「私は幸せを自分のものにしようと追い求めてきた。 そそり立つ樫の木や揺れるブドウの藪を横目に。
丘を越え 谷を渡り 野を走り 野原を抜け 私は幸せを追った。 私は急流を必死で渡り
ワシが鳴く断崖をよじ登り あらゆる大地と海を旅して歩いた。 しかし私はいつも幸せを取り逃がした。
終いに私は疲れ果てて 目まいがし もはや追えなくなっていた。 そしてうらぶれた岸辺に腰を下し
私は身体をやすめることにした。 ある者が食べ物を ある者がお金を求めてやってきた。
彼らの痩せた手のひらに 私はパンをのせ 金貨をのせた。 そしてある者が思いやりを
ある者が休息を求めてやってきた。 私は彼らに可能な限り分け与えた。 するといつしか
私は満ち足りた思いの中に居た。
私の足が踏み入れるのを あらゆる道が待っている。 明るい道 暗い道 生きている道
死んでいる道 広い道 狭い道 高い道 低い道 穏やかな道 病んでいる道
今、私は自分で歩きたい道を歩くことが出来る。 素早く あるいはゆっくりと。 そして
私は知るだろう。 どれが良い道で どれが悪い道なのかを。」
先日、読んだ本にはこんな道の話が書いてました。 今、新幹線で横浜に戻る途中。
果たして良い道と悪い道が分かる人がどれほど、この世にいるのだろう。 そして自分はどうだろうと
考えていたら、うとうとと つかの間の眠りについてしまったのでした。 電車の振動はゆらぎの世界。
私は、いつも このF分の1ゆらぎの世界に浸りながら 深い眠りにつくのです。