短気、ぐず、陰気、怠惰、わがまま、甘え、粗雑と言った性格的な欠点は、大抵、自分で欠点だと意識さえ
すれば、少しは良くなるものだ。 本当にそうである人とは、自覚さえもしない人。
壁にぶち当たって、どうしようもない時は、こんなはずじゃなかったと、無様に酒に酔いしれて大声で嘆く
のもいい。 そんな嘆きの声は、次第に低く、小さくフェイドアウトしていくものなのだから。
失敗なんて、当たり前と思えるまで泣けばいい。 そしてそんな経験は若いころからするに限る。
失意や挫折の耐性を養うのは大事な事。 雑草のように生きねば。 だからくじけず己の心を鍛えるのだ。
前を向いて歩くとはそういう事ではないかと思う。
けれど、いったい、自分自身の道はどこに向かってるのだろうと悩む時もある。
それは、振りかえってばかりの道じゃない。 前に伸びているいばらの道のことだ。
人が綺麗に整えたような舗装道路なんかじゃない。 自分で切り開いていかねばならないジャングルの道。
今の社会で、あくせく働いている人の7割くらいは、祖父か曽祖父、もしくは、その前の世代において、太陽の下で
草をむしり、額に汗して農作業をしていたはずだ。 それがたった2世代、3世代、または4世代で大変革を起こし
このコンクリート社会で平気で生きているというのは滑稽なほど。
だから、心の奥底には、やっぱりかつての人間らしい生き方や、そういう社会へ戻りたいという思いがある
はずなのだ。
一人の才能が土を割って、芽を出して行くというのは、そんな道を我武者羅に切り開くに近い。
たとえば、羅針盤片手に小舟で海を渡るようなもの。
太陽に焼かれることに耐えられるだろうかと不安になる。
そして、おそらく持ち水も絶えてしまう。 だから、どこの浜にも上陸して水を補給しようと考える。
でも途中、海の上でスルメの様に干からびてしまうか、蠟のように身体がとけてしまうかもしれない。
万に一つの可能性に掛ける、そんな航海も悪くないと思う。 心の中で何かが弾けて何かが光る。
そんな勇敢な航海でも、もうダメだと思う事が幾たびかあるだろう。
そして、助からないと思って居ても、助かっている。 そんな航海もある。
天がその人を必要と思えば、その人に運と時を与えるものだ。
要は、そんな天の寵を受ける資格があるかどうかであって、 目の前を切り開いて、通って行かなければ
ならないジャングルが存在するのは、そんな訳なのだろうと思って居る。