6月 2013

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「将棋と言うのは、すぐに結果が現れる世界ではありません。ですから、努力しようという気持ちがだんだんと 萎えてしまうところがあります。でも長い年月で見ると、頑張って成果が少しずつ少しずつ現れてくるんです。」 というのは将棋の世界で有名な方の言葉。 今、突発的に努力したとしても、突然強くなることはない。 これは どの世界でも言える事です。 また努力しないからと言っても 突然弱くなることはない。というのもどの世界でも 言える事です。 そしてある程度のレベルまで来ると一生懸命にやってもなかなか成果が出ない。そんな時期が 必ずやってきます。 いくらやっても横ばい。 しかしそれでも続けてやって行くと、いつの日かグーンと伸びている 実感を味わう時が来ます。これが潜在能力出現の原理であると以前、書いたことがあります。コツコツ、コツコツ やっていくと莫大な能力を表す自分自身に出くわすということ。 上達のプロセスの中で、この潜在能力出現の原理 を体験して行くことが何より大切。  いくら頑張っても何も変わらない。 自分だけが変わらない。 我が子だけが進歩しない。 そして人間は必ず成長する はずなのに何故? と思い込んでしまっている人。 良くなったかと思うと期待に反し下手になったように思えたり、前に 進んでるはずが、いつしか元の位置に逆戻りしているかのように感じている人。 運動も勉強も全て同じこと。  そういう時にこそ力が貯まっている時。 その力はこの先の大きな飛躍をするための原動力。 偏差値が上がって行く 背景にも、この「貯める力」というものが不可欠です。  46億年も前から地球は自転し、地球から分離した月は44億年前から地球の周りを廻っています。 これは事実です。 この地球誕生から現在までを1年のカレンダーに例えてみると今日の6月23日はまだ24億年前。8月末時点は16億年前。 生物のかけらも存在しません。 11月20日に漸く魚類が出現。 恐竜が謳歌し出すのは12月25日頃。 現生人類が誕生 するのは12月31日の午前10時40分。これは今から700万年前のこと。 地球の歴史から見ると大晦日です。 50万年前のネアンデルタール人は大晦日の午後23時3分。 農耕を始めたのは午後23時58分52秒。 キリストの 生誕は午後23時59分46秒。 産業革命は午後23時59分58秒。 我々人間は、この大きな流れの中で活きています。  地球の持っている貯める力の中で我々は活きています。  あれやこれやと心配し思い悩む心など取るに足りません。 貯める力は遅々とした歩みの中でも、忍耐を崩さず待ち受ければ、必ずそれは大きな一歩を生みだすと、この地球は 物語っています。   あとはそれを信じるだけのことです。  

母と同じ1934年生まれの女性の方の記事を昨日、新聞の記事で見かけました。  こんな記事でした。   心が震え、痛みました。 日ソ中立条約を一方的に破って1945年8月9日、ソ連軍が攻め込んできた。満州東部の国境近くの永安屯 に開拓移住していた長兄ら日本人は妻子を逃がすべく応戦した。しかし戦車隊に抗するすべはなく長兄は 流れ弾に当たり死亡した。残された長兄の妻は11歳を頭に5人の子を連れて他の日本人とともに避難した。 だが途中、渡河する際に「足手まといになる」と皆に強いられ、泣いている6歳、3歳、1歳の幼い息子3人を 無理やり振り切って、川に流してしまったのである。下の2人はすぐに姿が見えなくなった。6歳の長男だけは 泳いで岸辺の草にしがみつき「お母さん助けて、お母さん 助けて」 と幾度も叫びながら流されていったそうだ。 それを見捨てて行かざるを得なかった兄嫁の気持ちは・・・。 11歳と9歳の姉娘たちは・・・。 3人は物乞いをしながら瀋陽市まで来て、ついに兄嫁が力尽き、路上で病死した。残された姉妹はそれぞれ 中国人に引き取られた。だが、11歳の長女は、ひもじさと酷使に耐えかねて逃げ出し、他の日本人集団に 紛れて翌年10月26日、栄養失調から骨と皮だけの姿になってひとり帰国した。 その長女カヅ子は山形県 寒河江市の生家にたどり着き、これらのことを私たち親族に話して2カ月経たづして亡くなった。次女ユキ子 を、私は残留孤児届を出して探しているが消息は不明だ。  (東京国分寺市 畑 眞吉  84歳) 畑 カヅ子さんが生きていれば79歳。 母と同じ年。 今の年配の方々がどれほど苦労されて活きて来たのか あらためて知りました。 5歳、3歳、1歳の子供が川に流され捨てられた母親の気持ちは計り知れません。 土日に会う子供達と同じ年の頃。  心が凍りつくような話でした。  きっと母もいろんな経験をしてきたに 違いない。  また今日、電話してみよう。      声を聞くだけでもいい。

