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空手の先生方とお話をさせて頂くと、その道場ごとの特色があって、非常に参考になるのと自分自身が気にしてないこと にも細かく指摘されておられる先生方もいらっしゃって反省しきりです。 ある道場では見学すら認めてなかったり、見学者 態度にも注意をされたりしてるようです。 ですから挨拶などは非常に徹底されてる訳です。 私は、そこまで気が廻らな かったことを反省しています。 厳しすぎるのは意に反することですが、礼儀・挨拶は最低限教えて行かねばならないことで あったと思います。基本稽古の徹底ぶりも同じこと。 私は効かせる技を伝えていきたいという思いが先行していたために、 初歩的な挨拶、礼儀、しきたりにも目を向けて武道をお伝えしなければとあらためて思い直しているところです。 やれば出来る子供達なので、出来てないのは私が指導してこなかったためであると思っています。金的カバーの ファールカップの付け方については、私は道着の上から付けても問題ないものと思ってましたが道着の下に付ける べきだと言われる先生もおられるくらいです。女性がチェストガード(胸を守るもの)を付ける場合にTシャツの下に 付けるのと同じだという考えです。 確かに言われれば、その通り。でも移動稽古を終えてから道着の下を脱いで ファールカップを付けるようなことはことはする必要性がないと私は思っています。 一旦、自由にしてきた雰囲気でスタートして来た為に、急な方向転換は出来ないにしても、私自身が気を付けて 武道のルールをもう一度皆さんにお伝えして行かねばならないと考えた次第です。  子供達を見ていると 最初は出来なくても、続けて伝えて行くと出来るようになっています。 特に柔軟性において 顕著に表れて来ました。 今年の夏までは開脚して胸が床に着く子は数人。しかし、今は出来ない子の方が少ない ようです。多くの子供はそのままお腹までつけて、後ろに足を抜き、その後に足の裏で頭の後ろを触れるところまで 来ました。やり続けれれば出来る。 本当に素直な子供達です。もちろん大人の方々も徐々に柔軟性を高めて来られ ている方が増えました。 やり続ければ、必ず出来る。素直にやれば必ず出来るようになる。そのようにこれからもお伝え して行こうと思います。 12月から、また新たに武道のルールをお伝えしながら多くの方々が持っている潜在能力を引き 出せるよう、私自身も知恵を絞って稽古の在り方、稽古内容を工夫をして行こうと思っています。 また子供達の無限∞ の能力を信じ、それを引き出さずことが私の役割。まさにボクシングのセコンドのように一人一人を診て行こうと思います。  ただし、私の道場は子供達とその御父兄が中心です。 生徒の妹や弟たちが道場の中を駆けずり回ることも多々あります。 それは子供なのだから、しようがない。 「元気に走り回りなさい」という気持ちには変わりはなく、その子供たちの騒ぐ声も、 耳に心地いいものだと思っているくらいです。ということでこの子供たち中心の雰囲気を変えるつもりは毛頭ないのです。 

着陸体制に入ったあとにシートベルトをはずして通路に出たという違反行為について謝罪をされてるコメントがありました。 この行為自体も問題なのですが、その時の言動も大変なものであったようです。 これは 『Voice』2012年12月号に掲載 されてる内容です。これをもし中年男性が行っていたとしたら、即刻、警察の取り調べ室に直行していたかもしれません。 私は、この方のコメントにはどうしても引っかかってしまいます。行動的というか、アメリカ的というか、自分中心というのか。 昨年、大津で中学生が自殺しました。それが取りざたされてくる間に教育委員会や学校関係者の問題も露呈して来た のですが、それよりも気になったことは、その加害者のご両親です。 高学歴で、やや攻撃的な方々のように受け取れた その方々は加害者である息子は「被害者だ」と言ってました。 多くの場合、そのように映るようです。 そのご両親の 思いや行為と、今回のこの方の振る舞いに似たものを感じます。