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「力なき正義は無能なり。正義なき力は暴力なり。」 これは昔から極真空手が戒めに用いる言葉です。エスカレーターで ぶつかったから刃物で刺すとは、まるでアメリカのような話。しかし、ここは「治安が世界一」と言われる日本です。 持っていた刃物を使うほどの事ではなかったと誰もが思うでしょうし、刃物を持つこと自体、日本では銃刀法違反ですから 即刻、お縄頂戴となります。 今や日本は喧嘩両成敗。手を出した方がお縄です。しかし我々が空手を教えているのは 喧嘩に勝つためではありません。日本古来の武道空手を普及させること。礼節を重んじ、人の為に尽くせる人材を育成する ことにあります。また世知辛い世の中になった以上、自分の身は自分で守れるように護身術くらいは知っておいた方がいい に決まってます。 特に女性、シニアの方、子供達など弱者の側に立って、如何にすれば人間は倒れるのかを説明し実践 することも必要かもしれません。相手が刃物を持っている場合、羽交い絞めにされた場合、胸倉を掴れた場合、などを想定し 、その一瞬にどうすればいいのかなど体験し実践しなければ いざ鎌倉という時に、震えるだけで何も出来ずに終わるでしょう。  という訳で、来週6月2日土曜に護身術をお伝えする催しを無料で行なうことにした次第なのです。 

以前、よく言われたことに「極真の緑帯=4級、3級は他流派の黒帯(初段)に匹敵するほど強い」と言葉があります。 他流派と言うのは伝統派の寸止め流派のことです。最近では極真系で独立された流派もありフルコンタクトの練習方法が 広く行き渡り出してる為に、直接打撃系の空手道場では強い選手もいます。K1の正道会館(元極真)、芦原会館(元極真) 、士道館(元極真)、円心会館(元極真)、白蓮会館(少林寺)など。それ以外でもJKJOの系列団体は強い選手がいます。 しかし極真と名乗る以上、負けられませんから努力を惜しんではいけません。極真の名前を胸に掲げる以上、当然の事ながら 骨が折れても負けてはならないのです。しかし、練習をせずに強くなれる訳はありません。人よりも練習し、工夫し、強く なりたいという人には、そういう環境を整えたいと思います。もちろん帯びも、その方にあった級に跳び級も当然です。 私自身、オレンジ、青、までは跳び級はありませんでしたが、5級→3級→1級となり黄帯が1年で茶帯の1級になっていた ためです。その背景には試合で優勝、入賞は度々。昇級審査の組手でも相手を圧倒していたと思います。極真でも もちろん基本稽古、移動稽古、型稽古はあります。それは大事ですが強くなければならないのでミットとスパーリング稽古 は欠かせません。夏には昇級審査を行う予定です。是非、稽古生の皆さんには今から跳び級を目指して努力をして 行ってもらいたいと思います。

NHKのプロフェッショナルで天野篤先生を取り上げていました。天皇陛下の執刀医であったことから一躍有名になった 方です。県立浦和高校から3浪して日大医学部へ入られた方で、現在は順天堂大学の心臓血管外科教授。 人の命を預かる真摯な態度に頭が下がる思いでした。 「一途に、一心に」物事にあたって来たかと自分の人生に対し 聞かれると、心にむらがあって、真摯な行動とは程遠いものであったと答えるでしょう。 とは言え、この先、少しでも、 恥ずかしくない生き方をして、人の為に尽くす人生でありたいと思います。 心が焦ると言葉に表れ、余裕がない自分に 気づきます。 そんな時には、この言葉を思い出して「一途に、一心に」、そして誠実に活きて行きます。 ところで今日店頭に出た「週間ダイヤモンド5月19日号」には中高一貫校ランキングなるものが特集されてました。 中でも「医学部合格力ベスト100」に目が留まったのでざっと見てみました。するとやはり有名どころが上位を占めている のですが医学系はやはり小学生の段階で方向をはっきり打ち出さないと難しいように思えます。単に東大に入りたい、 京大に入るというのではなく医者になると言う意識をもって、そこへのプロセスを早期に創るということです。ちなみに東京、 神奈川地区でベスト100に入っているのは開成、筑駒、聖光、栄光、駒東、巣鴨、豊島岡女子、海城、麻布、桜蔭、女子学院 、暁星、公文国際、浅野という順です。優秀な高校でも医学部には強くなかったり、またその逆に東大、京大合格人数は 少ない割りに医学部に強い高校であったり、はたまた私学の早慶に強い高校であったりするのです。以前にも書いた 通り医学部に入るには、付属高校に入るパターンと一発受験で入るパターンがあるのですが、後者では小学校4-5年生で 目標を明確にして中高一貫校の情報分析に入らねばなりません。公立高校から医学部に入るには相当な能力が 要求されるので、それが近道のように思えます。前述の天野先生ですら県立浦和高校から医学部を受験されて3年も かかったことからも、そのように言えるのではないかと思います。お父様は国鉄職員だったそうです。