「両親はとっくの昔に他界しました。 夫の両親もなくなり、夫や私の兄弟もみんないなくなってしまいました。  残された のは私だけです。  私一人がこの世に残されている。  95歳まで長生きするということは、そういうことなんです」  これは生活評論家の吉沢久子さんの言葉。  小さな一軒屋の一人で暮らしてらっしゃる方です。 32歳で結婚し 50歳で義母が認知症を患い、ご主人が亡くなったのは65歳のころ。  一人になられてから30年が過ぎていました。 世の中の30歳~50歳台の人には自由は羨ましいものです。 そしていつになったら自由な時間が取れるんだろうと思うのも 当然です。 しかし実際に自由になった後の自分の老後をどう過ごすのかは考えておかねばならないように思います。  誰とも会わない寂しい時間を過ごすのか。 人とかかわって生きて行くのか?  30歳台からの20年はあっという間の出来事。 ということはその先の老後は遠い先のことではないということ? 子供に手がかかり、寝て起きたら子供のことばかり。 世の中景気も悪く、旦那のボーナスも減る一方。 挙句にリストラ などされた日にや返す言葉もない。 自分の人生、ウンザリするようなことばかり。 なんて思っているのは幸福な 時間だと後で気づくかもしれません。 いずれ親の認知症、義父、義母の認知症に出くわし、そしていつもケンカばかり していた伴侶に先立たれたとしたら、今のこの忙しない一時が如何に貴重な時間か、かみしめられるはず。 人生で一番幸福で輝いてる真っただ中。 そんな幸福な人生を今、自分は歩んでいる。 しかし、すぐ傍で子供の寝姿 を懐かしむ年老いた自分もいるとする。 ならば、バカなことをした子供を許して、そしてケンカした伴侶も許したい。  世の中の出来事全てを受け入れるのもいい。  「今、全てを許して精一杯生きてはどうか」と95歳の吉沢さんは言ってる ようでもあり、また「ひとりの自由さ」の裏には「いつかは一人になる覚悟が必要だ」と言ってるように思えるのです。

今日は平塚で清武会の試合でした。始めての試合に14名がエントリー。 緊張した顔、まったく緊張感のない顔。 いろいろでした。 結果はその日の運もあります。 大事なのは、エントリーをしてから試合までの毎日の過ごし方。 大人の方には仕事と家族サービス。子供たちには運動会の練習、学校の宿題。日常のことをやりながらも自主トレに 励んだり、特トレに出たり、日頃の練習よりも負荷をかけた毎日を過ごしたはずです。 そういう毎日を過ごすことが長い 人生の中では非常に大事なことなんだろうと思います。 テレビを観て過ごす時間を、お酒を飲んで過ごす時間を、そして 朝寝坊出来た時間を自主的にトレーニングに使おうとした気持ちが何より尊いのです。 ですから結果が重要なのでは 決してありません。  時を振り返り、懐かしんだり、悔しい思いに出くわすはずです。  私はそんな甘酸っぱい経験を山のように味あわせて あげたい。 そしていつも祈ってます。 子供たちの将来がいつも輝く日々の中にありますように。  showya 準優勝おめでとう!  yuuki 激戦区4年生でベスト16おめでとう! そして皆さんありがとうございました。

蓬谷戸からバスに乗ってたまプラーザに向うバスの窓に5mmほどの虫がくっ付いていました。 ヨチヨチ歩きの ように這いずるその姿をぼーっと見ていました。 やっぱり虫は凄い。 あんな直角なガラス面を這いずり廻る なんて人間には出来そうもない。  出来るのはスパイダーマンくらいなもんだ。 でも何で足がガラス面を捉え られるのか不思議。 そう考えているとあっという間に羽を広げて飛んで行ってしまいました。 アブラムシが いっぱいいるこの季節はテントウムシさんも活発に動けるらしい。 1日に100匹はアブラムシさんを食べてしまう 大食漢なのに窓ガラスをはい回れるなんて凄い。 だいたい寿命は2か月のはず。 冬や夏は寝ちゃうから1年で 3-4世代が生まれ変わる計算。 この前バイクで走っていたら珍しい黄色いテントウムシさんが胸に張り付いて いました。 うどんこ病菌を食べてくれるこのテントウムシは名前もそのまま、キイロテントウムシ。 テントウムシ  がいると世の中、殺虫剤を使う事も減って来るんだと 思いながら電車に揺られていると上野へ。今日はまた東北。 明日は小学校で先生方と自治会の人たちと打合せ。  最近の出来事からするといったい、どんな話になってしまうのか気が重い。 でも信じよう。 そして人生なるように しかならないから精一杯やってみるだけだ。 その結果を全て受け入れるだけだと思うといつも心はスッキリ。  世の中、殺虫剤的発想では自然の流れは作れない。 背中に七つの黒い斑点のあるテントウムシ的発想が何とか してくれるはずだと子供達には伝えて行こう。昨日の特トレ、汗ビッショリの子供達。 素直って顔に書いてる子供達。  今度のサマーキャンプ。 ここに書いてることをそんな純粋な子供達の記憶に残してあげたい。