自分や自分の子供を大事にするあまり廻りが見えない 状況にあって、その原因はすべてその周りの環境にあるというお考えなのかもしれません。 そして何か問題があれば 訴訟で決着。 そこには廻りの人の「心」は勘定に入っていないのでしょう。子供がどんな状態なのか? その母親は どんなに居た堪れない気持ちで飛行機の中にいたのか? それは問題にされてないようです。 「お互い様」とは無縁 の世の中では、この先が思いやられます。わざわざ、警察に出頭し、自らの違反行為を記録に残し、またその行為を ブログで報告することなど必要ないはずなのに、何故、そこまでするのでしょう。 これからの世の中を創っていくのは 、飛行機で泣きじゃくっていた子供の世代。 しかしその方の行為は決して、そんな子供たちに参考になる心の姿勢では ないように感じます。クレームを付ける「クレイマー」の行為自体は決して悪いとは思いませんがモンスターになる必要は どこにもないように思えるのです。 頭のいい方々が目指す「高学歴、高収入でセレブな生活」も行きすぎると、ぎすぎすした 世の中になってしまうかもしれません。 人は穏やかになればなるほど、より大きな成功を手にすることが出来るのでは と思うのです。 心は創造の達人。そして私たちは心であり、思いという道具を用いて自分の人生を形づくり、その中で 様々な喜びを自ら生み出しています。 私たちは心の中で思い描いた通りの人間になります。 なので私たちを取り巻く環境は、真の私たち自身を映し出す鏡に他ならないのだと思って姿勢を正したいものです。

私たちの心の中に組み込んできた様々な思いの結果、私たちは今、ここにいます。 人生には偶然という言葉でくくれる ものはなく、自分たちの人生を構成しているあらゆる要素が機能した結果ではないかと常々思っています。自分の環境に 満足していようと、そうでなかろうと、心に蒔いた種は正確に花をつけるのでしょう。 また人間は常に進歩し、進化し続ける 生き物ですから、どんな時にでも自分が学び、成長を遂げるために最適な場所にいるように思えます。 まるで、ある環境 で必要な学習を積んだならば、その環境は間もなく閉じて、次の新しい環境が自ら取って代っていくように一歩足を踏み 出せば、その先に道が出来るように環境が整ってくるようです。 なので人間は環境の産物では決してないのだろうと感じて います。自分が進歩しようと思い続ける限り、成長のための環境が動き出して、思い描いた通りの自分になっているのでは ないかと思います。 心は、それ自身が秘かに抱いてるものを引き寄せるのかも知れません。 それ自身が本当に愛しているものを、または、恐れているものまでも、完全に引き寄せてしまうかのようです。 心の中に蒔かれた「思い」という種が、それ自身と同じ種類のものを生み出します。遅かれ早かれ、「行い」として花開き 、やがて「環境」という実を結ぶのでしょう。 良い思いは良い実を結び、悪い思いは悪い実を結ぶ。だから怖い。 人は自分が望んでいるものではなく、自分と同種類のものを引きよせてしまいがちです。 口先だけの綺麗事や単なる 夢物語などは、成長を阻まれてしまいますが、もっともっと心の奥に潜む真の思いや願望は、それがいいものでも、 汚れたものであろうとも、それは育まれ成長してしまいます。 私たちが手にするのは、私たちが願っているものではなく 祈るものでもありません。原因と結果の法則に即した妥当な報酬のみだと考えるのが適当です。あまりに都合のいいような 良い結果のみを願ってみても、その結果と調和しない思いを巡らしていては、その達成を自ら妨害するのみです。 トウモロコシの種からはトウモロコシしか生まれまないという事実は多くの方が知っておられるのに、個人の人生の中でも 同じことが繰り返されていることは、あまり認知されてません。 周囲の人々や状況に対する自分自身の姿勢を改めると、自分に対するそれらの姿勢も、速やかに改まるものであると いうことを私は身を持って体験して来ました。 今日、飛行機の中で泣く子供とその母親にキレて、降りてからも航空会社にもくってかかった女性がいたという記事を 見かけました。 いずれすべて自分に帰ってきてしまうことなのに何故、そんなことになるのでしょう。その行為は自分で 自分を傷つけるようものであるように感じました。子供は泣くもの。それも1歳の子供です。心が寂しくなりました。

