男稼業
電車に乗って思う事は、ここ最近日本人はいい人、優しい人が増えたということだ。 昔、池袋や上野、新宿 辺りは、肩で風切るお兄さんたちが多かった。 時代は変わった。 日本は変わったんだとつくづく思う。 中国では危ない雰囲気の人がうようよしている。 日本の昭和の時代のようにギラギラしてる人が目に付く。 日本は、落ち着いた、いい人が増えた。 これも文化だと言ってしまえばそれまで。 人は丸くなって怒らなくなった。 しかしそれでいいのだろうかと首をかしげたくなる時がある。 スマートに活きる人間ばかりが日本では受け入れられる。 雑草のように生きることを忘れてしまった日本。 そんな日本で我はそれでも毒気のある男稼業を貫き通さねばならぬと強く思う。
ひまわり
人が幸せだと感じるのはどんな時なのだろう。それは十人十色。 でもこの四つは外れてないように思う。 ①人に愛されること。 ②人に褒められること。 ③人の役に立つこと。 ④人から必要とされること。 たとえ、これらのことの一つが欠けていたとしても、それはヨシとしよう。 もし、これらのどれも無かったとしても、遠い暗闇の先にある、ほのかな灯りをたよりに生きて行きたい。 そして出来るならば人を愛し、人を褒めることは心して活きて行きたい。 それが結果として人の役に立って、人に必要とされれば、それはそれでいい。 人は誰しもさまざまな悩みや心配事を抱え活きている。 もしそんな暗く沈んだ顔に出くわしたら、「大丈夫。 きっとうまく行くから」 と言ってあげたい。
四万六千日
7月9日は大山総裁のお墓参りと観音様のお参りに護国寺まで行って来ました。 たまたま行った日が「四万6千日法要」という聞きなれない御利益のある日だったのでビックリでした。 夕方18時から境内で浄瑠璃があって、19時から「四万6千日法要」。 何が何やらわからない内の出来事で したが一升枡の入るお米の量が四万六千粒らしく、その一升と人間の寿命の一生をなぞらえて、年に1回、 その日にお参りに来られたら、四万六千日間毎日お参りをしたのと同じくらい御利益があるという有難い日なんだ と親切なお坊さんが教えてくれました。 それが7月9日と10日の2日間。 このことを全く知らずに、たまたま お墓参りに向かった日がその日であったというだけで結局、6時からの浄瑠璃と法要と偉い御坊様の説法を 20時過ぎまで聞いていました。 心が洗われる時間でした。 振り返ってみると偶然とは言え、 誰かがその説法を私に聴かせようとする意思があったような、ないような、何やら不思議なことの成り行きで 1日が過ぎました。 こんな日もあるんだなと思いながら四万六千日って何年? この日のお参りで125年 もの間、毎日お参りしたことになったんだと、帰りの電車の中でも感謝の気持ち、ひとしきりでした。