好きな時に起きて、好きな時に音楽を聴いて、そして好きな時にご飯を食べる。 好きな時に眠りを
むさぼり、好きな時に好きな場所に行ける。 やろうと思えば何だって出来る。 何て幸せなのだろう。
くだらないことだと思うかもしれない、こんな話を冷めた思いで眺めている人もいるかもしれない。
いつの日か輝こうとしている人の耳には左から入り右に抜けてしまう言葉。
何の役にも立たない言葉なのだろう。
真夏の夜空のことを真冬に語っても、心にしみわたるはずもない。 でもいつの日にか分かる日が
来るはずさ。 もう二度と戻らない日々を走り続けている君達にもいつの日か。
夕暮れ過ぎた街角の交通事故。 瀕死の状態で担ぎ込まれる姿。 何人もの尊い命があっけなく
散ってしまうことかと思う。 中には息も絶え絶え、まだ生きている。そんな姿にも出くわすこともある。
そんな時にいつも思う。 満足な肉体を持って、普通に生きていることの有難さを。 あっという間に姿を
消してしまった若者たちに、五体不満足な身体でも生きたいかと問えば、どんな答えが返って
くるのだろう。 やり残したこと、約束していたこと、目指していたこと。 親に伝えきれずにいた思い。
数えだしたら限はないだろう。 ならば、そういうことが実現できるとしたら、五体不満足であっても
生きて行けるのならば、持てるものを活かして精一杯生きてみたいと思うのではないだろうか。
そしてもし出直せるなら、危険があるから、リスクが高いから、怖いから、度胸がないから、諦めるような
そんな生き方はするはずもない。 うまくいくかわからないけどやってみよう。 一度失くした命だと
思えば、それくらいのことはやってのけるのではないだろうか?
今、満足な肉体を持って生きている者にとって、危険は避けたいもの。だからリスクがあるなら
諦めて安全を選ぶ。 でもそれは無念の思いで命をなくしてしまった人たちに口がさけても言えない。
我の持てる力と思いとを思う存分ぶつけながら生きるとしか言えないじゃないか。
一生を感動の中に生きて、一生を燃焼していければそれでいいだろう。
ただ満足な身体があることがどれほど幸せな事かを忘れなければそれでいい。
そんな幸せの中に生きていることを決して忘れなければそれでいい。
何も悟れなくったって、それはそれでいいんだから。