東京大学医学部在学中、22歳の時に書いた小説が今頃、見つかり脚光を浴びてるようです。 私がこの作家に興味 を持ったのは20歳台半ばのころでした。カフカが好きで、その人のいくつかの小説を読んでるうちに日本にも、そういう 前衛的な小説を書く人がいると気づき、壁、砂の女、箱男、密会などすべて、漁るように読みました。その人の文体、 短編小説の末文の結び方、そして余韻の漂わせ方は、今でも好きです。阿刀田高さんの「ナポレオン狂」の短編も 同じような余韻の漂わせ方で綴った面白い作品で、よくそのような短編を見つけては読みふけっていました。 その方は中国で育ち極貧の中国東北部を視てきたから売血奴のことも実感を入れて書けたのでしょう。そして 自分自身も25歳のころには売血をして生きていた方。親が医者で、娘も医者。自分は医学部を出たけど医者には なれず作家の道に入ったという変わり種。その方が29歳から31歳のころに書いた短編を私は何度も読み耽りました。 何故だか書かれている主人公の思いや行動が、若かったころの自分のそれに近かったように思えたのと文章の切り口が 気に入ったのです。20歳台後半の私の生きざま。荒々しさ。粗暴さ。前衛的。超現実的な空想。私はそんな会社員でした。 パニック商事の社員の心得を探す自分がいたり、そんな警察官が本当にいたら面白いものだと思ったりしたものです。 30歳台半ばになって、また読み返すと「棒」になった父親の気持ちは私そのものでした。私が持っている、その方の単行本 は何度も読み返してきたので、すでに擦り切れてボロボロです。中でも気に入ってるのは「R62号の発明・鉛の卵」という 単行本。 それは「棒」・「パニック」などの短編が盛り込まれているからです。 しかし、自分では意外に思うのですが、この 2つの短編の評価はあまり高くないのです。言いかえればあまり知られてないという事かも知れません。 未発表の「天使」 が取りざたされたことで、少しは、この短編も陽の目を見るかもしれませんが、この大衆受けするものではないニッチな短編。  そして昔の自分の匂いを感じる単行本をまた時間を見つけて読んでみようと思っています。 この方の小説は、当時の自分の 空虚な人生を埋めてくれるものでした。 また自分のどこにぶつけるでもない爆発しそうな思いを、その小説は描いていて共感 を感じていたのです。そんなパワーや荒々しさを文字で表すことが出来る小説家は少なくなったように思えます。  昔「太陽の季節」を書いた作家が「太陽の党」を創って新たな道を進もうとしてます。 私には到底「太陽」があるようには 思えません。高年齢の方が集まった「斜陽の党」のように映ります。 今、日本の世の中に必要なのは、そんな高齢者が 率先するものではないはずという漠然とした思いが「太陽」という言葉を斜に読ませるのです。 有り余る活力を筆を通して 書きなぐる岡本太郎のような人を私は老人とは思いませんが、太陽の塔の陰に屯して「たちあがれ」などと言ってきた方々 は自分自身が実は立ち上がれない人達ではなかろうかと私は秘かに危ぶんでいるのです。 世間的には80歳も過ぎれば 棒のような杖が似合う年。果たしてその棒が棒として置き去りにされるか否かは12月16日に分かります。 という訳で白髭 の先生の裁断の成り行きを私は楽しみに待つことにしたのです。 