休日は ゆっくり新聞に目を通す時間があります。 「一点突破の足場を作る」とは 新聞の記事。海堂尊さんの言葉です。 千葉大医学部を出て、医学博士兼作家で有名な方です。中でも「チームバチスタの栄光」などはドラマにもなった有名作です。 海堂さんは自分を評して、外科医を断念し、病理学でも死亡時画像診断分野以外では全く業績を残せなかった落ちこぼれ と言うのです。千葉大医学部を出た医者が、「落ちこぼれだった」と言われると 落ちこぼれも悪くないような気になるから 不思議です。また海堂さんは、拠り所となる仕事があれば、落ち込むことがあっても、その自分の陣地に戻って気持ちを 立て直せると言うのです。医者になってしまうと、あとは天国のように地上の民は思うのですが、医者には医者なりの悩みが あるようで医学界は、今だに多くの財前五朗がおられるのだなとその道の険しさをあらためて感じさせられたのでした。 しかし、その事よりも更に興味引いたのは、当時、医学とは無縁であった作家の山崎豊子さんが何で「白い巨塔」のような 医学会の内幕を赤裸々に描けたのかと言うことです。新聞社に入るだけの能力があったから? 作家として、観察者としての 素晴らしい能力の賜物? う~ん、何で書けるのかな? そんな専門的なことを。 そう考えていると、ふと、当時の 毎日新聞社の配属先の上司が、井上靖さんであったことを思い出したのです。そうだった。それならさもありなん。その時に 思い浮かんだことは、明日は檜になろうともがくあすなろでも得意分野の樹下にピケを張ってさえいれば、いずれ檜に成れる のかもしれないという微かな確信みたいなものでした。

常々、テレビで拝見する川渕三郎さんの話し方などを聞いていて分かりやすい離し方をされ、また相手を引き込むような 雰囲気を作る方だなぁと思っておりましたら、サラリーマン人生が30年もあり、古川電工名古屋支店の営業部長で おられたようです。そんな記事が5月12日の朝日新聞の耕論に「冷や飯を食う」というお題目の元、サラリーマン川柳 とともに書かれてました。 川渕氏は90人もいる同期では出世頭で、いずれ東京に戻り、重役になる夢もあったようです。 それが電話一本で左遷。サラリーマン人生の絶頂期に思いもよらない人事を告げられたとのことで頭の中は真っ白。 会社員人生ではすべて思い通りに行く事などなく、遅かれ早かれ挫折は待ち構えていると言うのです。この5月、 新しい職場、新しい学校、いろんな機会に出会って ちょっと中だるみの頃。ちょうどいい冷や飯を朝日新聞は用意されて ました。あんなに成功されてる方にも、こういう過去があったのかとお腹が空いていたので、一気に冷や飯を食べてしまったら 何だか変に勇気付けられた気がしました。また、脇に掲げられた川柳は、どれも味があっておつなものでした。      このオレに あたたかいのは 便座だけ        宝夢卵      こってない 私の肩を なぜ叩く             役立たず      ブリはいい! 生きてるだけで 出世する       アトムの息子      窓際も だんだん増えて 活気出る           愛す亭      サラリーマン 造反したら 戻れない          十辺百一九               第一生命「サラリーマン川柳コンクール」 5月12日土曜 朝日新聞「耕論」より

