着陸体制に入ったあとにシートベルトをはずして通路に出たという違反行為について謝罪をされてるコメントがありました。
この行為自体も問題なのですが、その時の言動も大変なものであったようです。 これは 『Voice』2012年12月号に掲載
されてる内容です。これをもし中年男性が行っていたとしたら、即刻、警察の取り調べ室に直行していたかもしれません。
私は、この方のコメントにはどうしても引っかかってしまいます。行動的というか、アメリカ的というか、自分中心というのか。
昨年、大津で中学生が自殺しました。それが取りざたされてくる間に教育委員会や学校関係者の問題も露呈して来た
のですが、それよりも気になったことは、その加害者のご両親です。 高学歴で、やや攻撃的な方々のように受け取れた
その方々は加害者である息子は「被害者だ」と言ってました。 多くの場合、そのように映るようです。 そのご両親の
思いや行為と、今回のこの方の振る舞いに似たものを感じます。自分や自分の子供を大事にするあまり廻りが見えない
状況にあって、その原因はすべてその周りの環境にあるというお考えなのかもしれません。 そして何か問題があれば
訴訟で決着。 そこには廻りの人の「心」は勘定に入っていないのでしょう。子供がどんな状態なのか? その母親は
どんなに居た堪れない気持ちで飛行機の中にいたのか? それは問題にされてないようです。 「お互い様」とは無縁
の世の中では、この先が思いやられます。わざわざ、警察に出頭し、自らの違反行為を記録に残し、またその行為を
ブログで報告することなど必要ないはずなのに、何故、そこまでするのでしょう。 これからの世の中を創っていくのは
、飛行機で泣きじゃくっていた子供の世代。 しかしその方の行為は決して、そんな子供たちに参考になる心の姿勢では
ないように感じます。クレームを付ける「クレイマー」の行為自体は決して悪いとは思いませんがモンスターになる必要は
どこにもないように思えるのです。 頭のいい方々が目指す「高学歴、高収入でセレブな生活」も行きすぎると、ぎすぎすした
世の中になってしまうかもしれません。 人は穏やかになればなるほど、より大きな成功を手にすることが出来るのでは
と思うのです。 心は創造の達人。そして私たちは心であり、思いという道具を用いて自分の人生を形づくり、その中で
様々な喜びを自ら生み出しています。 私たちは心の中で思い描いた通りの人間になります。
なので私たちを取り巻く環境は、真の私たち自身を映し出す鏡に他ならないのだと思って姿勢を正したいものです。