特トレには、決まった顔が集まる。 そしてよく泣いて、よくはしゃぐ。 痛くて泣いて、悔しくて泣いては、またケロッとして
いる。 怖くて、痛くて、辛いだろう。 でも私はそんな些細なことに目を向けたりはしない。 頓着しないと言った方がいい。
太陽のように活きて行って欲しいから。 これから先の長い長い人生には谷もあって、山もあるはずだから。 当たり前の
ことはやり過ごすしかないということを身を持って感じとって欲しい。 お母さんに泣いてる顔を見られたくないのだろう。
お母さんに甘えない顔を見ていると私も嬉しい。「そうだよ、それでいいぞ。よくお兄ちゃんになったものだ」と心の中で秘かに
思っている。 小さな肩が震えている姿、天井に向かっておお泣きしている姿、しくしく下を向いて泣いてる姿。
どれほど見て来たことだろう。 その度に子供たちが成長してきているように思えてならない。 この特トレに顔を出す子は
年長さん~4年生。 この子達のハシャイデいる顔。 がんばっている顔。 それらはみんな私の宝だ。
今日、そんな特トレを終えて家に帰って来てネットを見ると何やら調布の小学校の先生の肉声が話題になっていたので
その内容を聞いてみた。 しかし、その音声だけではなかなか判断はつきそうにはなかった。 世間の多くの若者はすでに
過激な言葉を浴びせている。 いかにも日本人らしく逆に弱い立場に立った者をいじめている大勢はよろしくないと思えて
その姿には賛同できなかった。しかし確かにその女性教師の言い方には特徴があるようには思えた。 だからと言って
私は、これだけでは、その人の良しあしをコメントすることは出来そうにない。 ただ、私はその先生に聞いてみたい。
「あなたはクラスの子供たちを好きでしたか?」 と。それだけです。 そして全ての学校の先生に聞きたい。 「あなたは
自分の学校の子供たちの顔に救われましたか?」、「純粋な心に接して、あなたは心が救われませんでしたか?」
「教師に才能はいらない、太陽のような気持ちがあればいい。」 私はずっと、そう思って来ました。
しかし、私自身は、なかなかそんな先生には巡り合えませんでした。 出会った先生は心の寂しい人ばかり。 だから
その人の理屈は分かっても、そんな人の説明を素直に聞くことなどわたしには出来なかった。 心でぶつかってくる人
に私は出会うことがなかったのです。
だから東大出の、その先生に聞きたい。 「あなたは失敗して泣いてる子供の泣き顔がいとおしくないですか?」
「字が下手だと言われてうつむいている子供の肩に触れて元気を出しなさいと言ってあげたくはなかったのですか?」
そしてもう一度聞きたい。 「あなたは子供が好きですか?」 、「その子たちの将来が見えませんか?」と。