10年、20年のスパンで日本企業を見てみると栄枯盛衰が半導体周期とリンクしてるかのように4-5年ごとに脚光を 浴びる会社が入れ替わってるのがわかります。つい数年前に落ち込んでいたのは三菱電機でしたけれども社長が代わって、 戦略を抜本的に変えて今は誰も想像出来ない回復を成し遂げてます。東芝も日立もそうです。約7-8年前に脚光を 浴びていたのはアクオスのシャープや、ソニー、松下電器でしたが、この3月期決算では、この3社は過去最悪の赤字を 計上するまでに落ち込みました。テレビや雑誌で取り上げられた後、5年~10年の間に没落する企業は何度も見てきました。 金融のプロミスや武富士も10年前は飛ぶ鳥を落とす勢いでした。 それでは、この先30年後に安泰な会社はどこなの でしょうか? 今、小学生の子供達が結婚して、子供を持った時に安泰な業界はどういう業界なのでしょうか?   公務員や弁護士、医者は変わらないでしょう。しかし一般企業では、キャノン、トヨタ、日産、武田薬品、キーエンス、ローム など限られた会社だけなのでしょうか? もはやパナソニックやソニーの将来も微妙です。またシャープは台湾系、 中国系の企業グループになっているかもしれません。パナソニックが松下電器であったならば、良かったのでしょうが、今は 幸之助さんがおられたころの会社とは別の会社のように見えます。ギリシャ語でエルピーダとは希望のことです。 1999年に設立された日本で唯一のDRAMの会社の社名が、そのエルピーダです。2002年、社長に抜擢された坂本氏は 日本体育大学出身の体育会系で日本TIでは倉庫係から役員まで昇りつめた、相当なやり手の方です。2004年当時、 テレビ各局が坂本氏の特集を組んでいたものですが、その時代の寵児も今年3月に会社更生法を申請するに至り、 ただの人に戻った感があります。 また、先端技術分野で先駆的偉業を成し遂げた方に与えられる山崎貞一賞を 2004年に受賞された東大出身でNECの部長であった若林氏はゴルフクラブで奥さんを殴ったとして先日5月11日にDV容疑 で逮捕されたという記事が新聞に出ておりました。上り詰めた一流企業のエリートの裏側の顔に唖然としました。 今の子供たちに将来を託せる会社は一体どこなのでしょうか? 30年後に安泰な企業はどこなのでしょうか? なかなかいい答えは見つかりませんが、一つ言える事は、その人自身のものの考え方が問われる時代がくることは 間違いないと言う事。  であるならば子供のうちから確かな目を養う事。小学校の頃から何事にも耐えられる体力と忍耐力を養う事。 そして、「人の為に」何かをする事。過去は変えられないけれど明日は創れると信じ、「人の為に」活きる事です。 そういう目で世の中を見渡せば30年後の安泰も見えるのではないでしょうか。坂本さんも若林さんもお仕事が大変お忙しく その点を見落とされていたように思えてなりません。

長男の医学部留年のことを書いたブログは過去に4回ありました。という訳で久しぶり に長男の医学部3年生のことを書きます。医学部は入るのが難しいのですが、実は入学後 の方が大変です。記憶量が入試レベルではないようで、実習、人体解剖に加え基礎医学、 医学英語、呼吸器、消化器、救急医療、神経などあらゆることを学ばねばならず、この 6年間に絶えられず途中で挫折する人、精神的に耐えられずノイローゼになる人が少なく ありません。また国公立は、そうではないようですが私立は2年連続で留年すると放校(退学) になります。2年生で人体解剖をする大学が多いと思いますが、その年を留年すると翌年も 人体解剖を数ヶ月かけて行うことになります。人体解剖とは亡くなられた方が生前医学の為に 献体申し出られていた方の身体の頭からつま先まで、内臓から神経までを解剖して行くわけです。 医学を心がける若者の多くは解剖程度で失神する方はいないのですが、中には血を見るのが 苦手なガリベンさんもおられて、その人体解剖の壁を越えられず、医学の道をあきらめる方もおられる と聞きます。そんな中で私の長男は解剖、実習はなんら問題なかったのですが、勉強時間が足り なかったのでしょう。3つの欠点科目の為にやり直しとなりました。本年度も、すでに4月が終わり ました。中だるみにならないよう家では、英語の勉強方法など 刺激になるような会話を心がけて いますが、あまり本人の足しにはならないようです。このGWは毎日8時間は机に向かって ますが親としては環境を整えることと、目的意識が揺らぐときに元に戻してあげるくらいが 関の山で、それ以外は見守るだけで十分でしょう。今、NHKでは梅ちゃん先生が放映されてます。 ちょうど2年生の解剖の時期です。民放では国家試験を合格した後の研修医のドラマ 37歳で医者になった僕 研修医純情物語が放映されてます。 医者には医者の役割があって、 その人には、その人が生かされてる理由もあるのでしょう。長男も医者としての役割があるの なら、そのまま医学の道を進んで国家試験にも受かるでしょう。もしそうでなければ、どこかで 別の選択肢に出くわすように思えるのです。 素直な気持ちで、誠実に、自分の人生に向き合って どんな困難があろうとも、その全てを受け入れて、亀のようにゆっくりであっても着実に歩を進めて 欲しいと常々考えています。

