3月 2018

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ここの空手クラブは異質かもしれない。 常々、そう思っている。 何故なら空手のことと 同じくらい、生き方・考え方などについて口酸っぱく言うところはないからだ。稽古が終わったら 「家に帰ったら勉強しなさい」という。 なので毎年1月から3月20ころまでは受験に関する事が 最重要課題と捉えている。 今年も中学受験に挑んだ子供達がいた。 来年は高校受験、 大学受験の子供達も出て来る。 機会があれば対策くらいは伝えてあげようと思って居る。 そんな中、第112回医師国家試験結果が19日に発表された。目につくのは10,351名の 出願者がいたのに受験する前に341名が脱落しているという事だ。簡単にいうと卒業でき なかった学生が303名、その他の理由で受験できなかった学生が38名いたということ。 そしてその中で9,024名に桜が咲いた。医学部入試でダントツに偏差値の高い東大でも 昨年、国試浪人となった学生が15名が受験し10名が合格、5名が再び国試浪人を続ける 羽目になった。阪大では6名が既卒者として受験し1名の合格。何と既卒者の合格率は16.7%。 阪大医学部、東大医学部を卒業しても計10名が今だに医師になれず国試浪人を繰り返す。 何故、そうなるのだろうか。超エリートである彼らも6年間に勉学を怠りバイトやサークル活動に うつつを抜かしてしまうとただの人。いやそれどころか、そのまま国試浪人を繰り返していくと 精神的な不安定の中、社会に順応できず30歳を迎えることになる。毎年、超エリート校でも こういう脱落者が3-5%出て来てしまうから気をつけねばならない。それが大きな問題だ。 このパターンに子供達が陥らないように常々伝えておきたい。いわゆる「精神的図太さ」、 「雑草の生き方」なるものを子供らの心に浸みこませなばならないのだ。 言い換えれば 失敗をしてもそれを跳ねのける心の強さが必要なのだ。今回の医師国家試験結果をみていて 改めてその事を痛感する。 普通に勉強し続ければ医者にはなれる。センター試験が80%であっても成れる。 その戦略と対策を可能性のある子供には伝えてみようと思っている。 医者の道は長く、医学部受験はまだその入口の出来事である。

縁にはいい縁と良くない縁がある。 良い縁とは、旧知の友のような人に出会う事であったり 引っ越しをした先の土地・街に恵まれたと思えるような土地の縁であったり 何だかすべての事がうまく廻って行き波に乗ったような時の運であったりする。 それに引き換え、良くない縁がある。 どうやったって打ち解けない人との出会い。 放蕩癖の伝染・事業の失敗。 あきらめ・退職の繰り返し。 しかし、この厄介な縁が実は自分の次のステップにつながるきっかけであることが多い。 だからそういう意味では悪縁は切り捨ててはならないと思って居る。 悪縁こそが自分を育ててくれている師匠でもある。 憤慨冷めやらぬ出来事は起ってしかるべき種を半年・1年前に自らが蒔いた結果と 思えるようになったら、それがきっかけとなり事態は次第に好転し悪縁が良縁に 代わってくるようだ。 その結果、「あ~、生きていて良かったという人生感」を味わうことが出来る。 空手で子供達に、そんな悪縁との付き合い方は教えて行かねばならないと思って居る。 良い縁もそうでない縁も全てを受け入れ、今ここで出会っているご縁を大切にしたい。

ふらっと息子が帰って来た。僻地研修で与論島にいるはなのに。 今月末で前期研修医の2年が終わり4月から池袋の病院で後期研修医の 過程に入る。与論島迄は羽田空港から那覇に飛んで、そこからセスナで 与論島に入る。ざっと片道三時間、45000円。往復で90000円 もかかるのに帰って来た。聞けば友達の結婚式だという。御祝儀を含めると かなりの出費なのに、それでも友達の結婚式に出るためだけで帰って来た。 旅費は私が作ってあげたカードで支払ったらしい。口座は私のものだ。 おいおい、後で払うんだぞとも言えず、そのままにしている。 友達を大切にしていることと、引っ越しでお金もかかるだろうという親心から、 そのままにしておこうと思っている。 玄関の外に置かれてる見慣れない物が気になった。松葉杖か。あれ、そういえば 歩き方がおかしい。おい、どうしたその足は?   いや、病院で歩きすぎて、、、 与論島の病院は医者が4人しかいないという。 その後の言葉あまり付け足したくなさそうだ。 どうしたんだろう。  気になる。しかしもう子供じゃないのだから親がとやかく聞きおよぶ事 でもなかろう。医学部三年の頃、体育会の空手部に入って居たものだから「空手は卒業してから やればいい。今は勉強に専念し空手は辞めなさい」と伝えていた。しかし当の本人は親に隠れて 部活を続けて居たのだ。親はてっきり辞めていたはずと思っていたが、卒業式の寄せ書きで その嘘が分かった。黒帯を締めた稽古中の写真と後輩からのお祝いの言葉がそこにあったのだ。 まあ医学部も卒業出来たのだから結果オーライだ。まあいい。頑張れというしかない。 親は適度な距離感を意識して置かねばならない。 親はいつももどかしい。

