ある日、ある路上でホットドッグを売ってる中年の男の人がいました。
目が悪かったので新聞を読まず、耳が遠かったのでラジオも聞かずに一生懸命に働いていました。
その甲斐あってか、道端のホットドック屋さんには、常連のお客さんがたくさん出来て繁盛しだしました。
やがて、大学生の息子がお父さんの手伝いをするようになりました。
息子は「お父さん、ニュースを見た? 最近は不況らしいよ」と言いました。
お父さんは、心の中で思いました。
「息子は大学で難しい勉強をしていて世の中のこともよく分かっているし、テレビやラジオで言ってることも
よく分かっているはずだ。 だから、あの子が言うんだったら、正しいに違いない。」
父親は、そのころから「不況」という言葉がいつも、心に居座るようになり、いつしかこの商売も
うまくいかなくなるのではないかと思うようになりました。
「いつかきっと不況の波が押し寄せるんだ。」
そんなことばかり考えるようになってくると、あれだけ頑張っていた商売にも力が入らなくなってきました。
そう思うようになって一か月ほどで売り上げは減少し、三か月ほどでめっきりお客さんが途絶えるように
なってしまいました。
そして父親は息子に言いました。
「お前の言う通りだ。 最近は不況なんだ。」
ある日、ある森に二人の木こりさんが居ました。
一人の木こりさんは満身の力を使って木を切っていました。
休憩もとらず、昼休みもとらず出来るだけたくさんの木を切る為に全力を使ってました。
朝は誰よりも早く起きて働き始め、夕方は誰よりも遅くまで木を切っていました。
他の木こりさんたちは、彼があまりにもたくさんの木を切るのでビックリしていました。
しかし、その彼よりもたくさん木を切る木こりさんがいるらしいという噂がありました。
多くの木こりさんは、彼よりも多く木を切れる人はいないだろうとその噂を疑いました。
そこで、ある木こりさんがその噂の木こりさんを見に行くことにしました。
噂の木こりさんは、森の奥に住んでいました。
懸命に寝る間も惜しんで木を切っている訳ではありません。
休憩も何度も取っていました。
なので1時間が過ぎる頃には、その噂は嘘だと思うようになりました。
しかし、その木こりさんの斧は何か違っていることに気づきました。
多くの木こりさんよりも斧を振りかぶる回数が少ないのです。
視ると、一度に斧の刃先が食い込む長さも違っているようでした。
夕方になるころには、噂の通り、一生懸命に休みを取らずに木を切っていたあの木こりさんよりも
多くの木を切っていることが分かりました。
そこで、見に来た木こりさんが言いました。
「あなたはどうやって、その斧を手に入れたんだい?」
「なんてことはないさ。 普通の斧さ。 もし欲しければ一本差し上げるよ。」
それを聞いた木こりさんは大喜びで、その斧を受け取り、喜び勇んで帰りました。
その木こりさんは次の日からもらった斧で木を切り始めました。
思ったように、その斧はよく切れました。
しかし、丸二日切って、三日目になると何だか元々使っていた斧と同じように切れなくなってしまいました。
一週間も経つ頃には、あの木こりさんに嘘を付かれて切れ味の悪い斧を渡されたと思うようになりました。
翌日、森の奥の木こりさんのところに文句を言いに行きました。
「あなたは大ウソつきだ。 あの斧はまったく切れやしないじゃないか」
男は、怒りをぶちまけました。
森の奥の木こりさんは黙って聞いていました。 そして言いました。
「ここにあるどの斧を持って帰っても同じことさ。」 とポツリとつぶやきました。
そう言ったきり、その木こりさんは仕事に戻ってしまいました。
わざわざ文句を言いに来た木こりさんは、そのまま帰る訳には行かない。
夜になっても帰らず、森の奥の木こりさんがやっていることを観ていました。
すると何だか変なことに気づきました。
仕事を終えて、夜、みんなが寝るころになっても、その木こりさんは寝ません。
その木こりさんは真夜中になって、一日使っていた斧を持ち出し、水につけて砥石でその斧を研ぎ出したのです。
男はその後ろ姿を眺めながら、やっと彼の斧が切れる訳を知ったのでした。
情報が氾濫する世の中で、何と多くの人が自らの内に秘める羅針盤に気づかず生きていることだろう。
人の言葉と考えを反芻することは大事なこと。
しかし、あらゆる情報に左右されず、自らの生き方を貫くことはもっと大事。
人は、みな多くの失敗を繰り返し、幾多の逆境に直面する。
それが人生と言うものだ。
しかし、その逆境は永遠に続くものではない。
ただ他言を耳にし多くの意見に左右され、その逆境を受け入れてしまうと
その逆境はいつまでも続く。
その負のスパイラルからはい出る出口は、自らを信じてみるという実は、もっとも
シンプルなところに潜んでいるのではないだろうか。