自分の仕事のカバンには必ず単行本が2冊入ってます。暇なときに読んだり、移動中の手持無沙汰を埋めて
くれる大事なものとして、小汚い単行本は大切な存在なのです。 純文学から歴史小説。今は司馬遼太郎さん
の「項羽と劉邦」。 昔、読んだものをまた飽きもせずひっくり返して読んでます。 やっぱり面白いし2千2百年
も前の物事が、というか、その当時の中国が、手に取るように感じられるのでワクワクして読んでます。実話だから
猶更です。 栄華を極めて宰相にまで登っても失脚すれば一族郎党皆殺しにされるという具合に人の命の価値
が軽かった時の話。 調べてみると秦が滅亡した紀元前200年の中国の人口は59,594,978人だったそうです。
それが約250年後の紀元後50年の頃の人口は21,007,820人。なんと六千万人から二千万人へ激減。
わずか一世代の間に人口が半減したようです。今の日本では考えられないことが昔の中国で起こってました。
「三国志」の蜀が940,000人(西暦263年)、魏が4,432,881(西暦263年)、呉が2,300,000人
(西暦280年)で三国合計でも人口は一千万人に届かなかったようです。 それが隋になると人口は
46,019,956人(西暦609年)、唐のころには人口は52,919,309人。でも前漢末の数字に及ばず
その人口を超えるのは西暦700年ころ。前漢末から実に千年も後の事。 中国って何だか凄いです。
100年4世代とみると、今から88世代前の中国は6千万人。同じころ、日本は弥生末期で60万人ほど。
ということは何と中国の百分の1しか人がいなかったということ? 全然知りませんでした。
司馬遼太郎さんの歴史小説を読んでると、88世代前の人も今の人も、考えていることはそんなに変わってない
ように思えます。 サイエンスは格段の進歩があるのに。 人の心は何も変わってないのか。 ずっと同じことを
繰り返すんだ。 親の年代は古い考えで祖父母の年代なんて、遠い昔の人のようでも、高々、2世代前の人。
あくせく受験戦争に明け暮れても、仕事に忙殺される日々を送っていても、ほんの1世代のうちの取るに足らない
事ことなのかもしれない。 そして今から186年後の2200年の日本の人口は4000万人らしいです。今から
わずか8世代後には明治の人口に逆戻り。1億2千万人の人口が3分の1となると多くの人の子孫は絶えて
しまっているかもしれないし、それとも日本から離れて他国で生き永らえているか、月にでも日本の子孫が
生きているかもしれない。 もしかすると国という単位自体がなくなっていて、宗教で分かれているかも。
しかし人間の考えることは、いずれにしても大差ないのでしょう。 88世代前と今が変わらないのだから
8世代後など変わりようもないはずです。
歴史小説を読んでいると、いつも自分は長い長い過程の中で一瞬、姿をあらわすほどの微生物に過ぎず
顕微鏡の中の耐性を帯びる細菌のようなものなんだろうと思えてなりません。