次男は自閉症だったので幼稚園の時は、前途多難だと腹をくくってました。集中できない、自分の世界にこもる、人と
交わらない。こんな子供ではこの先どうしたらいいんだろうと悩んでいました。ジャイアンツの桑田投手の奥さんと一緒に
悩んでました。太陽の子という幼稚園で桑田さんの長男も、うちの次男と同じように目立ってましたから。一般の小学校に
入れるなら、それはみっけものだと思っていたくらいです。その子が中学校2年生の時に学校の先生から電話をもらうなど
思いもよりませんでした。 「sakyou君がクラスの子を蹴って怪我をさせた」と。 そんな訳はない、あの子が。
でも事実でした。自閉症は年齢とともに軽度になっていたものの小学校の時には、廻りでなにが起こっているかはわからず、
というか構わず生きていたようです。それを大学生になった次男は冷静に振り返れるようになっていました。その頃次男は
極真の1級。ローキックの蹴り方や下突きの入れ方は自分の身を守るすべとして私自身が教えていたのです。この子は
間違いなくいじめられるから反射的に返せるように。という親心からです。
学校の野球部は「ライトで9番」の次男はバカにされ普通ではない奴だとされていました。その日もいつものように執拗な
嫌がらせがあったようです。次男は、何度も「やめろよ」、「やめろ」と言い続けたちょうです。それでも止めないのが中学生。
でもその日は違ってました。「やめろ!」と言いながら教えたローキック一発。 いじめっ子はその場にうずくまってしまった
のです。大きな怪我にはならなかったのですが学校では、「あのsakyouが怒るのも無理はない」。と加害者でありながら
被害者のように扱われていたのです。一応先生は経過説明ということで家に電話をして来ましたが大事にはならずに済み
ホッとしましたが。反面、よくsakyouは自分の枠を超えていじめっ子に向かって行ったものだと感心もしました。
小学5年生のころには友達が家に来て、置いてあった1万円の入った貯金箱まで持って行かれるような始末。親がいる間は
いいけど、この子はこれからどうやって生きていくのか?、この先不自由なく生きて行けるのか? 本当に不安にかられる
日々が続いていたのです。 なので先生に何と言われようと私は「よし、よくやった。 わかったろう。自分の力が」と心の中で
ほのかな光が射した思いでした。
小学校の時はまだいい、中学校になると陰湿になる。これは私自身が今でも思っていること。 大津の中二の自殺
の件は私は我がことのように今でも思っています。 中学生と小学生の違いは「自分で自分の命を絶つ手段を知っている
、もしくは実行出来ること」なのです。 だから私は今でも、そのような無神経ないじめっ子は許すわけには行かないのです。
しかし、いじめっ子をなくすなど出来ません。 ならば抵抗力を上げ、備えることです。 その子にどうすればいいかを教えて
あげるだけのこと。 私の空手教室は、教えた空手の技は学校や幼稚園では使わないこと。と何度も言ってますが、
「逃げない心」、「あきらめない心」は浸透させるよう心がけています。 挨拶・礼儀はその根本。 しかし、それを子供たちに
どう伝えればいいのか私は思い悩んでいました。 が、しかし、それは簡単なことかもしれないと思いました。 それは、すぐ
そばにいるお父さん、お母さんがそのような方であれば、子供は何の抵抗もなく、それがどういうものかをも理解し易いだろう
という思いです。 今日、7名のお父さん、お母さん達には5人組手をやってもらいました。まだ早いと思いつつも、私の
空手教室は「教育の場である」ことの実践をするため、この方々にこの投げかけをさせていただいたところ、みなさん
前向きに5人組手に勇気をもって挑んでいただけました。 通常、体重が20-30kg違うと蹴った方の足が痛くなるもの。
その軽量な女性が男性と組手をやって、前に前に向かう姿。 男性陣もあばら骨を痛めながらも、あきらめず最後まで
5人完遂された姿。 誰しも感動したはずです。 子供たちにとってどんな説教よりも価値ある時間を7人のお父さん、
お母さん達は創ってくれました。 子達の将来は決して平たんではないでしょう。しかし、平たんな人生を歩んでも
どうするものか? 山あり谷あり、そんなことお構いなしの人生であって欲しい。
今日の審査会。 そんな子供たちの将来を思いながら、大人の方々のがんばる姿を見せて頂くことで私が考えている
子供たちへの指導はなされたように思えました。 ねんざ、打撲、うちみ。この勇気の代償は「逃げない心」の証。
こういう大人の後ろ姿が私は一番大事なことだと思っています。