6月 2012

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  大場みすずが丘地区センターの入り口には笹に願い事 が書かれた短冊がいっぱい。 子供達の願いと家族の幸せを願う思いに心が温かくなりました。 七夕はもともと中国から 伝わった風習です。 乞巧奠(きこうでん)と言って 七月七日に湖南省の女性達が針に五色の糸を通し庭に酒や 瓜の実などを供えて裁縫の上達を願ったことが始まり。 日本では平安時代に宮中の年中行事の一つだったようです。 でも旧暦の7月7日だから今の暦では8月19日ころ。 昔は梅雨があけて暑さも峠を過ぎたころに行っていたのですね。 中国の湖南省の8月中旬の気候は酷暑そのものです。街は日本の田舎とそっくり。でも湿度≒80%、気温40℃にも なるから盆地特有の暑さの街です。6世紀の中国で始まった夏の行事が日本に伝わって、織姫と彦星が天の川を越えて 再会できる年に1度の日になりました。中国では針仕事をなりわいとする女性たち(織女)が裁縫の上達を願うための お祭りでした。 そのため習字を含め、裁縫、工芸などの芸事が上達しますようにというお願い事にはごりえきが ありそうですがーー、と思いながら一つ一つの短冊を眺めてみますと、そこには純粋な子供達の心がいっぱい。 「早く人間になりたい」、「ウルトラマンゼロになれますように」ーーー。 でも残念ーーー。ウルトラマンゼロは難しいかも。 たぶん書いた子供はウルトラセブンの子供じゃないだろうし、それは無理です。それに5900年も生きないといけない から止した方がいいです。 それに、そういう願いは、そもそもかなわないかも。 45年前に同じようなことを書いた私が 、まだウルトラマンになれてませんから。

私は書く衝動にかられたときに ここに思いを書くようにしてます。 先日はジェームス・アレンが余生を過ごした イルフラクームとエミリー・ブロンテ、シャーロットブロンテが眠いっている北イングランドに行ってみたいなと思って そのことを英文で書いたのです。 その後は、書きたいものもなく今日もテレビや新聞を見ていました。すると何やら 高学歴でいい就職がないというニュースに出くわしたので、何故かな?という気持ちで視ていたのです。明治大学 大学院卒で政治学の修士を取ったという31歳の方、14年前に17歳で千葉大に日本で始めて飛び級で入学した 物理の天才と持て囃された31歳の方。二人とも手取り20万円にも満たない給料だと言うのです。何を誤解してるのだろう。 今時、「修士」という肩書きがどれほど世の中で役に立つものか何故、親、兄弟がそういうことを伝えてあげなかった のか疑問でなりません。 勉強のし過ぎなのか、また高学歴であれば世の中を渡っていけると勝手に思い込んで しまったのでしょうか。今や日本でも中国でも、アメリカでも、そんな甘さは残っていません。 その二人に共通 していることは壁にぶち当たっても高学歴と過去の栄光にしがみつく、後ろ向き人生を歩んでるということです。 企業は役に立つ人材が欲しいのです。会社の社運を隆盛させるような若さあふれる人であり、エネルギー、そして チャレンジ精神旺盛な人。 失敗してもへこたれない明るさのある人。最後に協調性のある人。 決して頭のいい人を 欲しいのではありません。東大・京大出身者が仕事が出来るとは限らないからです。 では どうしたらいいのでしょう。  今日の昼の番組では 将棋で団体優勝を果たした岩手高校の特集がありました。名だたる高偏差値の高校を 破っての優勝です。前年に灘高校に決勝で敗れた以外、ここ数年、連覇を続けている高校です。偏差値は54。 灘や開成の偏差値は常に75~77です。勝負あったと言っても過言ではありませんが、悉く予測を覆す結果を 導き出すのです。この生徒達にとって偏差値は関係ありません。将棋が好きな上に、負けないための努力をして 、そして下級生は先輩に、先輩は下級生に鍛えられてるのでしょう。 自分たちで考えながら何とかするコツを体得 したのでしょう。 これが大事だと思うのです。考えて、悩んで、やってみて、自分の道を切り開き、それを育むんで 行く事。これが大事だと思うのです。学歴で飯が食えるとは、岩手高校の将棋部のメンバーは誰も考えていないでしょうし、 どうやって行けばいいのか考える知恵とタフさが備わった以上、動じることもないでしょう。 対照的な映像でした。 今、私は週末に子供達に接して空手を教えています。 子供なのでしようがないのですが集中力が欠けている子供 、またふざけ出す子供、そして泣いてしまう子、スパーリングで相手に強くしないでとお願いする子。子供達は、 それぞれです。私は子供らしくて、それはそれでいいと思ってます。極真で稽古を続けていれば、そのようなことは、 いずれ解決することだからです。 しかし、大事なことは、壁を乗り越える精神的な強さを養うこと。そして親や周り の人が、その子供の進路に真剣であることです。高校生・大学生だから自分の好きにさせるというのも人生です。 しかし自由にさせた挙句に30才を過ぎて、就職難に出くわし20万円にも満たない給与では、取り返しがつきません。 これから先が暗い闇ならランプを用意してあげるのは親の仕事。人生の壁にぶつかった時にどうすればいいか 分からない子供に適切なアドバイスをしてあげるのは親の責任です。 今、空手で接してる幼稚園児、小学生もいずれ 社会に出ます。その時に出くわすはずの壁に、その子達が対処 できる大人になって欲しいと願いながら、基本稽古やスパーリングや補強練習を見詰めています。 大人になる前に直さねばならないこと、褒めて、褒めて伸ばしてあげること、名前を呼んで頭をなでてあげながら 一人一人の目の輝きを確認してます。 空手に強くなるためだけに時間を使ってる訳ではありません。子供達が 社会に出て苦労しない人になるために目を看て、頭をなでながら、よくやったねと褒めるのです。 ふざけ癖が直らない時には、「言うことが聞けないなら帰りなさい」と言うこともあります。しかし、稽古が終わる頃 には最後は頭を撫でて、褒めて帰してあげます。 この子供達の明るい将来を思いながら。  また来週の土日には、元気な顔を見せてくれるでしょう。 そしたら、見せ掛けの高学歴などに惑わされない人に育って 欲しいと願いながら、また御まじないをしてあげようと思います。 すくすく育ちますように。