昨日は浜井会長、KWF日本代表の田中師範、ビクトリーカラテスクール代表の山本師範 列席のもと組手交流会が文京大学附属高校体育館で開催されました。浜井派東京、埼玉、 神奈川、KWF日本、極真館、極真拳武會、真樹道場、白蓮会館、正道会館、武心塾等 合わせて15団体様から一般部、壮年部の方々が集まりpm14:00-16:00の約2時間 スパーリングをさせていただきました。中でも極真拳武會の藤井選手、KWFの宮原選手 の動きは素晴らしいものがありました。 元々、この場を設定された折に、私の50人組手をさせて頂く話があったのですが 2週間前にギックリ腰になったため、その予定は変更させて頂きました。それでも、 まあ何とかかんとかスパーリングを皆様とできました事は大変有意義な時間でした。 その後の飲み会。 K先生の城東支部 中村金四郎先輩とのスパーリングの話は笑えました。 当時は「参りました」を10回言っても金四郎先輩はスパーリングをやめてくれなかった との事。思えばそうだった。昔の極真は多かれ少なかれ、そんなスパーリングだった。 39年前、極真芦原道場にいた頃の中山猛夫先輩もそんな感じだったっけ。 当時は茶帯だったのに黒帯締めて出場した全日本で準優勝。その後の正道会館の大会でも 別格の強さでした。中山先輩は私の3〜4年上だったので今は63か64歳歳くらいかな。 さて、今はどうされてるのでしょうか。 どこかでお会い出来ればといつも思っています。

常々、今の極真を背負ってるのは新○真だと言ってきた。 しかし、2017年の全日本大会を観ると様相が一変していた。 松○派の上位選手の動きが速く、新○真のスピードを超えていたのだ。 特に優勝した高○佑汰24歳 181cm  94kg、同4位 上○幹雄22歳 186cm  98kgは 重量級なのに軽量級の動きをしていた。 なぜこんなに進歩をしたのかと不思議だった。 全空連の強化選手合宿に参加し、寸止めの速さに付いていけなかったらしい。 ベースがまったく違う空手ではあるが速さが格段に違う寸止め空手を体験していたのだ。 それだ。 異文化の中でもまれていた。 だから格段に速くなっている。 新○真は塚○臣徳師範が現役引退後、抜きんでた選手がいない。 というか1本勝ちで勝ち上がる選手がいなくなってしまった。 今、両団体が戦えば、明らかに松○派の高○、鎌○、荒○、上○が前○、入○を 抑えるだろう。 5年前は明らかに逆だった。塚○、バ○リー、ルーカ○が跳び抜けていた。 冬季オリンピックのスピードスケート女子を観ていてオランダに乗り込み異文化に接した 小平選手の速さの理由が分かった。 松○派のトップ4が格段に速くなり、1本勝ちが 増えている理由も分かってきた。 逆に、ここ最近の新○真に1本勝ちが減っているのはJKJ○の判定勝ちの多さと比例している。 やはり我々は極真だ。1本勝ちにこだわらねば。 高○佑汰選手の試合を観ていると、まさにあれが極真の姿だと感じる。

昨日も1440分の中を精一杯生きて来た。 今日も同じ長さの1440分が刻まれ、すでに630分が過ぎようとしている。 果たして、この1分を大切に生きただろうか? とふと振り返ってみる。 手抜きをせず、言い訳をしない1分を過ごしたろうか? とも反すうする。 もし、大切にしてなかったとしても気にすることはない。 今から、意識して大切にすればいい。 人生、今日がはじまり。 受験で失敗しても気にすることはない。 人生を長い目で観れば、昨日の失敗など、一瞬の出来事。 さあ、今日も残りの810分を大事に生きてみよう。 未来を切り拓くために。 自分の未来は自分で選ぶもの。 あらかじめ敷かれた線路を歩くものじゃない。 自分の人生は自分で線路の設計図を書けばいい。 海の中でも、宇宙にだって飛んで行けばいい。 海の底は誰も手をつけてない空間がいっぱいだ。 宇宙の果てなど誰も行ったことはない。 ちまちま生きてる暇はない。 未来は自分で選ぶもの。 君に未来は見えますか?

