細胞の1個が生まれる確率は1億円の宝くじが連続して百万回当たる確率と同じらしい。
人は、その細胞を60兆個も持っている。 そして、その人の子供の細胞もやはり60兆個もある。
その子の子供も同じこと。
東京や神奈川では2月1日から中学受験の本番が始まった。
今日一日、今日一日と頑張って迎えた本番だ。
お互いが奇跡のような確率で、この世に生を受け、極めて稀な境遇を生き抜いてきたのに
それが当たり前のような毎日を送りだし、その当たり前が妙に嫌になり、不満を抱く。
そして、悩み、落ち込み、進退窮まってしまう。
親同士も奇跡の確率で遭遇したことを忘れてしまい、授かった子の巡り会わせも奇跡であることは
当然、忘れ去られてしまうことになる。
それを当然と思い込み、当たり前の人生を自分は生きて、自力でここまで来たものと思い込む。
私もそうだった。 自分で運を運んで来れるものと思い込んでいた。
それが定めだと思ったりもした。
しかし、今は違う。
今日一日、一人の人間として生かされている不思議を思う。
天からは、雨や雪は降っても、運命など降ってはこない。
今、生きてる命は自分で運ぶどころか、大いなる力で運んでもらっている。
神に祈り、仏に祈る受験生、そしてその親御さんたちも、人はみな運ばれて生きている。
今日、駅でNバックを背負った女の子とお母さんが意気消沈して佇んでいた。
試験会場からの帰りかもしれない。
私は静かに後姿を見送りながらこの親子の今日までの奇跡を思った。
小さなことにクヨクヨしないで生きてもらいたい。
ここにこうして今を生きている、この奇跡。
この世にあなたは、たった一人なのだから。
そして、たった一人の命は明日も大いなる力で運ばれていくのだから、悩むことなど一つもない。