代々木第一体育館での新極真全日本は初めてだと思います。今までは千駄ヶ谷の東京体育館が改修工事中だからなの でしょう。しかし、毎回 新極真の全日本の全体の演出と子供の演武は、他の極真系団体の大会よりも頭一つ抜けている感 があります。また、今までは塚本先生の試合が、常に1本勝ちを狙う空手の醍醐味を味わうことができたので、技、スピード、 パワーから見ても他の極真団体よりも新極真は頭二つリードしていたというのが率直な自身の感想です。 私は毎年、 秋~冬にかけて行われる極真系の全日本大会には顔を出し、自分の空手センスを磨いたり、マンネリ化を感じる稽古 の中で刺激をもらったりしながら、自分の空手にかける意識レベルで維持するようにもってきていました。誰に指示された からでもなく、大阪での体重別全日本にも必ずと言っていいほど通ったものです。    今回は一緒に観戦したご家族は大人、子供合わせて28名、その他会場でお会い出来ませんでしたが2家族の方が 来ておられたはずですので、たぶん33名の方々と観戦させて頂いた訳です。この巡り合わせに本当に感謝の気持ちで いっぱいです。夏のバーベキューといい、こういう機会は大切にしたいと思います。また今後、お母様達からの声で何かが 出来ればといつも思います。 さて、肝心な試合内容ですが、2日目に残った方々の試合ということもあり、1日目よりKO シーンは少ないだろうと予測はしていましたが判定での試合決着ばかりに多少、面白みに欠けました。世界大会では、 こういう展開は少なくKO決着必死、空手の醍醐味がギュウギュウ詰めなので、あと3年待たないとならないかもしれません。 それと、やはり塚本先生が凄かったということでしょうか? 日本人同士だと相手を知り尽くしてるからなのか、見ていて ハラハラ感が少ないのです。やはり、極真空手は1本勝ちにこだわる空手でないとだめです。 そういう点から言うと去年 の世界大会の塚本先生の技・スピードは他を圧倒していたという事なのかも知れません。 もう当分、塚本先生のような 逸材はでないだろうと去年の大会を見た時に思ったものです。 今年の選手達はスピードは落ちてはいないものの、 ず抜けた技は見ることが出来ず残念な気がしました。ここに白蓮の内藤、北島選手が何故出て来ないのか?  何故連合会に甘んじるのか? 疑問でなりません。 主戦場はやはり技の最高峰で争ってもらって初めて日本一というもの。 今まで白蓮のトップ3は毎年新極真の体重別には参加すれども、3回戦に行くことすら出来なかった現実があります。 しかし、それでもトップレベルで戦って欲しいものです。また松井派の選手と新極真の選手もどこかで手合わせする場が 欲しいと思います。本当の日本一というには、分裂団体ごとに全日本大会としても真に一番かどうかはわかりません。 油の乗ってる時に、一同に会して雌雄を決する場を作らねばならないでしょう。緑代表と松井館長が同じ席につくことが 空手会発展の礎を築くことになるに違いありません。多くの空手ファンのためにも、そうあるべきです。そこで浜井派が 担うことがあるなら積極的に空手会全体の発展のために尽くさねばならないと強く思います。 今日の子供たちの素晴らしい演武を観て、そう思いました。

極真の黒帯は、百貨店やスーパーで買えるものではありません。確かに道着を買って自分で武道道具を扱う業者に 出向いて黒帯を揃えて、帯に名前と極真の文字を刺繡すれば恰好は整うでしょう。しかし、技はどこで買いますか? どこにも売ってません。本で読めば出来るというものでもありません。すべて目と耳と身体全部で体感して覚えるもの。 この対面で覚えるから身体も、ちょっとやそっとでは忘れないのです。何度も、何度も真似をしようと試みれば、その結果 自分なりの形が出来あがります。この真似をする過程で、徐々に感覚も研ぎ澄まされ、自信も生まれ、そして何事にも 動じない心が培われてきます。極真にはペーパードライバーはいません。「試験にあわよくば通って」、というようなラッキー は黄色帯の段階まで。 そこから先は力の世界。うまさは見ればわかるし、強さも見ればわかります。その逆に極真の 緑帯や茶帯で弱い人がいたら、それは可哀想です。極真の緑帯・茶帯クラスとなれば何よりも強いこと。それは身体が 強いこと、スパーリングが強いこと、試合に強いこと、そして心が強いこと。これらのことが備わってなくて緑帯以上に なっていたとしたら、いずれ下の帯の人にやられてしまうでしょう。たまにそういう方に出くわすことがありますが可哀想です。 極真の緑帯以上の帯は、心が強いという証です。黒は何色にも染まらない色。決して、何事にもふらつかない心の証。 