昔、大学で取ったゼミはSEのプログラムという訳の分からないものでした。なぜその科目を選択したのか、はっきり
覚えてませんが、後々何度も後悔したことは覚えてます。結局ゼミにはついて行けず講義には出るものの一番
後ろの席で夏目漱石の小説を読みふけっている日々が続きました。あわてたのは卒論です。ゼミの卒論で単位を
落とせば卒業出来ないわけですから、なけなしの知恵を絞って考え出した策がゼミの先生に、正直に話をしてSEは全く
理解できず夏目漱石の小説ばかり読んでましたと伝える事でした。最後には、それを卒論にしたい旨をあつかましくも
申し出ていました。しかし大村先生という方は粋な方で「君が熱中したことであるならそれでいい」と言ってSEのゼミ
始まって以来でしたが文学部の学生のように「夏目漱石に関する卒論」を書いてしまったのです。大村先生には
感謝の言葉しかありませんが、またそんな卒論に「優」を頂き私の成績表に色を添えて下さいました。
こういう訳で私はSEのプログラマーのゼミながら文学を好み、中でも夏目漱石については凝り固まっていたのです。
その夏目漱石が影響を受けたのは英国文学で、その中でも女流文学のエミリー・ブロンテの嵐が丘や、
シャーロット・ブロンテのジェーン・エアーは特に造詣が深かったようです。1902年12月に日本に帰国した漱石は
東大の講師となり、そのころから小説も書き出しています。その後、朝日新聞に勤めながら小説を書き続ける
のですが、小説家としては大変、遅咲きであったと言えます。また漱石の蔵書目録にはブロンテ姉妹の小説が
すべて残されてることから、ブロンテ姉妹の思想は多少なりとも漱石の小説に影響を与えた可能性は高いと
思えます。そのブロンテ姉妹はヨークシャーの人です。嵐が丘のエミリーは1848年12月19日に30歳で亡くなり
、その19年後、漱石が生まれ、49歳の1916年12月9日に亡くなられてます。エミリーが亡くなって68年後でした。
そのまた64年後の1980年12月9日(日本時間)ジョンレノンが亡くなりました。ジョンレノンは12月8日に亡くなった
とされてますが、日本では12月9日でした。 私が好きなアーチストや小説家の命日となった12月9日に私は
生まれました。 エミリーブロンテの名前が、つい数年前に見え隠れしたのは「ハゲタカ」というドラマのラスト
の曲に彼女の詩が使われたからでした。いい曲です。詩を読めばもっといいものだと分かりますし、それを
164年前の30歳の女性が書いたというのも驚きです。しかし嵐が丘を書いた方だと聞けば、納得です。私は
それほど嵐が丘が好きで、漱石がブロンテ姉妹の蔵書をすべてコレクションしたという気持ちも何となく
分かる気がします。