たとえ天涯孤独の人生を歩んでいたとしても1人で生きている訳ではない。 温泉のお湯のごとく、静かに入ったとしても少なからず波は立ってしまう。 そうして何らかの形で多くの人達と関わりつつ、この社会の恩恵を受けながら 生きている。 その有り難さを心に刻み、少しでもこの世の恩に報いるべく自らの 出来る事を精一杯行うところに生きる意義と価値がある。 落語家が同じ演目を喋っても、お腹を抱えるほど面白い人と、クスッとも笑えない人が いる。有名な演目でもつまらない人がやると棒読みに聞こえてしまう。 面白い人は何を語らせてもあっという間に時が経ってしまう。 人としての魅力というか、人間味というかとにかく何かが違う。 私はそれがやはり人の力だと思う。 まさに成功する為の方程式を得た人なのだ。 毎日、精一杯生きて、砂漠に深い井戸を掘ろうではないか? 井戸を掘る為の道具と根気さえあれば何とかなるものだ。 しかし、この方程式。 知ってるだけでは役に立たない。 「昨日のあなたはその方程式を使いこなせただろうか?」 「今日のあなたは、今の自分を信じているだろうか?」 「明日のあなたは自分に自信を持って、絶対に出来ると思っているだろうか?」 その方程式はそれを信じる人の為にある。

毎年、この頃になると地に足がついて居なかったあの時を思い出す。 この日の為に雨の日も風の日も勉強に明け暮れていた息子が12年の人生で 初めて試練に立ち向かう日だった。インフルエンザと雪が今年も受験日に合わせる ように猛威を振るう。それが2月1日だ。 家内と息子の鼓動が張り詰めた家の空気をどことなく重くしていた。 麻布の校門の前は報道の人やご父兄でごった返し、塾の先生方の雰囲気も 昨日までのものとは違っていた。 日能研の麻布クラスで一貫して前列を死守していたので私自身、少し麻布を軽く 捉えていたかもしれない。そして2月3日が訪れた。 麻布が一番出来たという息子の言葉が妙に引っかかったものの、結果は不動で あろうと坂道を登って合格発表の場に向かった。母と子供が泣きながら坂道を降りて くると思いきや合格書類を抱え満面の笑みを浮かべている親子が通り過ぎて行った。 あるはずのものがないという事態を飲み込むのに時間はかからなかった。 しかし、これを家内と息子どう伝えるか、その事を思うだけで胸が痛かった。 そうして2月3日は駆けずり回って1日があっという間に過ぎてしまった。 その中学受験に毎年多くの人達が落胆の涙に沈み、嬉し涙に歓喜する。 たかが第一志望校の不合格くらいで人生を諦める人などいやしない。 息子の麻布当確予測が一転、奈落の底に落ちたあの日から17年目を迎える。 奈落の底に落ちたからこそ、へこたれない心を掴み逆転の人生を味わう事が出来るのだ。 だから失敗は、心を強くする為のいい薬ではないかと思う。 息子は今年の春から循環器系内科医として後期研修医の過程に入る。 今や一日が尊く、一時間が貴重なのだ。

先週月曜日1月22日の雪で辺りは凍りついた。 横浜市の雪は20cmも積もった。   1月24日水曜日には雪は固まってアイスバーンになっていた。   こんな日が来るだろうと夏に雪かき道具と長靴を買っていたのがやっと出番を迎えた。   道場にも8月の暑い日に雪かきを置いた。スタジオには黄色のマットを敷いた。   フロアそのままではきっと寒かろうと真夏の夜に想像していたからだ。   さあ、今年の夏のために何を準備しようか?   新石川スタジオの前は桜道。4月の桜をどうやって過ごそうか?   こんな寒い氷の中で寂しかった木々につぼみがひとつふたつと顔を出した。   自然は動いている。 毎週、私の道着を羽織って逃げ回る子。   オーストラリアパースから毎年冬休みにこの空手クラブに参加する子。 子供達は成長している。   今日のこの寒い氷の日、子供達の確かな成長にまた出会う事が出来た。

1月8日から稽古が始まった。 とはいえ新年だからと言って何か変ったことをする訳ではない。 変わらない事が実は大事なのだと心得ている。 今年も凍える寒さの日もあるだろう。 慣れない雪の日もあるだろう。 蒸し暑く汗にまみえる日もあるだろう。 中には、生きる事が嫌になる日もあるかも知れない。 それでも溢れる生命力と希望が自分しかない自分だけの一歩を進めてくれる。 今年もしっかり根を張って大地のあらゆるものを吸収し 青空に向かって真っ直ぐな幹を伸ばしてみようと思う。

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