そして、その人の生きた証でもあり、プライドなのです。  極真の黒帯は、他流はより取得しにくいと言われます。これは間違いです。誰でも取れるのですが、多くの場合、黒帯 を取る前に辞められてしまうだけなのです。 取れると思い込めば必ず取れると私はそう思っています。私自身がそう だったので。 私は白帯の時、自分の黒帯の姿を何度も想像しました。黄色帯の時も、緑帯の時も。それが茶帯になると、 たぶん自分も極真の黒帯が取れるかもしれないと、薄っすら希望の陽が垣間見れるようになるのです。その茶帯をある 期間経験する内に、いつしか自分が指導者側に立っているのも気づいてきます。それが茶帯の自覚です。その自覚が あると、もう真近。 あとは先生の「そろそろ次の審査で初段を受けてみるか」という言葉を耳にするだけです。 その言葉は審査の半年以上前に聞いて、昇段審査までに覚えなければならない、様々な型、移動稽古、そして組手に 耐えられる身体を創って行きます。これは長年登ってきた山のイタダキが見えた瞬間です。半年はあっという間に過ぎる でしょう。流石に他流で黒帯を頂いた時と違い、極真の黒帯を46歳で頂いた時は感慨深いものがありました。 なので認定証は今でも大事に保管しています。振り返ってみると賞状をもらったのは、そろばん2級と学校の卒業証書 だけ。それが極真の試合に出て優勝や入賞をして賞状、メダルやトロフィーをもらうようにもなると嬉しくて、励みにも なりました。また40歳台にして、自分の逃げない心を授けてもらった大事な経験の場に感謝の気持ちも湧いて来ました。 これら認定証もトロフィーも、すべてが自分の誇りです。 しかも極真の黒帯の認定証と帯を頂いた時は、その何とも 言えない重みと、念願叶った達成感とで、それまでの苦労は露と消えたことを思い出します。 私は、その過程を味わってもらいたくて、今年、出会った方々に指導をしてます。極真の黒帯は夢ではないということを 伝えたくて、一緒に汗を流してます。身体が小さくても、年齢が50歳を過ぎていても、黒帯になられた方を何人も見てきた ので、遥か遠くの手の届かないものでは決してないということを私は伝えていくつもりです。 私自身、多くのご父兄さんたちと同じように、家族に対する顔、そして仕事の顔、そして道着に袖を通し白帯を締め出した 時の空手初心者の顔、それをバランスを考えながら続けて来た結果が今の私です。 15年前を思い起こしながら。いつもがんばれ~!って心で叫んでいるのです。 子供たちも、お父さん、お母さんたちも がんばれ~!と。 あっ、忘れてはならない人がいました。お一人結婚されてない方が。私は、その方が結婚される時 には、ここで出会った方々みんなで祝福してあげたいと秘かに心に決めています。わざわざ世田谷から車で通ってくれる その方も、いろんな意味でがんばって欲しいです。 また育児と家事と送り迎えで忙しいお母さんも学校のことや、ご近所 付き合いのことや、親戚のことやらで気が休まることがないでしょう。 30歳台、40歳台は、そういう中であっという間に 過ぎ去って行きます。極真空手は、そういう走馬灯の中でも何も変わらず、ただ強い心を育んで生きて行くための手段 として、また普遍的なものとして先達たちが築き上げてくれたものです。それを横浜青葉の地で一人でも多くの方々に 伝えて行くのが田中空手クラブの使命だと思っています。私は、一人でも「教えて欲しい」と言われたら、必ず、その人 の為に時間を取るのは、そういう訳なのです。

