医学部 その12
涼しさ、寒さを感じると、何だかそろそろまた始まるっていう気持ちになります。 医者が本当にいいのか それとも要領よく生きる方がいいのか、それは全くわかりません。 幸福に暮らすとは年収や肩書で 計れないものなので。 しかし親として子供の将来を考えた場合、医者はより安定した職業であるように 思えるのです。 しかし子供への教育費から考えると理系より文系の方が安上がり。であれば 文系で優秀な成績を収めてくれて大学を出たら銀行員になってくれるか、はたまた総合商社にでも 入ってくれた方が親としては楽かもしれません。 20歳台では勤務医にはかなわないにしてもUFJの 支店長か、物産の部長、課長クラスにでもなってくれたら勤務医と同等の収入にはなっているはずなので。 ならば、その方がいいに決まってる。でも実際には、そのポジションって意外と難しい。 頭の良さも 必要だけれど体力とお酒の強さや、人付き合いの良さや、機転がきくなど学校で習わないような、その人 の人間性が試される職業なのだ。 簡単に言うと東大を出たから必ず出世すると言う訳ではなく 売れッ子の芸人のような利発さと不屈の精神がいる職業なのかも知れません。理系の我が子は、 間違いなくそんなタイプではない。 それならばコツコツ医学の道を極めてもらうしかない。 そしてまた、今は、こうも思っています。 我が子が小学生低学年だとしたら、どういう道を歩ませるのか? と言えば。やはり医学部です。 しかし一般入試は避けます。 間違いなく付属校に入れて偏差値の難易度を下げた門をくぐらせて あげたい。 ただひたすらそう思っています。 ならばどこへ。 お金があるなら東海大浦安、東海大相模でしょう。東海大医学部学費が高いのですが20名の内部推薦枠 があるのですから。 偏差値も高くなく医学に触れる、比較的平坦な道があるのです。その20名枠の 85%をこの2校が占めているので、選択肢の一つと言えます。 あとは長野日大、日大豊山、日本大学 (日吉)が16名の日大医学部の枠を60%を占めます。 しかし内部推薦が多いのは断トツで慶応医学部。 慶応の枠は43名ほど。外部から入ってくる一般入試組とは明らかに学力の差があるというのは もっぱらの噂。でも入ってしまえば同じではないかと単純に思います。 2014年度の慶応医学部の 難易度は駿台、河合、代ゼミの平均で割り出した数値では東大に次ぐ2番目、3番は京大、4番阪大。 つまり慶応医学部一般入試の合格者は開成、灘、麻布、双葉などを出た生徒。つまり慶応の生徒が 高校入試で入れなかった学校の生徒たちなのです。 だから大変狭き門になるわけです。天才の 集まりかも。 内部推薦枠43名との差は歴然。でも慶応医学部には変わりなし。 ならばこの路線が いいのでは。 日大の推薦枠は15名。倍率・偏差値ともに意外と高いのです。 しかし慶応高校ならば 日吉からは22名、志木は7名、藤沢も7名、女子は5名も。 しかし、一番行かせたいのは慶応 ニューヨーク学院校。 ここは2名しか枠がないのですが理系が10名ほどしかいないのです。 そこで 医学部推薦は2名枠も。 あまり知られていませんでした。 ここは親が日本に住んでいてもいいのです。 穴場とはこのこと。 今、我が子が小学生低学年であったら私は間違いなくここを受験させるでしょう。 その為には英語だけは慣れ親しませておきます。子供の為には、医学部一般入試の苦労はさせたく はない。これが本音です。 それほどキツイものがあったと我が子の医学部受験を観ていてそう思い ました。 その長男はまだ4年生後期に在学中。 まだまだ、ハラハラドキドキさせてくれています。 ピークは2016年3月の国家試験の結果発表。 あと2年半で順調にその時を迎えてくれることを 祈るばかり。 土日に出会う多くの子供たちの中で、何人かの子供には、その道の可能性を感じる時が あります。 そんな時には「大きくなったら何に成りたいの?」と聞くようにしています。 ただ漠然としたもので終わらせるのではなく、より具体的なものにしてあげるために。
二千日回峰