あなたは考え、人生と言う旅を続けます。あなたは何かを愛し、それを自分に引き寄せます。あなたは今、あなたの思いが あなたを連れてきた場所に立っています。明日のあなたは、あなたの思いがあなたを連れて行く場所にいるでしょう。 あなたは、あなたの思いの結果から決して逃げられません。でも、あなたはそれに耐え、それから学ぶことが出来ます。 そして更にそれを受け入れ、それを喜ぶことが出来ます。 あなたは今、自分の環境を自分自身とは分離したものだと考えているかもしれません。しかしそれは、あなたの思いの 世界と極めて密接に結びついています。原因をもたず発生する物事は何一つありません。発生することのすべてが そうなることの正当な理由を持っています。あなたの人生内で発生する全ての物事が、あなたの内側の状態に従い 発生すべくして発生するのです。 --- これはジェームス・アレンというイギリス人の言葉です。それも今から 100年以上も前の言葉です。 私は子供のころにこういうことを教えてくれる人が廻りにいませんでした。 私がジェームス・アレンの書「原因と結果の法則」に向かい合ったのは今から8年ほど前のことです。なかなか この内容を理解し、実践することなどできませんが、事あるごとに自分を元に戻すための重要な本となってます。 明日から私は中国です。中国の北から南を、この本を2巻を持参し移動中に読み返そうと思ってます。4月28日には 帰国して、またウィークデイは仕事で、土日は子供達に空手を伝えて行きます。5月にはまた、新たな出会いを期待して。 心の姿勢を正して、子供達に向き合おうと思います。

すすき野小学校を何とか無事に卒業出来たことがただ有難く感じられたのは、もう7年も前のことです。すすき野 中学校では野球部に入り球拾いの毎日でしたが途中で辞めることなく3年間をつつがなく過ごさせてもらいました。 生まれてからの2年間は泣き喚いて、奇声を発するだけで言葉をしゃべりませんでした。漸く言葉を口にしだしたのは 3歳を過ぎてからのことです。保育園でも先生とのコミュニケーションが取れず好き勝手に動き回ってしまう始末。 ちょうど、そのころ同じ保育園にマサキ君という同じような症状の子供がいました。どういう訳か皆についていけない 二人は波長が合い、マサキ君とうちの次男はいつも一緒にいるようになったのです。よだれを垂らしたままのマサキ君と 、いつも自分の世界にこもっている次男は見た目で、変わった子供であることは判別できました。マサキ君のご両親も いろいろ悩まれていたと思います。お父さんは当時有名な野球選手。伸びのある速球を投げる方でしたがヒジの怪我で 長期間入院され、その後復帰した試合でヒジをプレートに付けて何かを祈っていた姿が印象的でした。現在のマサキ君 は確か桜美林大学に進まれたと聞いてます。もちろん野球をしながら。 うちの次男は普通のクラスでは無理だろうと あきらめてはいたものの、何とかすすき野小学校、すすき野中学校を卒業させて頂き、日大桜ヶ丘高校に進みました。 言葉をしゃべるのが遅かったため、小学校低学年の時には他の子供より2-3年は知能が遅れていたと思います。 いろんな機関に検査や受け入れ施設の相談に行きましたが結局は自分達が普通の小学校に入れて、普通に育てる んだと決めて、一つ一つをその子供のレベルに合わせて成長の過程を作り上げてきた結果が、今なのだと思うのです。 出来るだけ脳に刺激を与えること、そのために出来るだけ運動をさせたこと、空手もその一つでした。柔軟運動をさせ、 汗をかかせ、皆と一緒の行動に馴染ませること。これは自閉症の子供にはきっといい刺激になると思い空手の稽古を 続けました。もちろん家での勉強も毎日行い、一緒に復習をしたことなど、今から思えば気の遠くなる地道な作業でした。 もちろん塾に入れることも考えましたが、到底、塾に通えるレベルではなく、相手にしてもらえないということは親が一番 分かってました。そうなればあとは腹を据えてどん底から這い上がるしかないと踏ん切りをつけるだけのことでした。 いつも藁をもすがる思いで成長を見守ってきた気がします。そんな次男の野球は9番ライトが定位置。試合に出して もらえるだけでも有難かったと思います。その子が地道な苦労を重ねた結果、運よく日大桜ヶ丘高校に入学することが 出来て、そこで始めた陸上は、経験者ではなかった為、最初から同級生の背中を見て走る毎日でした。本人は何度も、 もう辞める、もう辞めると言っては明日だけーーー。と言いいながら何とか春夏秋冬を超え、1年をどうにかやり過ごす ことが出来ました。その頃も軽い自閉症の感覚は残ってましたが毎日の努力と適度な運動の効果は、次第に明らかに なってくるのが分かりました。長距離を走る息子の低位置は常に最後尾でしたが、2年生の秋を迎えるころには、多くの 生徒が疲労骨折や足首の怪我などで悪戦苦闘し出した為、いつしか本人は皆の真ん中を走るまでになっていました。 それから半年が経った3年生の春には同校の長距離で息子の前を走る生徒は誰もいなくなっていました。高校に入って から始めた長距離走は、わずか2年半で終わってしまった為か、本人は、そのまま大学の陸上部の寮に入り、朝5:25に 起きて早朝練習、夕方も練習という毎日に身を置く道を選択していました。いつも皆の会話について行けず、置いてきぼりが 低位置であった子供が今では普通の大学2年生になっています。まだまだ箱根駅伝に出れるレベルではありませんが、 それを目指して雨の日も風の日も、暑い日も寒い日も努力し続ける姿勢があれば、いずれ花は咲くような気がします。息子の 過去を振り返ってみると、そう思えてならないのです。

