7月 2012

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極真の試合は顔面へのパンチや急所への蹴りなどは禁じ手になってます。しかしそれ以外は実際に当てます。ですから 稽古では、どこを、どうすれば、人を倒すことが出来るのかを研究します。実際に日常生活で人を倒す為ではありませんが 実践で通用しない突きや蹴りをいくら練習で繰り返しても意味がありません。突き一発で倒せる自信があれば、また蹴り一発 で自分より大きな相手を倒せる自信があるだけで、どんな場面に出くわしても冷静でいられるのです。極真カラテは弱い人が 強くなるために習得する技です。最初は弱い人でも繰り返し繰り返し極真の基本を稽古し、型を稽古し、それをスパーリング で活かしていく中で自分でも想像できないほど強い人間に成長していきます。また逆に言うと、試合で強い選手ほど基本が 出来ているということです。基本が出来て、その応用に入るという過程がないと強くなりません。強いということは、もちろん 攻めも上手いのですが、それ以上に守りが上手いということです。相手の強い蹴りやパンチをさばいて、攻めに転じること が出来れば相手に勝てます。蝶のように舞って蜂のように刺すのはボクシングも空手も同じこと。それが出来るには基本。 基本が出来てないと我流の形になり、いくらやっても上達せず、スパーリングで余裕を持てなくなります。基本をマスター して相手の攻撃を自由にさばけるようになればミット稽古が活きてきます。 このことは極真の試合を見に行けばわかる ことです。いつか稽古に来てる子供達を極真の試合に連れて行ってあげようと思います。小さい人が大きな人の重い蹴り やパンチを受けながら起死回生の上段蹴りで相手を倒すシーンはよく見ます。しかしパソコンの動画ではなく試合会場で 見る極真の試合は迫力が違います。上手い組手をする人の余裕ある姿に刺激を受けるでしょう。身体の大小は関係あり ません。余裕あるカラテに大事なのは基本のマスターなのです。子供たちに基本を伝えるのは大変難しいことですが、 辛抱強くやっていくしかありません。繰り返し繰り返しやる過程が人を変えると信じて、そして子供達が一つ一つの峠を 越えられるよう見守って行こうと思います。時には厳しく、時には優しく。子供たちに何かを残して行きたいといつも思い ながら指導をしてます。そう思って今日もみすずが丘に行きましたら、稽古の前にある子供からおみやげをもらいました。 沖縄の「星の砂」。 何だか気持ちが嬉しかったです。この子達が成人するころには空手はオリンピック種目になっている でしょう。空手は世界的に広がっているのですが柔道と違って、寸止め空手や直接打撃系、また極真も松井派、浜井派、 新極真、連合会など多岐に分かれているのが実態です。それが昨年あたりからJKJO、新極真を中心に一つにまとまる 動きが出てきたのです。 今、ロンドンではオリンピックが開かれてます。 いつの日にか空手がオリンピック種目に なればと思いまがら見てました。それを目指すくらいに努力していたら、「いじめ」という言葉とは無縁の環境になっている はず。目標がある人には「いじめ」という寄り道もなくなるのでしょう。 環境は自分で創るもの。そして過去は変えられない けれども明日は自分の思い通りに方向転換が出来ます。そんなことが注目もされてなかった日本の男子サッカーに見る ことが出来ました。優勝候補のスペインを切り崩し、予選も突破。日本の若者の突破力と荒削りさが妙に新鮮で、何かを 成し遂げそうな予感が湧いて来ました。 そういう若者たちの物怖じしない度胸に、人知れず努力した結果が備わった瞬間 、何かがはじけて奇跡が起きるように思えます。 逆に金メダル確実と言われる人たちが早々に負ける試合を女子柔道に 見ました。相手を見すぎて攻めが一歩遅く、何もはじけるものもない。そんな試合でした。力負けと言えるかもしれません。 捨て身になっていない行儀の良さに奇跡は無縁なので何となく試合前に本人たちは何かを感じているはずです。  「いっちょやってみるか」という奇跡の予感なのか、ただ漠然とした空回り感なのか。 日本の若者には綺麗ごとや 行儀の良さよりも 荒削りな度胸を見たい。 サッカー男子には迷いはなく、2日目までの柔道女子二人には迷いが あったかも。 オリンピックは心の迷いを規準に見てみると勝敗の予想は外れないかもしれません。 明日を信じて 活きる人。奇跡の予感の人。世界を食ってしまう番狂わせの人。見せて欲しい。 そんな物怖じしない姿を!!!