確か春先のことでした。 今年を占う記事を見たのは。 ちょうど、なでしこジャパンがフランス女子に0-2で負けた試合の ころです。点数こそ2点差でした。しかし内容は走力、瞬発力、戦術面でも、総合的な体力面でも圧倒された試合。これを見た 日本のファンの頭を過ったのは、「なでしこのオリンピック予選敗退」ではなかったようでしょうか。 またちょうど同じころ プロ野球もペナントレースに入るか入らないかのころでしたから、中畑監督も鼻息が荒く、キャスターやレポーターの誰もが 今年のベイスターズは雰囲気が明るくなって何かが変わったようだと言葉を繋いでいました。 また、その頃話題になって いたのは「大阪維新の会」の存在です。橋下大阪市長が国政に出るのではないかとの噂。これらを激辛予測をしたのは 新大久保で韓国料理のお店を三姉妹で出してる運命激辛鑑定士の魚ちゃんでした。 魚ちゃんの占いはこうです。 なでしこはオリンピックの決勝まで行く。中畑監督はうまくいかない。橋下市長は弁護士に向いていて政治家には向かない ので国政に出ると失敗する。 ざっとこんな内容でした。 この中で最初の2件は、みごと的中です。しかし私は最後の 大阪維新の会は勢いも全国規模で広がっているのを拝見し、これだけは、如何に魚ちゃんでも外したかと心の中で思って いました。しかし占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦ですから2/3の確率は66.7%の正解率だから御の字です。 つい最近、橋下市長が朝日新聞とその子会社の週刊朝日の記事をめぐって、ツイッターや記者会見で激しい言葉で 怒りを爆発させている姿をTVで見て、ちょっと気持ちが引きました。これは政治家ではないという感じです。弁護を受け 持つ立場なら有能でしょうが、政治家は風格というか、人格というか、何か人を引き付けるものがあって欲しいと思うの です。私自身、日本の政治を立て直すには若い人が古い体質を刷新しなければならないと感じていましたし、維新の会 の存在は、日本の将来を託せる、あるべき姿なのかもしれないと内心、大いに期待していました。 しかし、あの会見を 見ると、またツイッターのレベルを見ると、「やっぱり何か違うぞ」 という違和感みたいなものを感じてしまったのです。  果たして日本維新の会の行方は、魚ちゃんのいう通りなのでしょうか?魚ちゃんが占ったものは3/3の正解率なのでしょうか?  この魚ちゃんの激辛占いは予約制で1日35組まで。一人3000円以上の飲食をすれば無料で見てくれるようです。 私の本音は当たって欲しくない。占いが100%なんてあって欲しくない。未来が決まっているとしたら、そんな未来なんて 面白くもない。未来は切り開くもの。運命なんてありはしない。そこにあるのは自分の意思、切り開く力、未来を変える力、 そういうものがなくて決まり切ったレールの上しか歩めない世の中なら面白くない。 この先がわからないからこそ、むしろ そこに生きる価値があって、そんな山あり、谷ありの過程を自分で描いてみたい。ガス欠になることもあるでしょう。車も 壊れることもあるでしょう。人間関係で苦しむこともまたしかり。 しかし、前を向いて活きて行く為には、決まりきった道程 を決まりきった時刻に過ぎて行くだけでは、魂のない無反応人間になるしかありません。私は持って生まれた奇跡を 楽しむために、失敗も、苦労も、挫折もあってしかるべきと思います。その後に必ず訪れるであろう虹を見る為ならば、 喜んで苦行を味わって活きて行きたいと思います。 魚ちゃんの占いが、そういう意味では外れて欲しいのです。

市川市の築十数年の1kに家賃6万円を払いながら一人暮らしをしている48歳の看護師の方が、肩書きを偽りiPS人体初臨床 という記事がここ2,3日の朝刊、夕刊各紙の1面を飾っています。アメリカの有名大学客員講師、東大特任教授というと 一般的にはすごい方と思われるでしょう。しかし、このご本人は、それが目的ではなく「医学博士号取得」が目的なのかも しれません。いずれにしても読売新聞は、1か月ほど前から当人と面談し10月に入ってからは6時間もご本人の取材に 時間を割いたにも関わらず、こういう根本的な調査を惜しんだ為に、大きな代償を払うことになるようです。大手新聞社としての 信用の失墜と言えます。そもそも医者は医師国家試験に合格しないと医療行為は出来ません。その後大学院へ行って 更に専門的に極めれば、そこでようやく医学博士号が取れるというもの。しかしこれは医学博士の90%の人。残り10%は 医学部卒の医者でない方も、論文博士として「医学博士号」を取得出来るのです。そういう方が日本には10%います。 