年少さんから稽古への参加を認めてはいるものの個人差があるのは事実です。 確かに年長さんにも個人差が
あります。年中のSHOWYA、 年少のIRYUWは同じ年代の子供としては成長が早い気がしてなりません。 何がそうさせる
のかはわかりませんが、一つ言えることは親と離れている時間が長いほど、しっかりしてくるということです。
私は幼稚園まで母親に着いて買い物に行き、井戸端会議にも母親の後ろ側について行ってました。何かをしゃべる
訳でもなく、黙って母の後ろに隠れてついていた気がします。 うち弁慶そのもの。 KOWTAROやRIHITOを観ていると
同じような色を感じます。 父親と一緒に居た記憶はなく、また父親に寄り添う気持ちもありませんでした。 昭和の
サラリーマンは、みな子供育ては母親に任せていたのですからしようがありません。 なので、ろくに話しもしなかった
父にいきなり野球を一緒にやろうと機嫌を取られても、一緒に居たくないのだから、困ったものだと子供心に不満を感じて
いました。 多くの子供は母親と過ごして来た時間が長いので母親と一緒に居ると安心だし、会話も普通に進むのです。
私の場合は明らかにそうでした。 しかし、欧米では子供が寝る時は一人で寝かしたり、親離れを早くする傾向にあります。
自立を促す育て方です。 親が助けてしまうことは良くないのでしょう。 近くに居れば「よしよし」といいながら親が何もかも
してしまう。 そういう親は子供にとって楽が出来て、温室の保護の元で暮らせる有難い存在。 しかし世の中に出るとそうは
行きません。 私は中学の頃、子離れが出来ない両親に嫌気がさし、早く一人で暮したいと思っていました。 自分で苦労し
ながら何もかもやってみたいと思うようになっていました。 今、世の中を見渡すと子離れが出来ない親御さんが多いのが
気になります。 子供を大事に思うが為に過保護になり過ぎ、結局、何も苦労させない、それどころか自身で判断させない
ような可愛がりようなのです。 これでは子供は温室育ちで、社会の荒波には耐えられません。 失敗しそうになっても
手を貸してはならない。 あえて自分自身で歩ませねば。 そんな親としての強い意志が子育てには必要です。
12億人の信者の頂点を決めるバチカンのコンクラーベは115人のカトリック枢機卿:教皇の最高顧問達の2/3の
票があつまるまで、何度も何度も投票を繰り返し、そしてやっとのことでその頂点に立つ人を選びます。
この根競べに耐えた人がその頂点に立ちます。 世の中そういう根競べが山ほど待ち受けています。その場に勇んで
立ち向かって行くようなチャレンジ精神旺盛でしかも、忍耐の心を兼ね備えた子供を私は育てて行きたい。