社会に出て30年。日本国内でもいろんな場所を訪れました。思えば行ったことのないのは北海道と沖縄だけ。あとは すべて訪れましたのですが、行く先々で不思議なことに、初めて訪れた場所の方々でも以前にお会いしたような馴染み のある感覚、風貌などに出くわすことがあります。これを前世記憶という方もいるのでしょう。しかし私自身はいつも、 それは単純に当然のことと割り切って見ているのです。 日本の歴史を見ると約1000年前に源氏物語が出来たこと は周知の事実です。しかし、この1000年というのが自分から数えて何世代前の人が生きた時代かと考えると 約40世代前。これは1世代を約25年と計算し100年で4世代という計算から出たものです。 そうすると自分の 1世代前の人数は両親だけなので2名、2世代前は4名、そして3世代では8名、100年の4世代前は16名という 具合に私が生まれるに至る過程で関わった人数はネズミ算的に増える訳です。そうすると40世代前の人数は 8兆7960億人となってしまいます。 当然日本の人口は、平安時代では550万人~650万人しかいませんから、 日本国内で何度も混ざり合った血縁の中で今の自分がいるということが分かります。 ということはDNAの形が近い 人も当然日本の中でも多数いるということになるのだろうと、勝手な個人的理論を作り上げて、先ほどの「馴染みの ある風貌」に対して、安易な納得を加えているのです。 日本は鎌倉時代でも684万人、関ケ原の戦いの時でも 1227万人、享保の改革の時代でも人口は3128万人。多少人口が増えたと想える明治でも3330万人ほど。 それが第2次世界大戦の時は8390万人に増え、今は1億2千万人。 それが今を境に日本の人口は減るという 予測があります。2030年では1億1千5百万人、2050年では9515万人になるらしいです。   「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しく とどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」  1212年のこの文章は、ちょうど33世代前 の方が書かれたもので、当時の日本がどんな国であったのか薄っすらと見えて来くる書物です。 夏の夜空を見なが らの読書の時間が、ちょっとした空想の時間にもなり、その当時に生きていた方の血が今の自分にも受け継がれている という奇跡に近い事実にも辿り着いたりも致しました。 しかし大事なのはこれから先の事。 2030年は今の小学1年生 が25歳の時です。このHPの写真の子供達がちょうど社会に出だした頃。そして2050年は、その子供達が45歳の時。 日本は少子高齢化真っ只中。いったいどんな社会になっているやら全く想像もつきませんが、よりよい日本であることを 願うばかりです。なでしこの初戦を見ながら、そんな空想をしていたら気が付けば3時。今朝は少々つらい朝になりました。

「弱い者をいじめることは人間として絶対に許されない。いじめる側が悪い。また、いじめを傍観したり   する行為も同様に許されない」というのが文部科学省の見解。それを子供たちと保護者に徹底させる   ことが必要だというのです。また学校の断固とした姿勢も必要だということも書いてありました。いじめ   は決して許さないという断固とした姿勢を学校が示し、場合よっては停学などの厳しい措置をとること   を知らせることが必要だというのですが、私にはこのような第三者的な言い方は大津教育委員会の   対応と大差ないように感じられました。公に省の見解を提示するとなると、このような表現になるのも   、やむを得ないのでしょうが。 しかし、学校の教育現場で、そういう対応があったとしたら、現場の   改善には至らないように感じます。子供たちに距離感がある言い方では何も解決は出来ません。    全ては自分の子供に対するのと同じです。目を看て褒めて、やらせて、また褒める。   泣くこともあるでしょう。でも出来ないことを何度もやらせて、また褒めてあげます。子供の純真な   気持ちは目に現れているから私もあきらめず、そうし続けます。もちろん文部省や学校が唱える    建前に異論がある訳ではありません。 しかし大事なのは、子どもの名前を呼んで、目を看て、    語りかけること。そういうことを繰り返す中で、次第に微かな灯りが見えてくるように思えるのです。    子供たちに空手を教えながら心の目を看るようにしているとかなり疲れを感じる時があります。    幼稚園から小学校低学年の子供たちが集中出来るのは、せいぜい30分くらい。 それはどんな   子供でも同じです。 そういう子供たちを飽きさせず、しかも自信をつけさせるように時間を使うには   、工夫が必要になってきます。一人一人の顔色と目と動作を看ながら気持ちを感じて、それに応えて   行く訳ですから、気を抜くことはできないのです。    稽古の最後には 道場訓を唱和して黙想をします。私はこの時間が一番好きです。黙想の時の一瞬   の静寂。汗が静かに伝わる時間。心が満足する時間。道場訓の唱和から、ほんの2-3分の時間の   為に、昔から稽古に参加してました。 仮病で休もうとした時でも勇気を出して稽古に出た時などは、   この最後の静寂の中の黙想で、いつも心の垢が落ちたように感じました。 まだわからないと思い    ますが、いつの日か子供達にも、そのことを感じて欲しいと思っています。 今日もこれで貴重な   1日を終えることが出来たという実感が子供たちの心で感じられる頃には、いじめられた思いは、    頭から消えているでしょう。そして子供の成長を感じられるのは、たぶんその頃からだと思うのです。

