何事も習い事は、生きたコツを伝えるのは難しく、教えたつもりでも、どの程度、教え切れて、どの程度、体得
出来るようになったかは分からない。 教えるに教えられず、習うに習えない。 ちょうどそんなものがいつも
付きまとっている。 たとえば肘打ちを教えたつもりでも実践的な格闘術である空手が、そんな簡単に体得
出来る訳はない。 そこには実地での体得が物を言う。 もしくは実際に体験し、創意工夫し、努力して練習で
何度も使ってみてから何となく、こういうものかなと思える感触を味わうことになる。 そこまでやらないと自分の
ものにはならないだろう。 つまり、一つの動作は繰り返し、繰り返し行わねば、自分の身体が覚えてくれない
ということなのだ。 要は頭で理解するのではなく身体が反応するレベルまで掘り下げることが出来ればいい。
稽古といわず、人生とは、そのようものではないだろうか。
昨日、テレビでプロ野球を戦力外になった家族を追う番組を観た。 素人の自分が観てもテスト形式の
トライアウトで活きのいい選手とそうでない選手の見極めがつく。 自信がある投手の投球には勢いがあった。
逆に、そうでない投手のものは偶然が付きまとっていて、勢いで凌ぐものではなかった。 だから選択を変える
ことになったのだろう。 結婚一か月前に戦力外を通告された巨人の投手の球は、正にそのものだった。
しかし、これで良かったのではないかと思う。 やり抜いてみて自分の球速と変化球の切れと、そして抑え込む
気持ちがあったかどうかは自分が一番分かっていたはずだ。 たとえ、このトライアウトで、どこかの球団に
拾われても、年と共に体力も落ちてくる訳だから、また来年、家族と不安な時を過ごすことになるかもしれない。
ならば先に世間を知って経験を増やしておいた方がいいに決まっている。 1か月後の結婚式を延期も出来ず
キャンセルも出来ず、そこに新郎として出なければならない辛さは並大抵なことではない。 でもそれを逃げずに、
披露宴の場で、感謝の気持ちを、涙ながらに言い終えた姿を観ていたら、その人の誠実さが見て取れて、なんだか
この方の人生、この先、満更ではないように思えてきた。
もちろんトライアウトで終わる人生など聞いたことがない。
多くの場合、トライアウトから本当の自分の人生が拓かれるのではないだろうか。
辛いことから逃げずに、どれだけ前を向いて一歩一歩歩いて行くかで人生の良し悪しは決まる。
だからプロ野球で何年やろうと、プロサッカー選手でいくらもらおうとそんなことは関係ない。
人生にはトライアウトは付き物だ。 仕事でも恋愛でも。
厳しい寒さが続くと真夏の暑さが恋しくなり、うだるような暑さの中では真冬の寒さが懐かしい。
やがて順調になれば感謝の気持ちを忘れ、逆に他人への不満が募ってくる。
人は過ぎ去ったことはすぐに忘れ、今、置かれている状況に不安や不満を抱く。 勝手なものだ。
しかし、この人生ただ嘆いてばかりでは心が暗くなるばかりで何も打開出来ない。
大切なことは辛いことも楽しいことも、そのすべてを体験し、その時々の感慨を胸に抱き、その一つ一つを
自らの糧にして生きていくことだ。 困難を乗り越えてこそ、次のステージがより輝いてくるというもの。
力強く、人間らしく生きようではないか。
2014年の大晦日、そんな気持ちが心の底から沸々と湧いてきた。