先生、神様はいるの?
小学1年生の女の子が聞いて来た。
ああ、居るとも。
何処に居るの?
さて、何と答えたらいいものやら返す言葉が見つからなかった。
もし卑怯な人が我が物顔で闊歩し、正しい人が隅に追いやられ、正義でない人に裁かれ
挙句に陽の目をみず葬られていたとしたらこの世に神様など消え失せてしまったのだ。
先生、神様は居るの?
何だかいい運だの、悪い運だのが入り混じって子供達を待ち受けているとする。
そんなことも知らず、これからどっちへ行くかなと、気の向くまま、人生のきっかけを
探していたりする。しかし、まさにその今踏み出そうとするその一歩が人の人生に
大きな影響を与えてしまうのだ。
母子家庭で育った娘が東大を卒業し電通に入り、9ヶ月目に24歳の命を自ら絶つと
分かっていたら、踏み出したその一歩は躊躇なく戻したことだろう。
全身の毛に火がついたような熱気を帯びて、血が逆流する。
そんな憤りは母子家庭の母親だけのものではない。
神様、あなたは何処に居るのですか?
まつりという女性の声を聞き逃すとは。