2月 2014

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懐かしい方のお名前を2月25日の紙面で見かけた。 クイズダービーのあの人だ。 懐かしいじゃないか。 そんな軽い気持ちしかなかった。 しかし読んで行くにつれ、目が離せなくなった自分がいた。 80歳を迎え重い病を抱えていても、心は折れていない人。 そんな強い人だったんだと しみじみ感じ入る自分がいた。  たまにひょうきんなことを言ったり、「ゆかい、ゆかい」と頭がいいのか、わるいのか何だか わからない変わった先生がいるもんだなどと昔は見ていた。 その方が当時、前妻を 交通事故で亡くし、ご長男も部活の合宿で失くされていたとは。 まったく思いもよらなかった。  その方の連載記事が3月2日まで続くという。 全6回らしい。 今、重い病の中書かれた 「患者を生きる」を最後まで読んでみたい。そんな思いでいる。 そしてその方の生きざまを 感じてみたい。  日曜までの連載か。 あと少しなんだ。 心待ちにする連載や小説は あっけなく終わってしまう。 これがいつも寂しい。 雑多な文字の氾濫。スマホの表面的な 記事の羅列では心が疼かない。 ましてや今日の自分を大切に生きようなんて思いを馳せる ものなどには出くわすことは稀だ。  心が欲すると何事も疲れやしないんだから。 そう思いながら、そんな文字を目で追っている。  この教授の生き方に刺激を受けた我は、今をしっかり活きてみようと思うばかりなり。

1万パーセント以上の思いでその日のために準備してきた人。 その人を1万パーセント%以上の思いで 勝たせてあげたいと思うサポーターを一人でも多く抱えている人。  消しゴムが使えない一発勝負に 精神的に耐えられる人。  出される課題1ページ1ページにストーリーを仕上げられる人。  100点満点 のための準備では終わらず、テスト範囲以上の事を学びいつでも全ての課題にどんな角度からでも答え られる準備をしてきた人。  そして、そのテストを受けられることが心から楽しいと言える人。 オリンピックの晴れ舞台はそんな人たちの試験場だ。  番狂わせや、実力をそのまま出す人の実地試験場。 そんな今を生きる人たちの臨場感が堪らない。  本番に挑む顔がいい。 この先の自分を実感している ような番狂わせ野郎の顔がいい。  今を活きるとはそういうことなんだろう。そんなことを考えながら我は 今日も活きている。  さあ、君もそんなワクワク感の中で一緒に生きてみないか?

たとえば試合に出るとしよう。 体調が万全でなく、怪我により稽古もままならず、とても試合どころでは 無かったとしても、一切の言い訳をせず、色んなものを背負いながら、その場に挑むことが出来るだろうか?  逆に言うと、そのような試練を自分に与え、それをまっとうすることで魂の浄化を図るとでも言った方が いいかもしれない。 その魂の次元を一段でも上げて行くために、それぞれの試練の意義があるのだろう。 試合の後でも言い訳をせず、勝って驕らず負けて腐らずという姿勢を貫くことも忘れてはならない。 つまり、こうした一貫した姿勢を養うことが、実は心の練磨であり、そういう心の成就をこの道場では 目指している。 どんな局面においても「折れない心を創る」、または「言い訳をしない生き方」 をまっとうするのだ。勝敗は二の次で良し。そうでなければ心の成長には行き着きそうもない。 努力に対する最も価値ある宝は、努力の末の成果ではなくその過程で創られる我々自身の姿そのもの。 挫折と敗北、どん底の経験から学ぶものがある。人の失敗こそ、その人の人生を輝かせる第一歩なのだ。  今は出来なくても、いつかは必ず出来る。どんな道でもチャンピオンは、その肉体で勝ち取れるのではなく その人の精神力によって創り上げられるのだ。 たかが人生。何が起こったっていいじゃないか。 そう思わねば思い切ったことは出来ないはずさ。 人生、どん底から這い上がる時が面白いんだ。 そう思わねばやってられない。

