ある日、ある所にお父さんと幼稚園に通う男の子が居ました。
「ねえ、ママ、帰って来るよね。」
「ママの行った所はずっと遠いところだからお彼岸には間に合わないかもしれないね」
とお父さんは答えました。
昨年の9月に奥さんを乳がんで亡くしたお父さんは5歳の我が子と2人暮らし。
愛おしくも不憫でなりません。
母親は亡くなる3日前、息子を抱きしめながら言いました。
「ママね、遠い外国のお医者さんに病気を治してもらおうと思うの」
「だから、病気を治して帰って来るまで、いい子で待っててね」
「遠い遠いところに居るけど、ママに会いたくなったら、大きな声でママ〜って呼んでね」
「その声が聞こえたら、ママは遠い外国から帰って来るから」
あれから1年が過ぎようとしていた9月のことでした。
「ぼく、忘れてた。 ママを呼んで来なくちゃ。 大きな声でママを呼んで来るよ」
言い出したが早いか裏山に駆け出し子供の姿は見えなくなってしまいました。
「ママ〜、ぼくだよ〜、帰って来てね〜、きっとだよ〜」
「ずっと、パパと待ってるんだから」
その声は向こうの山に届き、木霊して青い空に昇って行きました。
純粋な心を大切にしたい。
子供たちの心は素直で澄みきって居る。
純粋な気持ちをいつまでも持ち続けて欲しい。
中には手抜きをしたり、嘘やズルい生き方に染まった瞬間に出くわすこともある。
そんな時には遠慮などせず本気で叱る。
この子の性根を据えさせるためにこちらも本気にならねば。
小さな芽のうちに叱っておくのだ。
小さな頃に道を外すと叱られる。
そういう思いを残しておきたい。
背筋がシャキッとさせられたという記憶を残しておきたい。
いずれ高校生や大学生にでもなれば、大人の言う事などに耳を傾けなくなってしまうのだから。
だからこそ幼き頃に、分け隔てなく本気で叱り、本気で褒める。
私には子供達の心を耕す使命がある。
その子達が正しく生きる為、種を蒔き、水をまいて花を育て、実をつけるお手伝いなくして
何故にこの身を保てようか。
私はいつも思っている。
いつまでも、いつまでも、身が擦り切れるまで我が真心を灯し続けようと。
一人でも多くの子達の心を耕し、太陽の子として輝いて育ってくれるまで。
そして人として真っ直ぐ生きるまで。
我が心の灯火は消してはなるまい。
我が身が灰になって、この世から消え去ってしまったとしても。
そして、かすれて遠のきそうな意識の中だとしても。
我が心の灯は消してなるものか。
たとえ遠い遠いところに行ったとしても、この世に惑う多くの子らを、いつまでも見守っていようと思う。