三浦雄一郎さんが80歳にしてエベレスト登頂に成功したのは今年の5月のことでした。 大変すばらしい偉業
だと世間はもてはやしていました。 私は、冷めた気持ちでテレビのニュースを観ていたことを思い出します。
この標高8000メートルの死の世界に関する思いを書いた雑誌を昨日、目にしてあらためて冷めた思いが
よみがえって来ました。 「自分には無理だ。もういいやと諦めてしまえば、楽になれる。でも山を前に登ろうとも
せずウロウロしているだけでは人生つまらない。自分を諦めてはいけない」という言葉はその通りです。
確か5月に三浦氏が登頂をされた翌日の新聞で日本の高齢の女性登山家がエベレストで亡くなられた記事を
見ました。 わずか300万円ほどの装備。 でもこれが一般的です。 かたや三浦氏は企業の援助を受け1億円
を超える装備と多くのスタッフに守られての登頂。下山はヘリコプター。 野口氏はこれを批判してました。
私も同感。 そもそも03年に70歳で初登頂、その5年後に2回目、そしてその5年後に80歳で登頂。 この結果を
創らんがためのスタッフと、ヘリコプターでは本来のエベレスト登頂とは言えないと思えたのです。
「冬にエベレストに上るとか、スキーで滑るとかだ。ミウラ・ユーイチローを知ってるか?」
「有名だ。1970年にエベレストをスキーで滑ったんだろう」
「そうだ。そのとき俺たちシェルパがそのエクスペディションに参加し、彼を高所にまで導いた。」
「だが、知っているだろう、途中で、氷塊の陥落で、シェルパが6人死んだ。シェルパの遭難死としては
それまでの最大規模だ。だがミウラはそこでスキーをやめなかった。彼は上に行きスキーで滑った。」
「6人は何のために死んだんだ?」
「6人の遺族は今どうしている?」
「稼ぎ手の男がいなくなったんだ。それなのに慰謝料も補償金も何もない。細々と暮らしている」
三浦氏も こういう遺族に関わる活動をされてるのかもしれませんが、ニュース、雑誌などからは
全くその片鱗も感じられずにいるので、大変寂しいものを感じ、人間として正しいものなのか疑問に
感じているのです。