素人向けには箔がつくので、薬学系、その他工学系、または文系の人も仕事をしながら、もしくは医療関係従事者も 医学研究科に研究生として在籍して論文誌への投稿をしたり、学会で論文を発表したりして認められれば博士号の申請は 出来ます。 今回の森口氏は、看護師資格でありながらも医学博士号取得に向けて積極果敢に動かれたようですが、何かを見落として いたように思えてなりません。そして世の中、決して甘くはないのです。嘘の上乗せを繰り返してワープが出来るのはゲーム の世界だけと思った方がいいでしょう。 パソコンの前で虚像を膨らませ、大手新聞社の記者を言いくるめた先にあるものは、 断崖の先に突き出たレールだけなのですから。 アパートの大家さんに東大教授になったと伝えてしまったりすると、それこそ 後戻りは出来なくなっていたのでしょう。レールの先まで車輪が廻ってしまったあとは奈落の底に落ちるしか道はないのです。 この70歳の大家さんが気にかかることは「何か嘘をつく必要があったのか?」ということと「空き部屋のこと」なのかも しれません。しかし、この大家さんも長らく生きてこられる間に、自身のコメントが新聞紙面に掲載されようとは想像もでき なかったことでしょうが、唯一それだけは森口さんの功績だと、認めてあげてもらいたいものです。今回の件で真面目に 働く看護師の方々や、医療従事者で論文博士号の取得を真剣に目指している方々への影響は少なくはありません。但し、 果たして今回の件において森口氏に罪があるのか非常に微妙です。この話を持ちかけたのは森口氏、しかし、それを 真に受けて掲載したの読売です。私は寧ろ、公正な情報を適時に世に知らしめる役割の読売新聞社には大きな落ち度が あって、この点は大いに社内外で追及がなされるべきだと思っています。

いつも穏やかな心で、清らかな優しい思いだけを巡らして、どんな環境の中でも幸せを感じていられたら、どれほど   素晴らしい事でしょうか。 周囲の人たちを正直にしたいなら、まず、自分が正直にならねばなりません。 そして   家庭と環境を幸せなものにしたいなら、まず、自分の心が幸せでいっぱいにならねばならないと思うのです。 先日、田園都市線大井町駅のトイレで40歳台の女性と50歳台の女性が清掃作業をしている場面に出くわしました。 黙々と床を磨いては、「ありがとうございました」と入って来る人達に声をかけているのです。 私はトイレに入って   ありがとうございました。と言われたのは初めてだったので、何だか新鮮な気持ちになりました。 その方々は一日  何人の方にこの感謝の言葉を伝えているのだろうと、ふと考えてみたのですが、引っ切り無しに入ってくる人たちに、 感謝の言葉を発したとすると7秒に1回。すると1分で8人に挨拶する計算です。1時間で480人。2時間で 約1000人です。 この清掃業を半日だけ行ったとして4時間で2000人です。これを10日間続けると20,000人。 20日間で40,000人です。一か月20日間、半日だけパートをされたとしても、あの方々は一か月で40,000人に 清らかな思いを伝えていることになります。年間で480,000人。3年続けると1,440,000人。  私は、その言葉を返すことも出来ずにいました。「こちらこそ」、とか「お蔭様で」となぜ素直に、さらっと言えなかった のかと反省しておりましたし、歯切れの悪さに、情けない思いがしました。 いい年をして、そんなことも 出来てないなんて。 ところで、私は今日何回、ありがとうって言っただろう?って振り返ってみるとたった4回。 そうすると一ヶ月間に多く見積もっても120回ほど。あの方々が15分でこなす回数を私は一カ月間かけて口に していたことになります。これでは感謝した日々を送っているとは言い難いかもしれません。 大井町の駅で出くわしたあの方々のお陰で、自分のレベルがわかったような気が致しました。   私は、私の思いが私を連れてきた場所に立っています。明日の私は、私の思いが私を連れていく場所に   いるでしょう。 自分の思いが原因となり結果を生むように、自分の人生は自分が思ったように出来あがって   います。そして、その人生は、これから先を自分の好きなように変えることが出来ると私は思っています。

