ひょうんな事から 昔、仕事で訪問したペルーの通貨が出てきました。今から24年も前の88年頃のものです。
しかし、ペルーでは1991年7月にデノミが行われて100万インティーが1ヌエボソルとなってしまってます。
なので、全く価値がなくなってました。 今では記念品です。リマのミラフローレスという5つ星の立派なホテル
に泊まってました。豪華でしたが割安で、しかも入口には機関銃を持った警備員が警備にあたってました。私はリマを一人
で訪問し、現地の方との面談を済ませて、アルゼンチンのブエノス・アイレスに向かったのです。「綺麗な空気」という意味の
街はヨーロッパそのものでした。そこでも現地の方と仕事をこなして、夜は慣れないパーティーにも呼ばれたのです。30歳
ころの無謀な出張でした。当時、イタリアに年間3カ月は滞在していたので、リナーテ空港に着くたびに 帰って来たという
安堵感がありました。それ以外はロンドン ガトウィック空港からグラスゴーやインバネスに降りて、一人でレンタカーを
借りて古城ホテルに向かった訳ですが、それも今、思えば無謀な出張。息子達には、そんなことはさせたくないと思い
ます。自分が危険なことを顧みず、世界中飛び回っていたのに、子供達には安全でいて欲しいなんていうのは変な話
です。 昔、両親からこんな話を聞きました。 船橋ヘルスセンターがあったころ両親に連れられて2歳の私もヨタヨタ
歩いてついて行ってたらしいのですが、途中ではぐれて迷子になったらしいのです。 しかし何も気にせず、首にタオル
を巻いたまま3時間ほど放浪していたのですが、慌てたのは両親と会社の同僚の方々10名。3時間の間、走り回って
探したあげくに、首にタオルを巻いたチビが泣きもせず放浪を楽しんでいたと言うのです。 親が言うには私はそんな
子供だったらしいです。 そんな訳ですから、成人して世界中どこへ行ったとしても、しようがありませんね。
中でもスコットランドの古城ホテルは最高でした。 インバネスから車でキースに行けばサーモンの川とハイランド
とピーターラビットの世界。 夏は白夜で22時ころでもパターゴルフをやっていたものです。 一人で出張に出て
見ず知らずの土地で現地スタッフと仕事をするのは20歳台後半の仕事のスタイルでした。 若かったのでハラハラは
全くなかったのです。 23年も経ってしまった今、当時の通貨とホテルの領収書やリナーテデューティーの領収書、
ヒースローでリラからポンドに変えた時の両替レシートなどに偶然出くわすと、怖いもの知らずの30歳の若造の
気持ちがよみがえって来ました。 まだ髪の毛の黒く、フサフサしていた頃の話です。