私の学生の頃の評価は優、良、可。 今はS, A, B, C, Dで分ける大学が多いようです。そんな中、まったく着いて行けなかった
のがSEプログラムのゼミ。このことは以前にも書きました。 そして私が卒論に選んだのはプログラミングとは無縁の小説。
まるで文学部のように書いていました。 夏目漱石が好きだったお陰でSEプログラムのゼミは「優」。 粋な先生でした。
身体を動かすのも好き、でも本を読むのがもっと好きでした。 雨の降る日は格別。 「吾輩は猫である」、「ぼっちゃん」
よりも「草枕」、「それから」、「門」、「こころ」。 そして「夢十夜」がいい。その夢十夜のベスト3を上げると一番は「第三夜」、
次に「第九夜」、三番は「第一夜」。 おしいのは「第六夜」。 今でもたまに読み返してみるとやはり表現が上手い。
こんな夢を見た。六つになる子供をおぶってる。たしかに自分の子である。ただ不思議な事にはいつの間にか眼がつぶれて
青坊主になっている。自分が御前の眼はいつ潰れたのかいと聞くと「なに昔からさ」と答えた。声は子供の声に相違ないが
言葉つきはまるで大人である。しかも対等だ。左右は青田である。路は細い。鷺の影が時々闇に差す。「田圃へかかったね」
と背中で云った。「どうして解る」と顔を後ろへ振り向けるようにして聞いたら、「だって鷺が鳴くじゃないか」と答えた。
すると鷺がはたして二声ほど鳴いた。自分は我子ながら少し怖くなった。こんなものを背負っていては、この先どうなるか
分らない。どこかうっちゃる所はなかろうかと向うを見ると闇の中に大きな森が見えた。あすこならばと考え出す途端に
背中で「ふふん」と云う声がした。「何を笑うんだ」 子供は返事をしなかった。ただ 「おとっさん、重いかい」と聞いた。
「重かあない」と答えると「今に重くなるよ」と云った。 自分は黙って森を目標にあるいて行った。田の中の路が不規則に
うねってなかなか思うように出られない。 しばらくすると二股になった。自分は股の根に立って、ちょっと休んだ。
「石が立ってるはずだがな」と小僧が云った。 なるほど八寸角の石が腰ほどの高さに立っている。表には左り日ヶ窪、
右堀田原とある。闇だのに赤い字が明かに見えた。赤い字はいもりの腹のような色であった。「左が好いだろう」と小僧が
命令した。左を見るとさっきの森が闇の影を、高い空から自分らの頭の上へなげかけていた。自分はちょっと躊躇した。
「遠慮しないでもいい」と小僧がまた云った。自分は仕方なしに森の方へ歩き出した。 腹の中では、よくめくらのくせに
何でも知ってるなと考えながら一筋道を森へ近づいてくると、背中で、「どうも盲目は不自由でいけないね」と云った。
「だからおぶってやるからいいじゃないか」 「おぶってもらってすまないが、どうも人に馬鹿にされていけない。親にまで
馬鹿にされるからいけない」 何だかいやになった。 早く森へ行って捨ててしまおうと思って急いだ。「もう少し行くと解る。
ちょうどこんな晩だったな」と背中でひとりごとのように云っている。 「何が」ときわどい声を出して聞いた。 「何がって、
知ってるじゃないか」と子供はあざけるように答えた。すると何だか知ってるような気がし出した。けれどもはっきりとは
分らない。 ただこんな晩であったように思える。 そうしてもう少し行けば分るように思える。 分っては大変だから、
分らないうちに早く捨ててしまって、安心しなくってはならないように思える。 自分はますます足を早めた。
雨はさっきから降っている。 路はだんだん暗くなる。 ほとんど夢中である。 ただ背中に小さい小僧がくっついていて、
その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実ももらさない鏡のように光っている。しかもそれが
自分の子である。そうして盲目である。自分はたまらなくなった。 「ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根の処だ」
雨の中で小僧の声ははっきり聞えた。 自分は覚えず留った。 いつしか森の中へ入いっていた。一間ばかり先にある
黒いものはたしかに小僧の云う通り杉の木と見えた。 「おとっさん、その杉の根の処だったね」 「うん、そうだ」と思わず
答えてしまった。 「文化五年辰年だろう」。 なるほど文化五年辰年らしく思われた。 「御前がおれを殺したのは今から
ちょうど百年前だね」 自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で
一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然として頭の中に起った。 おれは人殺であったんだなと始めて気がついた途端に
背中の子が急に石地蔵のように重くなった。