10月22日、代々木第二体育館で四人の真剣な眼差しがあった。
全日本型選手権大会に浜井派神奈川県支部の女性四人が選抜されたのだ。
真剣な眼差しはカッコいい。
試合は運がなければ勝てない。
多くの人の中で今日は誰に運が舞い降りるんだろう。
私はそんなことを思いながら其処に居た選手たちを観ていた。
緊張感から足がすくみ、手が震え、口が渇く。
そして一人一人の型が始まった。
名前を呼ばれ、コートの真ん中に立つ。
審判5人の眼は誤魔化せない。
その10個の眼の前で、ただ一人、型をやり終えねばならない。
身体中の血管のうちをドクドクと駆けている血液の音がする。
呼吸は極めて平静を装いながらもガラス細工を創る時の高熱の息吹きを内に宿している。
頭の毛も眉毛も、全身の毛や、足の爪までも生理的に動員されそそけ立つのだ。
これが型の試合だ。
この緊張感の中で一番冷静でいたのはSASAI初段だったのかもしれない。
彼女は見事、日頃の成果を出し切り優勝した。
運は努力の跡を見落とすことはなかった。
翌日の10月23日の日曜日、私は子供達を引率して東京体育館に居た。
組手の試合にも必要なのは呼吸である。体勢の崩しあいの中で相手の隙を探す。
相手の呼吸を計る。そして決して下がらないと誓う。
あくまでも勝とうとするのだ。一種の圧迫感の中で自分を見失ってはならない。
心臓が焼けるくらいフル回転で息が続かない。
そして焦りが湧いてきて心がいよいよ騒がしくなる。
鉛の足を前に蹴り上げ、重りを担いだ身体で突きを放ち、前に前に出て行く。
勝つ時は、それでも身が軽く天地に自分の身体が融合しているのだ。
この大会は軽量級の選手のスピードと技が天下一品。
これを見ずして空手は語れまい。観るべきものは1流の技と心である。
この試合を観て夕方横浜に戻り、そのまま、すすき野クラスの稽古に立ち寄った。
日曜の夜、そこはいつものメンバーが清々しい眼差しで最後の挨拶をしている最中だった。
私が子供達を引率して型大会、そして組手大会を観戦できたのは
その日の指導を受け持ってくれた指導員の方々のお蔭だ。
有難いという感謝の念が湧いて来た。
そして24日の夕方、青葉台で型稽古が行われていた。
指導は型大会で優勝したSASAI初段とNAKAEMA一級の二人だ。
試合のあともいつもと変わらぬ稽古をしている。
実はこういう姿勢が何よりも大事なのだ。
負けて腐らず勝手奢らず。
この姿勢がある限り、彼女たちの人生に陰るものがあったとしても
いずれはそれも立ち消えて、おのずと道は啓けてくるのだろう。
世の中には多くの人がいるが、本当の人に出会くわすことは少ない。