比叡山の山中を7年(1000日)かけて地球を1周する4万キロを踏破する荒行が千日回峰行。 700日目にはお堂に入り断食、断水、不眠、不臥を9日間行い不動真言を10万回唱える。 この間 体重は15キロほど減ってしまう。介添え役や一緒に読経をする僧侶が20人とお堂に入る。 その後 6年目からは比叡山の山中の回峰に加え京都の赤山禅院への往復が加わり1日60キロの行程を 100日、7年目は200日を巡る。その100日の前半は京都大回りで毎日84キロ、後半の100日は 元通りの山中で30キロをめぐり満行となる、すさまじい荒行のことを言います。 ここまで来るのも 大変なことですが、実はそれまでに「十二年籠山」を達成しなければなりません。 標高800メートル の比叡山で12年間下山せずに生活するという行。 その十二年籠山を達成した僧侶が願い出ると 比叡山幹部会議が執り行われて千日回峰可否を決めるようです。 織田信長公が比叡山を焼き討ち してから400年で満行者は47名。 その行を2回終えた方は3名しかおられません。 その内のお一人、酒井雄哉大阿闍梨様が昨日2013年9月23日午後に亡くなられました。 47歳で千日回峰を始められたのが73年のこと。私がテレビでその様子を見たのは79年1月。 ちょうど21歳のころでした。 日本にこんなことをされる人がいることに衝撃を受けたのです。 極真空手との出会いの前後です。 ただただ凄いという思いでした。 こんな方に出会えることは この先も、ないだろうともぼんやり感じていました。54歳で満行。そしてそのまま2回目の千日回峰へ。 そして60歳で2回目も満行されたのは1980年のことでした。 私のストイックなトレーニングは、間違いなく酒井雄哉大阿闍梨の後ろ姿を観てのこと。 昨日は、私自身一日外に居て、「寒い、寒い」と思っていました。 来るべき時が来たという思いと 大変残念な思いが入り混じった複雑な気持ちです。 9月23日は、二千日回峰を成し遂げられた方が旅立たれた日として忘れられない日となりました。
BLACK BELT
WHAT IS KARATE? WHAT IS BLACK BELT? You will know all of it in the movie " kuro Obi " Subtitulada en Español (completa) You can join the karate lesson in YOKOHAMA/JAPAN. PHONE / 080-6781-6658 Mr.Tanaka Call me soon!
桜台の帝王
「桜台の帝王。いやぁ、みたけの組長ったぁオイラのことだい。 腹だしユウちゃん、なんて呼んだ日にや 許さねえからな。 でもオイラと仲良くなりてえなら、聞いてやらねえこともねえよ」 「いくら腹を出しているからって、惚れちゃあいけねえよ、オイラも忙しいんでなぁ。横向くとこんな感じ」 「いくら小学生相手でもオイラ容赦しねえんだ。 ほらね、手も足も出ねえったぁ、このこっだぁな」 「でも、たまにはこういうことも」、「でもこれ、泣いてるんじゃぁねえぞ」、「ゴミが目に入っただけよ」 「ほら、この通り」、「男はつれーよ」、「みたけの組長だもんよ、泣いちゃあいられねんだよ」 「さあ、もういっちょ、いくか」 「隙があったら、かかってきなぁ~」 「いや、ちょっと、痛えじゃねえかよ~、やめろってんだい、痛いって」 「桜台の帝王にかかって来るなんて、根性あるじゃねえか。まあ今日はこれくらいにしといてやるか」 「まあ、こんな感じだよ。なんなら一緒にやってみっかい。オイラの指導は、ちい~と厳しいぞ」 「稽古が終ってもオイラはいつも元気いっぱいだよ」 「桜台の帝王ってみんなは言うけど、一人だけ叶わねえんだよな」 「ママ~、アイス頂戴~」、「ちゃんという事聞くってば~。ママ~。」 この桜台の帝王が、いつの日か極真の黒帯を締めてくれることを願ってやみません。
49年後
