大学の空手部の合宿は奈良県吉野でした。木こりしかいないんじゃないかって思えるほどの山奥。
そんな山奥で修業されてる人がいたとは当時は知りませんでした。 千日回峰は比叡山が有名。
でもそれよりも更に過酷なのは大峰山の千日回峰。それが吉野で行われているのです。1300年も
前から。 標高364mの吉野蔵王堂から標高1719mの山上ヶ岳の大峰山寺までの片道24kmを
標高差1400mを毎日15時間かけて往復するというもの。 比叡山のそれは30kmと言われてますが
実際には24-5kmとのこと。 つまり吉野大峰山の千日回峰はその倍の長さの48kmを1400mの
標高差がある中で5月3日から9月22日までの120日間を休まず往復するという最も過酷なものです。
比叡山も過酷なものなので400年で達成者は47名のみ。 しかし吉野の大峰山千日回峰は更に
少なく1300年で2名と極端に少ないのは、こういう訳だったんです。48kmを1400mの高低差の
けもの道を歩けば普通は1日でも膝に水が溜まってしまうでしょう。 それを1年休まず120日歩き
続けて、それを9年かけて満行となるような荒行は他にないかもしれません。 気が遠くなるような
修行です。 それを1999年に満行を迎えられたのは塩沼亮潤大阿闍梨。現在44歳。 その塩沼
様が影響を受けたのは比叡山で二千日回峰を満行された酒井雄哉大阿闍梨。その師匠は箱崎
文応大阿闍梨。みなさん満行された方です。 箱崎様は名前でおわかりの方もいるかもしれません。
いわきは小名浜の方です。 39歳の時に自分が乗っていた船が沈没し2人しか助からなかったことで
人生の無常を感じて比叡山に入山された方です。 偶然助けられた命でした。 その方の元に来たのが
学校でも落第生、その後仕事についても怠け癖がぬけず中途半端な人生を歩んで来られた酒井様。
大阪で暮らしていた頃に奥さんが自殺したのが酒井様がこれまた39歳の時。 大変落ち込んでいる姿
を見かねて近所の方に連れて来られたのが比叡山。 せっかく来たんだから、と礼拝行という立ったり
座ったりを百八回繰り返すことを仰せつかり、そのままその行をやり通してるうちに、又せっかくだから
みんなと一緒に生活しなさいと言われて、訳も分からず、ぐるぐる回ってるうちに比叡山に出家して
しまった方が酒井様です。 後々千日回峰を満行されるとは誰も想像出来なかったと思います。
この酒井様が47歳で千日回峰を始める日として師匠の箱崎様が指定したのが箱崎様自身の誕生日
であった4月7日。 実はこの4月7日は酒井様の奥様が自殺された日でした。 その日に酒井様は
荒行に出て行ったのです。
「毎日毎日、一日が今日は今日でお終いだ。明日は違った自分が生まれてくるんだ。とやっている
うちに気が付いてみたら、二千日が過ぎてしまった、ということだけで、それだけのことじゃないですか」
と千日回峰を2回満行された時に酒井様は言っておられたことを思い出します。
私が壁にぶつかった時に、いつも思い出す言葉です。 「今日は今日でお終い」