1月もいつのまにか26日になった。
インフルエンザが真っ盛りのこのころ、受験シーズンの本番を迎える。
このインフルエンザの流行は毎年のことだ。
そして何とか無事に乗り切ってもらいたいと気がきでないのは受験生本人よりもその親の方だ。
今年、この空手クラブでも中学受験に挑む6年生がいる。
小3の四月に入会し3年半が過ぎた頃、受験に専念する為に二人とも休会した。
その子たちが中学受験をするとは年月の経つのは早いものだとつくづく思う。
何とか実力を出し切ってもらいたい。
そして元気な姿をまた見せてもらいたい。
人生はマラソンだ。
この先も平たんではなく、いばらの道が続くだろう。
しかし、決して怯むことなく、太陽のように輝いて生きて行って欲しい。
そして、いい青年に成長して行ってもらいたい。
緊張の2月1日まで、あと1週間。
泣いても笑っても最後だから頑張れといいたい。
運がいいか悪いかは合格発表の時に分かるものじゃない。
それは10年後か、いや、20年後に分かるもの。
神社で祈る時には名前と住所をとなえるといいと雑誌に書いてあった。
世の中にはそのようなことをする人もいるのかとある意味、感心した。
しかし私はこう思っている。
もし神様が居るとしたら、それは一人一人が住所を言わねば分からないような
俗世間的なものではなく
もっと次元の高い何かがあって、その流れに沿えばいいのだと。
受験とは、そんなものではないだろうかと思って居る。
私も人の親として中学受験、大学受験を経験して来た。
今、その子は医学部を卒業し2月の医師国家試験を待つに至った。
もう親の施すものはない。
その日が大雪の日であっても。
インフルエンザの日を迎えても。
それはそれまでにその子が培ってきた大いなる流れによるのだろう。
またこうも思って居る。
そんな受験ごときを越えられないで人の命を預かる仕事につくものではない。
何より人の命に携わる仕事につこうとするなら死に物狂いで人の命に向かい合ってもらいたい。
そういうことが出来る人間だけが逆に言うと医師国家試験の合格に値するのだ。
受験とはもっと先にある大きな目的に到達するためのハードルに過ぎず、
言わば、それを乗り越える強い信念を試す場なのではなかろうか。
だから五臓六腑で受験しろ。
眠れぬ夜を明かし頭が朦朧として睡魔に襲われたところが勝負の分かれ目だ。
その意識が朦朧とするなかでも前を向いていられたら神様が答案を仕上げてくれるだろう。
そこまでやって初めて医者に成れ。
子供の最後の受験を前に、一人の親としてそう思っている。