10月4日の朝、尊い命が、その人の意思でこの世から消えました。まだ生命を授かってから13年の女の子です。
豊島岡女子中学の1年生。 教頭は「いじめは一切ない」と言ってました。 まだ学校現場ではいじめはなくなっていません。
なくなる訳がありません。日本人の特性がそうさせるのですから。表立ってではなく陰湿に異質を拒む気質が日本人には
あるのですから、いじめはなくなることは決してありません。 そんな中、12月8日小田急座間駅で戸板中学校1年生の
女の子が電車に飛び込んで、自らの意思で命を絶ちました。 2学期からいじめは助長されると聞いてましたが、やはり
そうだったのかと思い知らされます。2学期になっていじめが強まり、耐えて耐えて2ヶ月、3ヶ月が経っても現状が
変わらないから、この世に見切りをつけたのでしょう。中学生は小学生と違いホルモンバランスが崩れ子供から大人に
変わる時期なので感覚的に敏感になるために、そして親の枠から出て、自分で自分の方向を決めて動けるようになって
来るころなので、こういう方向に向かってしまうのだと思います。小学生は、いじめはあっても、まだ親の傘の下にいて
自分で命の灯を消すような行動は取れないのです。但し、そういう考え方、生き方を擦り込まれて来てしまった上で
中学生になって、自我が出始める周りの生徒たちの無意識のいじめの的になってしまうと前途を照らすはずの灯も目に
入らなくなってしまい、孤独の内に自分を葬ることになるのでしょう。 こういう事件の起こった後には、必ず、その学校、
警察、教育委員会は蜂の巣を突っついたような騒ぎになって、事の隠ぺいに走り、自分の責任回避に手を尽くすのです。
「いじめは一切なかった」と教頭が言い張るならば何故、その子は死んだのでしょうか?
教育者として不適任な方が、まだいるようです。 ならばどうすればいいのでしょうか?
この先は期待に反し、決して、いじめはなくならず、先生たちの多くは、隠ぺい工作、責任回避、見て見ぬふりの達人と
なるでしょう。 それが現実ですし、その実態をそのまま受け入れるべきです。ここは日本なのですから。それが嫌なら
外国に移住するべきです。 それが出来ないならどうすればいいのでしょうか? 簡単です。いじめに負けない子供を
幼稚園や小学生のころから育てるだけです。いじめに対する免疫を付ければいいだけです。 そういう考え方をご両親が
持つだけで子供は救えるはずです。 すべては親の成す技、親の積み上げてきた結果なのです。原因は全て大人が
作っている訳です。ならば、その原因を変えるだけなのです。 教師や教育委員会、警察に頼る前に、子供を産んで
育ててきたお父さん、お母さん達が原因を取り払うことで全て結果は変わるように思います。子供は宝。そして親の後ろ姿
そのものが反映された人生を歩むのです。
その第一歩は人々に対する偏見を放棄することだと思います。するとその時から人々が示してくる偏見に穏やかに対処
出来るようになるはずです。人は人々を残酷に、しかも誤って評価することで、自分自身と人々の双方をより不幸せに
する代わりに、人々の体験の中に侵入し、人々の心の内を理解し、人々のために感じ、人々と同調することで自分自身と
人々の双方に、より大きな幸せをもたらせるようになると思います。この心の姿勢の最大の敵は「偏見」です。それを心から
取り除くことが出来ない限り、自分がして欲しいと考えていることを人々にしてあげることは不可能です。「偏見」は優しさ、
思いやり、そして正しい判断の破壊者です。そして偏見の強さは残酷さ、不親切さの物差しです。偏見が心の中に出現
したが最後、人はもはや、理性的な生き物ではなくなります。軽率な行動や、怒り、その他の極めて有害な感情に身を
任せることになるはずです。この偏見に支配されてる限り、人の気分も、自由も尊重することがありません。偏見とは
個人が自分勝手に真実だと思い込んでいる、まったく誤った個人的見解にしか過ぎません。それに染まっていることを
認識しない限り、他人の立場を冷静に認識しようとすることもせず、悪意の罠からいつになっても逃れられません。
その結果、当然のごとく真の幸せも手に出来ないのだろうと思うのです。
こどものいじめにおける問題の全ては大人自身の仕業によるものだと断言できるのはそういう背景からなのです。