6月17日 土曜日の練習の時に マオちゃんから 素敵な絵をもらいました。 いつも練習の合間に近寄って 来てくれて 何も言わずに絡まってくれる可愛い子ですから 毎週顔を見るのが楽しみなのです。 土曜日は そんなマオちゃんが「ハイ」って言いながら紙を差し出してくれたのです。 その時は 他の子供達としゃべって いしたので ゆっくり紙の中身を見ることが出来ず、ただ「ありがとね」 とだけ言ってすませてました。  綺麗な服と髪飾りには青の色鉛筆が。そして「プリンセスがだいしゅうごう」  と書いてるのです。 しかし、面白いもので、先週から今日にかけて3人の可愛いプリンセスが入会してくれたのです。まるで  この絵のように。 レナちゃん、マコちゃん、リコちゃん、そしてマオちゃん 集まってくれて、ありがとう。この絵 大事にします。

ひょうんな事から 昔、仕事で訪問したペルーの通貨が出てきました。今から24年も前の88年頃のものです。 しかし、ペルーでは1991年7月にデノミが行われて100万インティーが1ヌエボソルとなってしまってます。 なので、全く価値がなくなってました。 今では記念品です。リマのミラフローレスという5つ星の立派なホテル に泊まってました。豪華でしたが割安で、しかも入口には機関銃を持った警備員が警備にあたってました。私はリマを一人 で訪問し、現地の方との面談を済ませて、アルゼンチンのブエノス・アイレスに向かったのです。「綺麗な空気」という意味の 街はヨーロッパそのものでした。そこでも現地の方と仕事をこなして、夜は慣れないパーティーにも呼ばれたのです。30歳 ころの無謀な出張でした。当時、イタリアに年間3カ月は滞在していたので、リナーテ空港に着くたびに 帰って来たという 安堵感がありました。それ以外はロンドン ガトウィック空港からグラスゴーやインバネスに降りて、一人でレンタカーを 借りて古城ホテルに向かった訳ですが、それも今、思えば無謀な出張。息子達には、そんなことはさせたくないと思い ます。自分が危険なことを顧みず、世界中飛び回っていたのに、子供達には安全でいて欲しいなんていうのは変な話 です。 昔、両親からこんな話を聞きました。 船橋ヘルスセンターがあったころ両親に連れられて2歳の私もヨタヨタ 歩いてついて行ってたらしいのですが、途中ではぐれて迷子になったらしいのです。 しかし何も気にせず、首にタオル を巻いたまま3時間ほど放浪していたのですが、慌てたのは両親と会社の同僚の方々10名。3時間の間、走り回って 探したあげくに、首にタオルを巻いたチビが泣きもせず放浪を楽しんでいたと言うのです。 親が言うには私はそんな 子供だったらしいです。 そんな訳ですから、成人して世界中どこへ行ったとしても、しようがありませんね。  中でもスコットランドの古城ホテルは最高でした。 インバネスから車でキースに行けばサーモンの川とハイランド とピーターラビットの世界。 夏は白夜で22時ころでもパターゴルフをやっていたものです。 一人で出張に出て 見ず知らずの土地で現地スタッフと仕事をするのは20歳台後半の仕事のスタイルでした。 若かったのでハラハラは 全くなかったのです。 23年も経ってしまった今、当時の通貨とホテルの領収書やリナーテデューティーの領収書、 ヒースローでリラからポンドに変えた時の両替レシートなどに偶然出くわすと、怖いもの知らずの30歳の若造の 気持ちがよみがえって来ました。 まだ髪の毛の黒く、フサフサしていた頃の話です。 

