たとえば試合に出るとしよう。 体調が万全でなく、怪我により稽古もままならず、とても試合どころでは
無かったとしても、一切の言い訳をせず、色んなものを背負いながら、その場に挑むことが出来るだろうか?
逆に言うと、そのような試練を自分に与え、それをまっとうすることで魂の浄化を図るとでも言った方が
いいかもしれない。 その魂の次元を一段でも上げて行くために、それぞれの試練の意義があるのだろう。
試合の後でも言い訳をせず、勝って驕らず負けて腐らずという姿勢を貫くことも忘れてはならない。
つまり、こうした一貫した姿勢を養うことが、実は心の練磨であり、そういう心の成就をこの道場では
目指している。 どんな局面においても「折れない心を創る」、または「言い訳をしない生き方」
をまっとうするのだ。勝敗は二の次で良し。そうでなければ心の成長には行き着きそうもない。
努力に対する最も価値ある宝は、努力の末の成果ではなくその過程で創られる我々自身の姿そのもの。
挫折と敗北、どん底の経験から学ぶものがある。人の失敗こそ、その人の人生を輝かせる第一歩なのだ。
今は出来なくても、いつかは必ず出来る。どんな道でもチャンピオンは、その肉体で勝ち取れるのではなく
その人の精神力によって創り上げられるのだ。
たかが人生。何が起こったっていいじゃないか。 そう思わねば思い切ったことは出来ないはずさ。
人生、どん底から這い上がる時が面白いんだ。 そう思わねばやってられない。