浦和高校は私の父が通っていた高校だけに妙に懐かしい響きがありました。父は昭和24年に入学しましたが家計 が苦しく浦和高校を中途退学して川口のサッポロビールの工場に働きに出ました。戦後間もない頃の話です。父は 勉強がしたくて浦和に入ったのですが、母子家庭であったことで自分の将来よりも今の家計を考えたようです。しかし 、このサッポロビールも一部上場企業なので学歴がものを言うのは明らかでしたが昭和24年当時は、この選択肢 しかなかったようです。30歳代になると、そのことが顕著になり父よりも若く、社歴の浅い人が上司についたなどと 愚痴っていたことを思い出します。浦和中退=中卒であった父の肩書きは班長、主任がいいところでした。そんな 父の口癖は大学は出ないと駄目だということで兄も私も、その通りにさせて頂きました。父は自分と同じ苦労をさせ たくはなかったのでしょう。今、私の長男が医者の道に進もうとしています。その息子が今の3年生から、その先、 留年することなく順調に行ったとして医師国家試験を受験できるのは2016年2月。亡き父がサラリーマン時代に学歴 で苦労し出した30歳ころ(1965年)から、医学の分野で学歴で頂点を極めるまで世代を超えて約50年もかかることに なります。しかし、是非成し遂げてもらいたいし、本人もそれを信じ勉強に励んでいてくれてることと思います。医者 の家庭から医者を出すの大変な苦労を伴うものではないでしょう。しかし、そうでない場合は素質・資金・運がない と叶わないと思います。それに加え何よりも、その親の信念・努力がないと子供は親の枠を超えられません。自分 が受けてきた教育以上の教育を子供に施す信念と余裕が、その親になければ、その子供は、その親以上には なれないのです。私が目指すものは、そのような世代を超えたワープです。子供が親以上になってくれること、 親が成し遂げられなかったことを成し遂げてくれることにあります。親がその気にならなければ子供の人生は 変わりません。  という訳で、この空手クラブは、単なる空手だけを教える場ではなく、教育の場であり、 いずれご父兄様方と子供達の人生設計を考え・語り合える場を設けることが最終目標です。 遠くない日に、 こういう会話をご父兄様達と出来るようになればと思います。努力はいずれ報われる。そう信じております。 またこの空手クラブは、そう信じてる方々との出会いの場でありたいです。

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