「1943年、大学生だった私は学徒動員で海軍に入隊し特別攻撃隊に志願しました。通称、特攻隊。爆弾を搭載した
飛行機に乗り、そのまま敵陣に突っ込む。出撃の指令が出れば、すなわち死を意味する。自身の命を掛けた出撃。
あまりにも非日常的な精神状態がそこには存在していました。突撃に向かう時は必ず二人乗り。操縦や偵察には
下士官が乗り、後ろの席には予科練の若い人が乗る。予科練は、まだ中学生の年齢。そんな年端もいなかい子供達
も軍務についていたのです。
その日の朝、親友が操縦席に乗り込みました。そこに予科練の子が乗り込もうとした時に、友が大声で叫びました。
「お前は来るな!」、「嫌です。私も一緒に行きます!」 その子は涙を流しながらそう叫びました。 「お前はここに
残れ。 これは上官である私の命令だ!」 友はそう言い残して空へ飛び立って行きました。 まだ子供であるその
子に対する情。ただそれだけを守る為にたった一人で飛び立ったのです。そういう人間がいたことを忘れない。
彼らのような人間のお蔭で私は生かされている。 そのことを私は決して忘れない。」
これは千利休から15代目のある有名な方の話です。
第2次世界大戦の戦死者は212万人。 陸軍は165万人、海軍は47万人。
その7割にあたる148万人の方が餓死で世を去りました。 海没では海軍18万人、陸軍18万人です。
遠くの父母、そして妻や子を思いながら土に還り、海の藻屑となりました。
まだ咲かない夢を抱いて。 まだ見ぬあどけない夢を描いて。
みんな消えていなくなりました。 まだ旅の途中なのに。
明治15年2月25日に開館した遊就館では、旅の途中に夢がついえた英霊のご遺徳に触れることが出来ます。
先日、九段下からすぐの場所に、思いを同じくする方と行ってきました。