私の学生の頃の評価は優、良、可。 今はS, A, B, C, Dで分ける大学が多いようです。そんな中、まったく着いて行けなかった のがSEプログラムのゼミ。このことは以前にも書きました。 そして私が卒論に選んだのはプログラミングとは無縁の小説。 まるで文学部のように書いていました。 夏目漱石が好きだったお陰でSEプログラムのゼミは「優」。 粋な先生でした。 身体を動かすのも好き、でも本を読むのがもっと好きでした。 雨の降る日は格別。 「吾輩は猫である」、「ぼっちゃん」 よりも「草枕」、「それから」、「門」、「こころ」。 そして「夢十夜」がいい。その夢十夜のベスト3を上げると一番は「第三夜」、 次に「第九夜」、三番は「第一夜」。 おしいのは「第六夜」。 今でもたまに読み返してみるとやはり表現が上手い。 こんな夢を見た。六つになる子供をおぶってる。たしかに自分の子である。ただ不思議な事にはいつの間にか眼がつぶれて  青坊主になっている。自分が御前の眼はいつ潰れたのかいと聞くと「なに昔からさ」と答えた。声は子供の声に相違ないが  言葉つきはまるで大人である。しかも対等だ。左右は青田である。路は細い。鷺の影が時々闇に差す。「田圃へかかったね」  と背中で云った。「どうして解る」と顔を後ろへ振り向けるようにして聞いたら、「だって鷺が鳴くじゃないか」と答えた。 すると鷺がはたして二声ほど鳴いた。自分は我子ながら少し怖くなった。こんなものを背負っていては、この先どうなるか  分らない。どこかうっちゃる所はなかろうかと向うを見ると闇の中に大きな森が見えた。あすこならばと考え出す途端に  背中で「ふふん」と云う声がした。「何を笑うんだ」 子供は返事をしなかった。ただ 「おとっさん、重いかい」と聞いた。 「重かあない」と答えると「今に重くなるよ」と云った。 自分は黙って森を目標にあるいて行った。田の中の路が不規則に  うねってなかなか思うように出られない。 しばらくすると二股になった。自分は股の根に立って、ちょっと休んだ。 「石が立ってるはずだがな」と小僧が云った。 なるほど八寸角の石が腰ほどの高さに立っている。表には左り日ヶ窪、  右堀田原とある。闇だのに赤い字が明かに見えた。赤い字はいもりの腹のような色であった。「左が好いだろう」と小僧が  命令した。左を見るとさっきの森が闇の影を、高い空から自分らの頭の上へなげかけていた。自分はちょっと躊躇した。 「遠慮しないでもいい」と小僧がまた云った。自分は仕方なしに森の方へ歩き出した。 腹の中では、よくめくらのくせに  何でも知ってるなと考えながら一筋道を森へ近づいてくると、背中で、「どうも盲目は不自由でいけないね」と云った。 「だからおぶってやるからいいじゃないか」 「おぶってもらってすまないが、どうも人に馬鹿にされていけない。親にまで  馬鹿にされるからいけない」  何だかいやになった。 早く森へ行って捨ててしまおうと思って急いだ。「もう少し行くと解る。  ちょうどこんな晩だったな」と背中でひとりごとのように云っている。 「何が」ときわどい声を出して聞いた。 「何がって、  知ってるじゃないか」と子供はあざけるように答えた。すると何だか知ってるような気がし出した。けれどもはっきりとは  分らない。 ただこんな晩であったように思える。 そうしてもう少し行けば分るように思える。 分っては大変だから、  分らないうちに早く捨ててしまって、安心しなくってはならないように思える。 自分はますます足を早めた。 雨はさっきから降っている。 路はだんだん暗くなる。 ほとんど夢中である。 ただ背中に小さい小僧がくっついていて、  その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実ももらさない鏡のように光っている。しかもそれが  自分の子である。そうして盲目である。自分はたまらなくなった。 「ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根の処だ」 雨の中で小僧の声ははっきり聞えた。 自分は覚えず留った。 いつしか森の中へ入いっていた。一間ばかり先にある  黒いものはたしかに小僧の云う通り杉の木と見えた。 「おとっさん、その杉の根の処だったね」 「うん、そうだ」と思わず  答えてしまった。 「文化五年辰年だろう」。 なるほど文化五年辰年らしく思われた。 「御前がおれを殺したのは今から  ちょうど百年前だね」  自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で  一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然として頭の中に起った。 おれは人殺であったんだなと始めて気がついた途端に 背中の子が急に石地蔵のように重くなった。

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