暖かい正月はもう頭から消えた。
今は冬景色の中に居る。
大型バスの運転に不慣れだった65歳の運転手。
休憩時間中にハンドルに突っ伏して休んでいて疲れた様子だった58歳の運転手。
共に年末年始を健やかに過ごしていたことだろう。
今、私は57歳、身につまされる。
あの運転手も無理を重ねて来たのかもしれない。
川崎市宮前区はここから2kmほど。
ニュースで観た宮前区の街並みはよく通る場所だった。
21歳の娘さんは春になれば三井不動産で仕事をするはずだった。
娘を見送っていた52歳の母はどんな正月を過ごしていたのだろう。
商社マンの父親はたぶん自分と同じくらいの年齢だ。
毎日新聞の死亡者一覧は大学の偏差値順に書かれてた。
配慮に欠けている。
筆で生計を立てている人の集まりが人の心を視ていないように思えた。
21年、22年の人生を急いで走り抜けた若者達にやり残したことはなかったのかな。
空手クラブで出くわす子供達にこんなことを伝えていた。
「学校や家で楽を選ぶんじゃないよ。」
「今はね、遠回りをすることを覚えるんだよ。」
「何で??? 、、、」
「二つの道があったら必ず楽じゃない方を選びなさい。」
「楽をして気に入ったことばかりをし出すと、いつかその反動が来るからね。」
「世間には世渡りがうまく、器用な人もいる。」
「でもね、器用に、要領よくても、いつか帳尻があうものさ。」
「きっと、そうなるから観ていてご覧。」
「帳尻って何?」
そんなやり取りを思い出しながら雪道を歩いていた。
1月15日午前1時55分、シートベルトを締めて寝ている人は少なかろう。
この15名の若者達の帳尻はこれで合ったのだろうか?
そして、その親御さんやバスの運転手の家族の帳尻は合ったのだろうか?
そんなことを反芻しながら歩いていたら駅に着いた。
長蛇の人の列は動く気配がない。
雪は降りやまない。
私は背中を丸めて佇んでいた。
21年前の1995年1月17日、多くの人が旅立った。
そして2016年1月15日、15人の若者が一瞬の間に旅立ってしまった。
私は雪の中にいる。
蝶はかじる口を吸う口に変えて幼虫からさなぎになって成虫になる。
さなぎは幼虫から使っていた内臓もすべて作り変えて成虫の蝶を創る。
古い家を取り壊して全く新しい家を創るように。
ヒトデは星の形をしてる。 でも幼生はエビのような全く別物の生物だ。
雪の中で思った。
この若者達はきっと生まれ変わったんだと。
1月15日 日本時間の午前1時55分のあとに。
地球上のどこかの国であらたな生命が生まれ落ちたのだと思ったら
うつむき加減でいた頭をようやく上に向けることが出来た。