不安と心配があるのはごく普通のことで、それを抱える人は正常だ。 つまり、不安なこともなく危険なことに
頓着しない人は、非常に結構なことのように思えるけれども、それは逆に言うと無鉄砲で、いつ事故や事件
に出遭ってもおかしくない人なのかもしれない。 だから不安を感じない人はある意味、非常に危険な人なのだ。
それと、もし不安や心配のない隠居生活が長く続いたとしたら、それこそ向上意欲もなくなり新しいことも生まれて
こないことになる。 そういう意味では、人生は、ある程度の不安や心配があって良しではないだろうか。
不安や悩み、心配事に果敢に挑み、難しい人間関係や育児、受験そして無理な要求にも正面から向き合い、
創意工夫で、それらを乗り越えて行けたとしたら、それは人生の生き甲斐にもなり、仕事や学業、家族生活の
遣り甲斐にもつながってくる。 それがまた新たな生きる喜びを生んでくるのだと思う。
やらなければならないことが山ほどあり、それらが、また思うように進まないこともある。 そうすると気ばかり
焦って、どれもこれも中途半端に陥ってしまい、また迷路の生活に首を突っ込んでしまう。 そうすると
自分の不甲斐無さに嫌気がさして来て、何もかもが嫌になってしまう。 でもそんな時には完璧など出来っこない
と思うしかない。 神ならぬ人間の身で完璧などあり得ないし、そんなことくらい出来なくても大勢に影響はない。
不安や心配、そして焦り。 どれもこれも人間ならではのこと。 サルや犬、そして猫もカメもそんなことで
悩みはしない。 人間、感情の動物なのだけれども、この心を楽にすることを覚えていくことが自信を掴む
ことに繋がるのではないだろうか?
チェレンジして失敗しても、時間に追われて約束していたことが出来なくても、太陽と地球と月の関係には
なんら影響はない。 宇宙はそれほど人間などに頓着なく、あるべき姿で着実に進化している。