「恐怖心というのは人生の一番の友人であると同時に敵でもある。ちょうど火のようなものだ。火は上手に扱えば
冬には身を暖めてくれるし、腹が空いた時には料理を手助けしてくれる。暗闇では明かりともなりエネルギーになる。
だが、一旦コントロールを失うと、火傷をするし、死んでしまうかもしれない。」
「つまるところ、ボクシングの究極の科学というのは、相手が打ち返せない位置からパンチを打つことだ。
打たれなければ試合に勝つからだ。」
「ボクシングでは人間性と創意が問われる。勝者となるのは、常により多くの意志力と決断力、野望、知力を
持ったボクサーなのだ。」
「勇者と臆病者は、恐怖心にどう対処するかで違ってくるのだ。英雄だって、皆と同じように怯えている。
だが、臆病者は逃げてしまうが英雄は逃げたりしない。最後までやり遂げようとする自制心を持っている。
つまり、最後までやり遂げるかやり遂げないかで、人は英雄にも臆病者にもなるのだ」ーーーこれらの言葉は
12歳の時、喧嘩で片目の視力を失いプロボクサーへの道を絶たれ少年が後に伝えた言葉だ。
1933年、その少年も25歳になり、マンハッタンのグラマシー・ジムの中にエンパイア・スポーティング・クラブ
を開き、ボクサーのトレーナーを始めていた。 このグラマシー・ジムからフロイド・パターソン、ホセ・トーレス
など多くの有名なボクサーが生まれた。 22歳で既に白髪・色盲であり、片目という状態であったその男は
ボクシングトレーナーとしてチャンピオンを育て上げ名伯楽としての世界的な名声を手にした。
晩年は、半ば隠居生活を送っていたが1979年に知人から12歳の少年を紹介される。
その桁外れの才能に世界チャンピオンになれる男と確信するほどに惚れ込むことになる。
1983年にその16歳の少年の母親が亡くなりその青年の法的保護者になった。
やがて、その青年は1985年3月6日に18歳でプロデビューし初戦を白星で飾った。 そしてこの年
その青年が19歳で11連勝を飾った直後の11月に、男は77歳でこの世を去った。
私は当時26歳。 19歳の青年が凄い旋風を巻き起こしていた最中だっただけに衝撃的だった。
1年後の11月22日、男が言ったとおりにその青年は20歳5か月でWBC世界チャンピオンになっていた。
男はイタリア系のコンスタンチン・ダマトといい、青年の名はマイクタイソン。
スタイルは違えどナジーム・ハメド、 フロイド・メイウェザーとともに、カスのピーカーブーディフェンスは変則的
だけど素晴らしい。 明日11月4日はそんなピーカブースタイルを追求したこの男がこの世を去った日。
どれほどの人が、そんなコンスタンチンの事を思い出すのだろう。