今頃、取手市教育委員会が頭を下げに来るとは。
15歳の女の子が命を絶ったのは一年半も前の2017年11月だったというのに。
イジメは、なま物だから、イジメがあったその時に手を打たないと意味がない。
そして尊い命が無くなったあとに原因究明をしたって魂がおさまるものでもない。
手を打つとは命があるうちに、イジメ実態を見つけ、イジメている本人に二度とイジメを
させないように仕向けることにある。私は必ず、そのイジメている本人に会って、二度と
同じことをさせない。それが私の流儀。 イジメを受けている子と、その親御さんを助けることが
出来なくて何の意味があろう? どんなに疲れていても、泥水を呑まされている子供達を
助けられるなら、飛び起きて行くだろう。 そうすることで私の魂も救われる。
あれはイジメなのか、イジメじゃなかったのかを議論している最中にも
くさや呼ばわりされている子らの灯火が拭き消されようとしている。
それを遠巻きに見ていろというのか?
それを見て見ぬ振りをしろというのか?
家あれど帰り得ず 涙あれど語り得ず 法あれど正しさを得ず 冤あれど誰にか訴えん
そんな魂の叫びに私の心は、ゆり動かされる。