すべての物には旬がある。
生まれる時があって、死ぬ時がある。
出合う時があって、別れる時がある。
物には寿命があるように、時にも寿命がある。
黙っている時があって、語る時がある。
もう少し早く出会っていたら結婚していたのにと思う相手が居ても
それは叶わぬこと。
イチゴには食べ時があって青いイチゴは苦くて食べられない。
健康がにわかに消えうせ、ベッドに横たわる。
もう終わったかとあきらめて、天井を眺めていると
回復した身体が戻って来る。
もうだめだと天を仰いだ時から、時計の針は廻りだすものだ。
人生、こんなものなのだろう。
それぞれの旬を見抜く力がいるだろうし。
それぞれの頃合いを感じる五感もいる。
出会いは戻らない。
一瞬のもの忘れから、躊躇する時間が生まれ
その一瞬のずれで新たな出会いに巡り合う。
出合うべくして出会った必然がそこにある。
その一瞬は計って創られている。
朝、出かけぎわに、靴の紐が切れる。
焦っていてもバスは待ってくれずに遅刻する。
そうなるように計られている。
それに気づくのは1カ月後か、半年か1年後。
長い目で振り返れば、それがよく分かる。
そうなるようにしてなった今を視ると
良くも悪くもない人生などないということが分かる。
良くも悪くも満載なのが人生だ。
猪瀬氏と同じように舛添都知事にも、そろそろ頃合いが来たようだ。
そんな頃合いを駆使する週刊文春にも、頃合いが見えた気がする。
人生、良くもあれば悪くもあるものだ。
週末に出会う子供達には、そのことを伝えておかねばなるまい。