いつ何が起こるか分からない世の中になってしまった。
300年も前の鎖国の真ん中に生きた江戸の人は生まれて死ぬまでが安泰だったのだろう。
しかし今は、思うに任せない事ばかり湧いては弾ける世の中だ。
だから、そのたび毎に心がくじけてしまっていては身が持たない。
人は何度も転んで、何度も起き上がる事が出来る。
起き上がるごとに逞しくなってさえいたら、転ぶことも悪くはない。
ただ、転んで、すぐに立ち上がれない人も居る。 そんな心がくじけた人に向かって
闇雲に、こうすればいい、ああすればいいなどと安易な言葉を吐く無神経な人がいる。
相手の心を見ずに淡い夢を語るのは禁物だ。
フワフワした夢物語など何の役にも立たない事がある。
そもそも夢とは、いきなり叶うことはない。 子供の時に聴いたお伽話の世界でもない。
夢とは、今を必死に生きる、ぬかるみの世界の中にこそ、その種がある。
だから今を一所懸命、手抜きをせずに生きようと伝えて来た。
必死に生きることに意義と価値を見出し努力を続けるんだと伝えて来た。
そうする中で、夢に向かう道筋が眼前に現れてくる。
その道を一歩一歩、地面を確かめるように踏みしめて歩いていく。
今日も、そして明日も、同じ道を歩いて行く。
夢にたどり着くとは、そんなことでしかない。
考えてみれば、もともと地上に道などはなかった。
でも歩く人が多くなれば、そこが道になる。
夢にたどり着く道とは、そんなことで出来上がった道なのだ。
嵐のような逆風が吹いても、真正面から向かうしかない。
苦難や不合理の嵐もいずれ止むのだと信じて、明日もその道を歩いて行こう。