春になると農夫や園芸家は、土地を耕し、そこに一斉に種をまきます。 彼らは収穫したいものの種をまきます。 小麦からは小麦しか出来ないし、大麦からは大麦しか出来ません。 種蒔きと言う作業は自分の心と人生の中 でも同じように行なわれてます。自分の思いや、言葉、行いが、自分のまく種であって、その種は、やがて同じ種類の 結果を収穫物として自分自身が刈り取ることになります。 憎しみに満ちた思いを巡らす人は、周囲から憎しみ を次々と引き寄せますが、愛に満ちた思いを巡らす人は、その人を愛する人を引き寄せます。常に正直に考え、 正直に話し、正直に行動する人は、常に正直な友人に囲まれます。逆に不正直な人を取り囲むのは、おおむね 不正直な人たちです。誤った思いと行動を続けながら、神社で神頼みをする人は 「畑にソラマメをまいて小麦を 収穫させて下さい」と祈る人です。幸せになりたいなら人々の幸せを願うのが先です。 このように単純なことを農夫 の方々の行いから学べるということを子供たちにも伝えて行こうと思います。 子供たちは、命の輝きに押されるように 、心はいつも脈打ち、そして、新しい刺激には貪欲です。 そんな子供たちが これから成人する過程の中で、間違い なく直面するであろう越えなければならない人生の幾多の峠を、真っ向から立ち向かって行けるように「正直に生きる種」 を配って行こうと思います。 輝いた目を持つ子供たちに、ちょっとした勇気の出る「おまじない」も忘れずに。

果実には種が。 そして、水には泉があるように、「行い」にも「思い」というみなもとがあります。それは長く静かに 成長してきた結果、現れたもので、多くのエネルギーが費やされた、隠れた長い工程の最後の部分でもあります。 熟した果実や、岩から吹き出す水は、長い間、ひそかに続けられた自然の営みの結果です。  ということは、 いい行いも、邪悪な行いも、心の中に長くとどまり続けた一連の思いの最終結果なのだと考えるのは全く理に かなったことかも知れません。 誠実な人が、ある日突然、強い誘惑に負けて、忌まわしい罪の中に落ちる話 なども耳にしたりしますが、その人のそこに至るまでの「思い」の工程が明らかになれば、それが実際には突然の 不可解な行いか、それとも、そうではなかったのかがわかります。 ただ多くの場合、そういう事に直面する方は、 まず初めに、ある誤った思いを心の中に侵入させ、続いて、それが再びやってきた時にも、その次の時にも、それを 受け入れてしまった結果、それを心の奥底に住まわせてしまったのではないかと思えるのです。 また、それが意外 と快適になり、やがてそれを抱きしめ、あれこれと面倒をみるようにさえなってしまった結果、その思いは心の中で 大いに成長し、行動として、外部に現れるほどに強力なパワーを身に着けたのでしょう。 目に見えない心模様でも 、同じ類のものを抱き続ければ、次第に具体的な最終行動へと向かってしまうこともあるでしょう。そういう意味では、 隠されているもので、表面にあらわにならないものは何一つない、と言えるのかもしれません。 すると、外側で発生 する「きっかけ」と戦って、罪や誘惑を克服しようとしても、無駄なことなのかも知れません。気高い教授も、好色家も、 その人自身の思いによって作られているのですから。  自分が心の庭にまいた種を、あれこれと手をかけて育んできたことの結果を、まさに今、手にしてるということです。 ならば、来る日も、来る日も心の庭にまく種は誠実なものにしたいものです。 昨今の様々な事件を顧みると、決して その一つ一つは偶然ではなく、長く蓄積された心の種が創り上げた必然の産物であったのだろうと思えてなりません。