先生も見て見ぬふりや、一度、先生は注意したけれどその後は一緒になって笑っていた。また先生もいじめのことを 知っていたけど、怖くて言えなかったらしい。一方、男子生徒が先生にも泣きながら電話でいじめを訴えたが、あまり 対応してくれなかった ーーー 。 去年10月に起こった滋賀県の中学2年生の自殺の全容がようやく明らかになって きました。 今回のことは一体誰が悪いのでしょうか? 原因を作った生徒は当たり前。しかし、それ以上に悪いのは 先生達であるのは事実。 また、そういう先生に限っていじめは良くないと胸を張って言うのでしょう。 世の中には 確かに、素晴らしい先生もいます。が、しかし、そうでない先生も少なくありません。子供を教える資格のない人や、 物事の本質を見極められない人もいるでしょう。 では、子供達を救うにはどうしたらいいのでしょうか?  それは親が真剣になること。これ以外にありません。 子供の声、態度の変化に敏感になって、変な何かが 起こっていないか視る目が親には必要です。何かがあれば学校に飛んでいって、相手の生徒に真意をしゃべらせる くらいの気迫も時には必要です。きれい事で済まそうとしたり、いじめる生徒が暴力的であるからと言って先生や親も 怖がって何も言えないなど言語道断。子供が亡くなってから、いくら警察や学校に対応を迫ったところで、何もならない ことは誰も分かっているはずなのに、大人達に勇気がないのです。 身を呈して子供を守ることを、子供が生きている うちに何故しなかったのか疑問でなりません。見て見ぬふりをする先生、亡くなってから警察と学校に問題の原因を迫る親。  みんな大人の仕業です。 力なき正義は無能なり。正義なき力は暴力なり。 私は今、稽古に来てる子供達に身をもって 正しいことと、そうでないことをはっきり伝えるようにしてます。 ですから、もし、同じことがその子供達に起きそうならば、 私はその子たちを守るでしょう。 当たり前のことですから。 私の追及する空手は単なるスポーツでも、また空手ダンス でも、はたまた暴力集団育成クラブでもありません。 一人の人間として、逃げない心を創る修練の場であると考えてます。  ですから「見て見ぬふり」などということはあり得ないのです。

どうしても昭和33年と昭和34年の10円玉に出くわすことがありません。 ちょうど去年の春から自分と同じ年代のコインを なんとなく集めようと思い立ち、1円、5円、10円、50円、100円コインを年代ごとに集めだしたのでした。5円は昭和24年 、25年、26年、27年、28年と出くわすことがあり、余すところ昭和29年、30年、31年、32年。それとどういう訳か、その先 10年も飛んで、昭和42年がありません。 1円は33年、34年、35年。 10円の33年、34年と同じですが100円玉は 32年~41年までがどうしても出くわすことがありません。 この年代は製造枚数も10万枚にも満たないから稀なの でしょう。 最近は こういう稀なコインに出くわすことがめっきりなくなりました。 しかし、コイン取り扱い店に行って買う というものではなく 生活の中で出くわしたり、知り合いから貰い受けたりするに留めたいだけの自己満足のもので、 その偶然の出会いに期待するのです。 昭和32年の5円玉、昭和33年の10円玉、昭和35年と昭和62年の50円玉、 そして昭和32年~36年までの100円玉は可能性が低いので、かえって出くわしてみたいと思います。 たまにコンビニ の支払いで小銭入れの中を覗き込む時間が長くなったりして お金に困ってる人のように10円と5円を何度もひっくり 返しながら支払ったりしていると、何か怪しいオジサンのようですから、これは止めないと。 先日 そんなことを気にせず、たまたま受け取った10円玉の中に昭和28年のものがありましたので、よくも、まあ、 58年間も色がちょっとくすんだくらいで、世間のお役に立っていたものかと関心し大切に家に持って帰って来ました。 自分より5歳も年上の10円玉がまだ現役だったなんて凄いな、とつぶやきながら、早く収集箱に入れてあげようと思って いたのですが、凄い物を手に入れたと勇んで収集箱を覗いて見ると確かに稀には違いないのですが、すでに1枚確保 済みでした。 な~んだ。それ以上に古い昭和26年の現役60歳のものもあったじゃん。 一気に喜びも冷めました。 が、しかし、それでもギザ10のギザギザが薄れて、酷使されて働き続けた昭和28年の10円に違いありません。  出くわすことは稀なのです。たかが10円玉です。 されどーーー。なのです。 私の同級生でコメディアンをやっている 嘉門達夫が万博のバッジを集めていましたが、何とバカなことをと鼻で笑ってました。 大したことではないものを。  でも今は分かります。その頃の思い出を大切したいという気持ちが。 そうだ同窓会、ここ数年やってないや。 たまに懐かしい顔に会いに行こうかな。 中条小学校と養精中学校の昭和33年生まれの同窓会に。 

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