街中でクリスマスツリーが飾られ出すと今年も残すところあとわずか。世間はそろそろ1年を締めくく
るモードに入ってきた。暑くて堪らなかった夏が、すっと消えたと思うと、秋を通り越していつの間にか冬になって
いた。 春から夏になり、そして秋が過ぎて冬を迎える。私事など関係なしに地球は太陽の周りを正確に廻って
いる。 その間、私は途中で立ち止まり、振り返り、時には戻り、時には細い路地を巡り巡って今に至る。
どれほど遠回りしたものかと曲がりくねった道を顧みるのはもう年の瀬だから。 あの時、こうしておけば良かった、
ここはこうで、あそこはこうでとは後になって分かるもの。 当の本人はそれでも、その時々の悩みに、精一杯の
エネルギーをぶつけ、逃げることなく一歩一歩進んできた。その証が自分の道。 自分の歩みは、いつも
真っ直ぐではない、試行錯誤の連続でクネクネ道。 その間に起こる出来事は、その一つ一つに意味があり、
無駄ではないとは分かってはいるけれども、それに気付くのは後のこと。 そう、いつも後になって心に染み渡る。
しかし私の歩んできた道は他の人には歩めない自分だけの道。 自分しか歩めないかけがえのない道。
私はそう思い定め、迷わず誠実に我の道を歩んで行かねばならぬと思う。
今、横浜は平穏の中に居る。 事件や災害はテレビの中のことと割り切って視ている自分もいる。それがいつもの
事だ。しかし大変な事が木曜日に起こっていた事を知った。その様子に私の心は震えた。
7日21時、更に中心気圧が下がって中心付近の風速65メートル、最大瞬間風速90メートルと観測史上例をみない勢力。台風はフィリピン時間の8日午前4時40分頃にフィリピン中部のサマール島に上陸。サマール島からレイテ島、パナイ島とフィリピン中部ヴィサヤ諸島を横断して南シナ海へ抜ける進路を取った。8日朝の時点での勢力は最大風速87.5メートル、最大瞬間風速105メートル。
「前例がない。想像もしていなかった。私はフィリピン政府を代表して演説している。しかし、また、もう語ることもできなくなった数え切れない同胞、そして災害孤児たちのために語っている。メディアの報道を見て、あまりの被害のひどさに表現する言葉を失った。私の兄弟は幸いにして生き残った。この2日間、自らの両手を使って遺体を集め続けている。3日間、食事を口にしていない。私たちは有効な地球温暖化対策で合意できなければ、自らの悪い運命と契約を結んでしまうことになるかもしれない。私たちは歴史的な責任に直面している。食事を見つけて家に持って帰るために格闘しているフィリピン同胞との結束のために、私は今、地球温暖化対策が講じられることを求めて自発的に断食を始める。これは22日までの会議で意義のある結果が導き出されるまで、私が食事を断つことを意味している。この異常な気象現象の結果としてわが国が経験したのは狂気である。異常気象は狂気なのだ。私たちは今すぐに当地ワルシャワでこれを修復できる、この狂気を止めることができるのだ。ハイエンのような台風とその衝撃は温暖化対策を引き延ばせないことを国際社会に突きつけている。気候変動により、さらに強力な台風が増えることを科学は私たちに教えてくれている。地球が暖かくなるにつれ、海洋も暖かくなる。フィリピン沖の海洋に蓄えられたエネルギーが台風の激しさを増す。私たちが目の当たりにしている現象はより破壊力のあるストームが新たな基準になったということだ。私はあえて気候変動の現実を否定し続けるすべての人に海面上昇の現実を見せるため太平洋、カリブ海、インド洋の島々に連れて行きたい。解け出した氷河による洪水にさいなまれる共同体を見せるために、ヒマラヤやアンデスの山脈に連れて行きたい。北極海の氷がどんどん溶けている状況を見せてやりたい。それでも十分でなかったら、彼らは今すぐにでもフィリピンを訪れることを望む。」
「今日を生きるので精一杯。明日のことなど考えられない」と子供が言う。
私は我に返るのに時間を要していた。 また私の道は細い路地を通り、時には戻り、遠回りをするだろう。
そして人の流れに逆行することもあるかもしれない。 しかし人のためになるならば惜しむことは何もない。