5歳~11歳くらいの子供たちの中には泣きべその子、お調子もの、我慢強い子、自由奔放な子。 そしてこの子供達を見守るご両親たち。 子供達を見詰める心配な眼差しに自分自身を重ねて しまうことなど実は度々あって、懐かしくもあり、お母さん、お父さん、もうちょっと我慢ですよと 言いたくなる場面も多々あります。子供の稽古で親が我慢するなど変な話ですが、声をかけたくなって しまうし、叱咤激励の気持ちで背中を押してあげようとするのも親心。 分かっています。 でも、子供たちは、そこの峠を越えれば成長する、その局面を乗り切れば一回り大きく成ると 創造出来るときには実は親御さんは傍に居ない方が子供のためになると思っています。子供たちは 自分の力で急な坂道をよじ登って行けるのです。 その達成感が自信につながるのだと思います。 昔、いくら突き方を教えても猫パンチしか出さない次男に、このまま空手をさせていていいものかと 自問自答していたのは、もう12年も前の事。そしてその子が5年生の時に試合に出ようとしていた 前の晩。張り切り過ぎて熱を出して結局、試合に出たのは6年生の時。 しかし、その次男、初めて出た試合で対戦することになった相手は前年度の全日本ベスト8。 いきなり、こんな相手が。運の悪い奴だなと我が子を憐れんでみたものの、今更逃げるわけにも 行かず、そのまま試合に出させました。 私の立てた戦略はこうでした。 相手は蹴りが上手いから 必ず試合開始と同時に上段蹴りが跳んでくるから、それはかわすこと。 あとは小学生は腹筋が まだ出来あがってないのでボディーへの攻撃を集中すること。これだけを伝えて背中を押しました。 予想はまんまと的中。 世の中分からないものです。 観客の予想に反してボディーを下突きと 前蹴りで強打すると、次第にベスト8の子供は顔をゆがめ半泣きで堪えている状態に。 試合に初めて出た次男は、これで本戦で勝ちを修めて戻ってきました。 子供より私の方が信じ られない勝ち方でした。 親は試合の中には入ってはゆけません。 試合場に立てば大人も子供も一人です。 自分で やるしかありません。 そんな経験を子供は見事にやってくれてその成長ぶりを見せてくれたのです。 ある日出くわす子供の成長は、度々味わえる訳ではなく、そしていつ味わえるのかもわかりません。 しかし間違いなく出会える、その瞬間を楽しみにして頂きたいと思いながら日々指導しています。 他の道場に顔を出す機会があると昔、中学生だった子供が高校に。高校生だった子は社会人に。 面影はあっても別人のようです。もちろん突きも蹴りも威力が格段に違う。 そんな時にこの子も 人知れず努力して頑張って来たんだと感じます。 子供達は日々成長している。 目には見えない 程度だけれども日々考え方も変わり、体つきも変わります。 昆虫のように脱皮したり、さなぎに なったりしないので、近くで一緒にいるとその変化が分からないだけです。 人間はその場に留まらず間違いなくプラスにもマイナスにも変化しています。そして感動したことは、 いつまで経っても忘れないものだとつくづく思います。 先日NHKで7歳の子供達を7年ごとに撮影し現在56歳になっている人たちのドキュメンタリーがあり ました。 良く撮れたものだと思います。 それも49年間も何人かの行く末を追い続けるなんて凄い。 引っ越しをして結婚・離婚を繰り返す人。 昔、子供の頃に語った自分の夢をそのまま実現している人。 様々です。 現在のその人の映像と子供の頃、高校生の頃、大学生の頃の会話、その後、職に 就いた頃の会話。 一人の人生がそこにありました。 そこに映っていた子供たちは思っていた ような人になって、そういう人生を歩んでるのです。 やはり人間、幼少のころ、小学校のころの 純粋な心にどんな人生を描いてあげるか非常に大事なんだと思います。 日々子供は成長しているので、その子供達に感動を与え、そしてそうなりたいと思わせる紙芝居 を見せてあげていると、純粋な心であればあるほど、やはりそうなるものなんだと、あらためて そう思いました。 私は子供にはお節介を焼くのが好きな方でしたけれども、今思うのは、それはマイナスであって、 子供にはあまりあれやこれやと世話はやかない方がいいということ。 それとただ、将来の紙芝居 を見せてあげるだけで十分、子供は理解し自分で心に焼き付けて行くものだと思っています。 長男が7歳のころ医者のいいことばかりを話してました。 14歳のころ、夢をあきらめそうになって いました。21歳にころ、まだ夢の途中です。 来週長男は24歳。その夢が実現するのには、まだ あと2年半が必要です。 その夢が叶うまで、あまり近づきすぎないで見守っていようと思います。