好きな時に起きて、好きな時に音楽を聴いて、そして好きな時にご飯を食べる。 好きな時に眠りを むさぼり、好きな時に好きな場所に行ける。 やろうと思えば何だって出来る。 何て幸せなのだろう。 くだらないことだと思うかもしれない、こんな話を冷めた思いで眺めている人もいるかもしれない。  いつの日か輝こうとしている人の耳には左から入り右に抜けてしまう言葉。  何の役にも立たない言葉なのだろう。 真夏の夜空のことを真冬に語っても、心にしみわたるはずもない。 でもいつの日にか分かる日が 来るはずさ。 もう二度と戻らない日々を走り続けている君達にもいつの日か。 夕暮れ過ぎた街角の交通事故。 瀕死の状態で担ぎ込まれる姿。 何人もの尊い命があっけなく 散ってしまうことかと思う。 中には息も絶え絶え、まだ生きている。そんな姿にも出くわすこともある。 そんな時にいつも思う。 満足な肉体を持って、普通に生きていることの有難さを。 あっという間に姿を 消してしまった若者たちに、五体不満足な身体でも生きたいかと問えば、どんな答えが返って くるのだろう。 やり残したこと、約束していたこと、目指していたこと。 親に伝えきれずにいた思い。 数えだしたら限はないだろう。 ならば、そういうことが実現できるとしたら、五体不満足であっても 生きて行けるのならば、持てるものを活かして精一杯生きてみたいと思うのではないだろうか。  そしてもし出直せるなら、危険があるから、リスクが高いから、怖いから、度胸がないから、諦めるような  そんな生き方はするはずもない。  うまくいくかわからないけどやってみよう。 一度失くした命だと 思えば、それくらいのことはやってのけるのではないだろうか? 今、満足な肉体を持って生きている者にとって、危険は避けたいもの。だからリスクがあるなら 諦めて安全を選ぶ。 でもそれは無念の思いで命をなくしてしまった人たちに口がさけても言えない。  我の持てる力と思いとを思う存分ぶつけながら生きるとしか言えないじゃないか。 一生を感動の中に生きて、一生を燃焼していければそれでいいだろう。 ただ満足な身体があることがどれほど幸せな事かを忘れなければそれでいい。  そんな幸せの中に生きていることを決して忘れなければそれでいい。 何も悟れなくったって、それはそれでいいんだから。

去年買っておいたトンボと融雪剤をやっと使う事が出来ました。 昨日までは、今年は雪はないかなと 思うほどのいい天気。 それが1日でこれほど変わってしまうとは。 融雪剤は、それほど利きません。 雪が多いからいくらまいても溶ける前に、また積もるので使う意味がないほどの雪です。 トンボは快調。 それと車はFORDのエクスプローラ。 日頃はガソリン垂れ流しのような贅沢というか 効率的でない車。 でも雪の日は安心。 タイヤは変えずノーマル。 でも車体が重いのと四輪駆動 なので雪道にスパイクを履いた感じで走れます。寒冷地には適しているようです。猪苗代スキー場にも タイヤはそのままにして何度も行ってました。 猪苗代に比べるとアップダウンがある横浜とはいえども 全く問題なし。 待ってましたというほど安心。でもエクスプローラで良かったと思うのは、ほぼこの雪の 日だけ。 年に1回か2回。 あとはリッター4.5㎞しかはしらないただのお金のかかる車。 今日は、そんな大雪の中をエクスプローラで稽古へ。  風雪警報が出てる中、年中さんは平安その1の型、大人の方はみぞおちへの脇を締めた下突き からの膝蹴りの反復。その後は2分間のスパーリング。2分は意外と長いものです。 今日はそんな 寒さの中の稽古でした。 トンボをかけるのもいい汗、いい稽古。 明日もアルミ製のトンボがフル回転。 あっという間に身体から湯気が立つほど。 インフルエンザに大雪。 ただ今、冬真っ盛り。  そんな日なので「無理な外出を控えるように」とテレビやラジオから注意を促す声が。 でもね、そんな冬の日を私は、待っていたんです。大雪にはトンボとエクスプローラが似合う。 そんなアメ車が大好きです。 超ド級スーパースポーツカーのトァタラもアメ車なんです。

