三十代には三十代の空手があるように、四十代には四十代の空手がある。 そして五十代にも、それ相応の
空手人生がある。五十代の人が二十代の若者たちと同じ稽古を続けたとしたら、数日のうちに身体を壊してしまう
でしょう。 という訳で、いつもここの稽古生には、如何に生きて行くのかが大事だと説明しています。 試合は二の次。
まずそれぞれの人生をまっとうに生きること。つまり家庭を大事にして、仕事でも手を抜かず、前を向いて生きる活き方
それが大事なのだと伝えて来ました。 そんな中で続ける極真空手を通して健康な身体を手にして、精神的にも健康な
人がこの空手クラブに増えていくこと、これが大事だと考えています。 ですから短期的に無理をして身体を壊したり、
怪我で仕事に影響が出るようであれば、それは本末転倒です。 求めるものは健康と、より素晴らしい充実した人生を
送る為の空手であって欲しいと思うのです。 しかし、そうは言えども極真空手は同好会的なものではなく、余暇を楽しむ
スポーツとは一線を画しています。 つまり、苦しさや、辛さ、痛みと言うものがついて回るものであり厳しさを伴うものなの
です。 ですから出来るだけその人のレベルにあったものを提供しようと思い、皆さんに無理をさせない内容の稽古も考え
たりもしています。 そして、その極真空手の稽古の中から、苦難を乗り越えて行くのはご自身であり、自分を向上させて
行こうとする意識もご本人になければ続くものではありません。 社会人として空手を続けて行くことの難しさは自分自身
が経験してきたこと。 ですから、ある意味、誰よりも、その難しさは理解出来ます。 仕事に追われ、また
家庭のこと、子供の進学と教育のことで休日も返上するのが一般的な社会人であり、総じて三十代、四十代は空手どころ
では無ったというのが正直な気持ちです。 疲れて帰ってくれば一杯飲んでくつろぎたい、やっととれた休日は休みたい、
何で好き好んで、あえて痛い思いをしなければならないのか? と考えるのは、むしろ一般的な価値観でしょう。 しかし、
それでも、あえて仕事の合間を縫うようにコツコツと稽古に励む人を見ると心の底から敬意を称したくなったものです。
そして子供達の為に身をもって我が背中を見せて、生き様を見せる姿には心打たれるものがあり、それこそが真の
教育だと思うのです。 それでも尚、何の為に空手を習うんですか? との問い掛けに「ただ強く成りたいから」 と
男としてのやんちゃな心を忘れないオヤジさんたちに出くわすと、我ら、オヤジたちの人生も決して満更ではないぞ
と愉快になり、一杯飲んで夜を明かしたくなるのです。 三十代以上の空手家に、そういう生き方があってもいい
のではないかと勝手に思っています。
男なんだから決して男の本分を忘れまじ。
男なんだからやんちゃな人生を送るもよし。
男なんだから何事も一所懸命に生きるべし。
さあ、男なんだからズルをしないで泥臭く生きてみようじゃないか。
勇敢であれ! 明日は我らのためにあるんだ!