スパーリングでは、ツカミからのヒザがよく出てしまいました。最近は、そうではありませんが以前在籍した 道場、またその前の道場でもよく指摘をされたものです。試合でも、そうでした。新極真の試合でも、連合会 の試合でもツカミからのヒザは反則ですから、何度も反則負けになりました。流石にこれでは、と思いツカミ なしで出た南里師範主催の東東京大会のシニア重量級の部で久しぶりの優勝。私は以前、剛柔流の時も 、京都の極真会館芦原道場の時も、反則負けがありましたが、気にもしませんし、それを直そうとも思い ませんでした。相手に勝つ勝ち方に徹してたのです。これが私が22歳の頃に出会った芦原先生の空手で した。私よりも14歳年上の36歳。面白く、カッコいい先生でした。その芦原道場では掴んで、横を取って 上段回し蹴り+膝蹴り+廻し受けで首に引っ掛けてヒジ打ち。禁じ手が有効だとその時良く分かりました。 大学の剛柔流には未練もなく、あっさり辞め、強さを求めて芦原道場に入り背中に「芦原英幸」という大きな サインをしてもらって稽古をしてました。その道着はもうボロボロでサインもかすんでしまってますが、確かに 芦原先生のもの。大切な道着です。もう31年前のものです。  今、護身術では禁じ手から教えています。何故禁じる技なのか? どれほど威力があるのか? どうすれば 人間は倒れるのか? 掴まれたら? 羽交い絞めにされたら? 胸倉を掴まれたら? 極真のケンカ十段の 技は磨いておかねば、ボロボロの道着の、背中のサインが廃れてしまいます。極真の試合に勝つ華麗な空手 も大事です。これは、これで稽古を重ねて行きますが、道場の外で活かせる技は別物です。  通り魔事件を起こすような相手に通用するのは、間違いなく そういう技だと思っています。 

心斎橋で事件が起こりました。 今から4年前の2008年3月に荒川沖、6月に秋葉原でも通り魔 事件が起こりました。 大変痛ましい事件です。実際に、その場に出くわした時にどういうことが 出来るかわかりません。しかし、私は有事にどうあるべきかを想定した稽古を行っているか、いない かで結果は違うだろうと思います。その為に護身をテーマにした稽古を先月初めて行いましたが、 今後も生徒、またはご父兄様から一人でも、ご要望があれば(無料で参加出来る場として)  自分自身を守るために、どうしたらいいのかをテーマにした稽古の時間を設けようと思います。 お金の問題ではありません。 一人でも、少しでも、安心して暮らせるように自信をつけてもらいたく 思います。   「力なき正義は無能なり。正義なき力は暴力なり。」  

確かに男性の顔の人形は見たことがありません。何でいくつもある木製人形の顔は女性なのかと聞いてみると 「昔々ーーー」という話をしてくれました。 ちょうど、こんな物語でした。 ロシアの南方の地域(冬は雪で覆われた寒くて過酷な場所)に、ある兄妹が羊の放牧していました。その時に、 妹がはぐれてしまい、いくら探して妹は出てきませんでした。兄は見つからない妹を想って、木に妹の姿を刻んで 残していたのですが、何年たっても妹は見つからず成長した妹を想う兄は、その度ごとに ひと廻り大きな姿を 刻んだのです。 こうして数が増えて行って、今日のマトリョーシカ人形になったとさ。女性の顔なのは、そういう事。

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