか、世の中は、やはり自分中心で、人を押しのけて、人を踏
みつけてでも上を目指すしかないと思う人もいるはずです。 しかし長い目で半年、1年、3年、5年というスパンで人
の人生を見ると、帳尻は必ず合っているように思えてなりません。それは人も企業もすべて同じようです。
137億年前に宇宙が生まれ、地球は46億年目。光合成の生物は32億年。恐竜は1億5千万年前に生まれました。
猿人類は2500万年前。北京原人は50万年前の人。現代人は10万年前にやっと出てきました。日本列島が大陸
から離れたのが1万3千年前のこと。そして古代エジプト文明やメソポタミア文明が現れたのは5千年前。
いずれにしても137億年前から宇宙は膨張し素粒子状のものが中性子、陽子、中間子を生んで原子を形作り
あらゆる生命体を創って来ました。植物も動物も、そして人間も、この流れの中で生まれました。このように宇宙の
生物は「無から有を生む流れ」の中にあるように思えます。 ならば、我々は、そういう発展する流れに沿った生き方
をしたいものです。 では人生の目的は何でしょう? そして何のために人は生れたのでしょう?
それは一言では表現しずらいのですが「世の為、人の為に尽くすこと」ではないかと私は漠然と捉えています。
具体的には「仕事を一所懸命やる事」。「研究に熱中する事」。「技術を磨く事」。「掃除を心をこめてやる事」。
「食事をつくる事」。「洗濯をする事」。「相談に乗ってあげる事」。「挨拶をする事」。「ありがとうと声をかける事」。
「感謝する事」。「ごめんねと謝る事」。「正直である事」。「嘘をつかない事」。「譲る事」。「愛情を表現する事」。
「感動を分かち合う事」。「褒める事」。そして「綺麗な心であり続ける事」。 運命を切り開く為には実は、こんな
些細なことが大事なのではなかろうかと思っているのです。