100年前に比べて格段に情報化社会になり、情報端末が飛躍的に発展して来た結果、日本のテレビやインターネット 上の出来事は、すぐに外国でも確認が出来るのですから、画面に出る方は言葉には気を付けてもらいたいものです。 現在、キャノンやパナソニックの海外の工場が暴動を受け、操業が停止してます。これは反日デモが原因とは言えま せん。日本人の現地のワーカーとの連帯感のなさ、画一的なものの考え方、おしつけ、上から目線など日本人として 気にしてない部分が、実際には現地のスタッフとの心のつながりを阻む要因になっていると言えます。自分たちの やり方で交流を図ろうとするのではなく、あらゆる国には、その国の歴史と文化、風習そして歴史があります。どれほど 、その国の歴史を理解し、尊重した上で仕事をしているのか自らを顧みなければならない時期に日本は来ています。  現場を廻るとそれがひしひしと伝わってくるのですが、永田町と、その方の地元しかしらない方には、海外の実態を 伝えても、にわか知識を読み上げるだけで意味をなさないのは明白なことでしょう。 日本人は元々稲作を中心にした農耕民族。そして高々、過去100年間で世界の上層に躍り出た新参者。方や中国、 韓国、インドなどは曾ての先進国。「曾て」というのは過去5千年を指します。日本は過去4千9百年間を発展途上国 として先進国へ遣唐使、遣隋使を送って来た国。また欧州や米国にも江戸の終わりから優秀な人材を送り出して来た国。 しかし、多くの日本人は「日本は先進国であり、過去から優秀な国民である」と言うでしょう。島国なのです。考え方が島国 レベルだと言えます。大陸を制覇していた国々の発想とは程遠いものです。確かに日本人は緻密で、まじめで、仕事に誇り をもつ世界的には、稀な民族ですが、日本流の考え方や文化はファーイーストであり決して世界の中心にはなり得ないもの です。その点を誤解したまま、日本企業や日本の政治家が突き進んで行くと大きな発展とは、程遠い将来が待ち受けている のではないかと思えてなりません。世界では、あらたな出会いを遮断する村八分意識や、直線的な考え方では通用しません。 多くのエネルギーと共鳴し合い、心が繋がり合う若者が日本にも多く出てくることを期待したいものです。2030年には明らかに アジアは変わっています。2012年4月にIMFが発表した「世界経済見通し」は2010年を基準にした場合、20年後にGDPが どれほどになっているかを示したものです。それには2030年にはインドは日本の1.2倍へ。中国は日本の3.6倍になって いると記されています。これは公式見通しなのですが、この数字は、あまり日本ではクローズアップされません。また2020年 には北京と上海の平均賃金は東京のそれを超えることも知られてません。中間層消費上位10か国をみると2009年1位米国 、2位日本、3位ドイツ、4位フランス、5位英国。これが2020年には1位中国、2位米国、3位インド、4位日本、5位ドイツ。また 2030年では1位インド、2位中国、3位米国、4位インドネシア、5位日本。となっています。 つまり、日本は何をもって先進国 と言えるのか、数値上ではわからなくなるのです。日本の在り方は、そろそろ変わるという事実が日本でも浸透して行かねば なりません。そうでないと世界と共存し得ないのです。今は、世界の中で日本は共存している状況を創っているとは言えず、 あくまで企業利益に則った海外進出が主であり、国際化された民族の活動であるとは言い難いものとなっています。 2030年とは、もう遠い話でなく18年後のこと。7歳の子供が25歳になり、32歳の方が50歳を迎える年。心が通じあえる 子供達を育てて来たか否かは18年後の小学校の花壇の下に埋まったタイムカプセルの中に隠されているはずです。それは その時、50歳になった方への玉手箱。 日本がどんな国になっているのか18年後を楽しみにしたい。

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