受験で一番厳しいのは中学受験ではないでしょうか。 まだ大人になり切っていない子供が夜9時 過ぎまで弁当持参で塾通い。 親はその送り迎え。 我が家もそうやって来ました。 家に帰って 休む間もなくお風呂と勉強。 寝るのは24時~25時。 中学受験前の9月ころから1月末ころまで こういう生活を続けます。 全ては2月1日に焦点を合わせての事。 東京の名だたる中学の試験日 は2月1日から始まるのです。 体調管理もこの日に合わせて逆算します。 東京の御三家は 狭き門。 御三家以外も大変難しくなってきています。 上位の有名大学を目指すには、公立中学 では困難だと気付かれたご家庭が増えているのでしょう。 公立の中学に対しあまり多くを期待できなく なって来ているのかもしれません。 我が家も小学4年からNのマークの有名進学塾に通わせました。  ここを選んだのは先生方の熱意、姿勢でした。 もう15年も前のことです。 家内が塾の送り迎え。 私は試験日の朝に子供を車に乗せて会場まで送り届けるのです。 中高一貫の男子校に入れたので高校受験はなく、その後は大学受験。 大学受験でもやはり 子供を車にのせて会場まで行ったものです。 車は子供の仮眠場所になっていました。 先週の土曜から始まった有名どころの中学受験も第2コーナーを曲がったあたり。  我が家の子供達はもう大学生。受験は終わっているのに、このシーズンは悲壮感が甦ります。 中学受験は母親も一心同体。 大変です。 合格すれば一家がバラ色。 掲示板に番号が 見当たらないと分かった瞬間、あたりの色彩は消え失せ、白黒の写真に早変わり。 だから大変なのです。 消沈した母親達が校門から駅に向かう道に溢れます。  涙、涙の親子が道に溢れ、お世話になった塾に報告に行っては、また涙に暮れています。  毎年繰り返される光景です。  そんな親子を励ましたい。 元気に上を向いて欲しい。 そんな思いがついつい込み上げてきてしまいます。  体力と気力の勝負に小さな子供達が挑んでくるのですから。 今日もそんな気持ちで書いています。  「元気を出しなさい。今日の失敗でなく、明日の成功について考えよう。」    「自分はこの程度の人間だと思った瞬間にそれ以上の人間にはなれなくなるんだよ。」    「もう前に進まないでいいと思った途端後退が始まるんだ。」    「一心不乱の努力の前に道はきっと開けるから。 それを信じてみよう。」   「顔をいつも太陽に向けていれば影なんて踏んで生きることはないんだよ。」   「うつむいてはいけない。いつも頭を高くあげていなさい。世の中を真っ正面から見つめるんだ。」   「君はどっちを選ぶんだい。勇気を持って挑んでいくか、棒にふるか。人生、このどちらかだよ。」   君に届くだろうか、この想い。

過去は変えられやしない。 未来も、それほどあてにはなるものじゃない。 だから今を活きるしか ないだろう? そう思わないかい? 昨日のことにかまけて、今日を疎かにしてなるものか。  昔のことばっかり振り返って、未来が明るくなった人など聞いたこともない。  そこから一歩も前に進めないなんて、下りのエスカレーターに留まってしまっているのと同じだ。  全ての信号が青に変わるのをじっと待っているだけの人生かい? それじゃ、いつまで経っても前に進めやしない。 夢を次々と実現する人は、条件がすべて揃うまで事を先延ばしにしたり、問題や障害が消えて なくなるまで待ったりはしない。 恐怖心がなくなるまで待つこともない。 最初の一歩を踏み出せば、おのずと問題は解決し能力を発揮できるようになるんだからね。  死んだら葬儀屋さんも悲しむくらいに一生懸命に活きてみないか?  何事も、一度、心に決めたなら、やたらめったら方針を変えてはダメだ。 迷い続けているのなら、何のための決断だったのか?  決断したのなら、残された時間の全てを行動することに費やせばいいだけさ。  常に今を真剣に生きてベストを尽くさないと二度とチャンスなんてない。  チャンスは幸運なんかじゃない。 勇気のたまものなのさ。 人生は本番前のリハーサルなんかじゃない。 一発勝負の本番さ。 そんな大事な本番を思う存分楽しまない手はないだろう。

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