7月9日は大山総裁のお墓参りと観音様のお参りに護国寺まで行って来ました。
たまたま行った日が「四万6千日法要」という聞きなれない御利益のある日だったのでビックリでした。
夕方18時から境内で浄瑠璃があって、19時から「四万6千日法要」。 何が何やらわからない内の出来事で
したが一升枡の入るお米の量が四万六千粒らしく、その一升と人間の寿命の一生をなぞらえて、年に1回、
その日にお参りに来られたら、四万六千日間毎日お参りをしたのと同じくらい御利益があるという有難い日なんだ
と親切なお坊さんが教えてくれました。 それが7月9日と10日の2日間。 このことを全く知らずに、たまたま
お墓参りに向かった日がその日であったというだけで結局、6時からの浄瑠璃と法要と偉い御坊様の説法を
20時過ぎまで聞いていました。 心が洗われる時間でした。 振り返ってみると偶然とは言え、
誰かがその説法を私に聴かせようとする意思があったような、ないような、何やら不思議なことの成り行きで
1日が過ぎました。 こんな日もあるんだなと思いながら四万六千日って何年? この日のお参りで125年
もの間、毎日お参りしたことになったんだと、帰りの電車の中でも感謝の気持ち、ひとしきりでした。